古き良き、テキストサイトのレトロ感
大味な感じのテキストサイトが好きです。
映画やテレビの感想とか、商品のレビューとか、日々感じたものだとか。
一昔前ブログがはやった時は、大手のテキストサイトの文章に影響を受けたんだな、といった日記がちらほら散見できたりして。当時身内で流行った大手のサイトなんかのネタは今の若い子に言っても伝わらないんだなぁといったところで、ちょっと寂しくなってみたり。ミクシィもすっかりモンストの会社、って感じ。昔の当たり前は、当然ながら今の当たり前じゃなくて、流れている世界に置いて行かれないようにアンテナをはっていないと、すぐに取り残されてしまう。
かといって、必死に流行にしがみついている自分もカッコ悪いな、とちょっと斜に構えた自分もいて、はたまた別の視点の自分はそんなこと考えてること自体がカッコ悪いと、カッコ悪いの負の連鎖が始まったりするもんで、つくづく自分は面倒くさい人間だなあと笑ってしまう次第で。
閑話休題。今なお動いているテキストサイトは、掘れば掘るほど洗練されたセンスが山ほど埋もれてて、「なんでこれが評価されてないんだ」「どうしてお勧めにでてこないんだ」と思わずにはいられないほど、個々の魅力的な語彙に溢れている。文章の宝探し。それらを見つけた時は達成感、してやったり感があり、「誰にも見つかってない高尚な文章の群」を独り占めしたような、そんな感情に満たされる。時間をかけて丁寧に選ばれた言葉たちが、著者の伝えたい事柄を欠けることなく伝達していく。受け取り手の力量を選ばない達人の領域の言葉選び。世界にはそんなセンスの塊が山ほどいると知らされると、この表現者としての大海原に舐めてかかって出航した自分の浅はかさを痛感する。
先述したミクシィがはやりかけのころ、身内でやたらワードセンスにあふれたブログを細々と更新していた友人がいた。いまではすっかり呟きばかりとなっているが、彼のワードセンスは本当に見るものを魅了していた。残念ながらブログの衰退とともに彼の能力は埋もれてしいまった(ように見受けられる)が、その才能を枯らしてしまうのは非常にもったいない。またブログがはやればいいのになぁ。
YouTubeやTikTokで発信の場がどんどん視覚的かつ直観的に、尚且つ誰でもできるようになった今だからこそ、テキストサイトで生きてきた猛者たちの力量を感じる。
いずれ、動画サイトもそんな時代がくるんだろうか。
表現の幅がひろがって多角化していく未来、10年後はどんな表現の場があるんだろうか。
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