このnoteにはコメント欄があり、運営側もコメントの投稿を奨励していることから、私は色々な記事 (と言っても犬関係ですが) に比較的多くコメントを入れています。しかし、コメントの投稿で、最近、後味の悪い思いしたので、それを機に自分のコメントを振り返ってみたいと思います。
私が投稿するコメントは大きく分けて三種類あります。まず、記事の内容に共感・同意したり、時には激励したりするもの。次に、自分の知識や経験に基づいてその記事のクリエーターに情報提供したり助言したりするもの。そして最後に、記事の内容があまりにも偏った意見である、あるいは誤った情報発信をしていると考えられ、見過ごすことができない場合に自分の意見を述べるというものです。
まず、第一の共感・同意・激励のコメントの一部を下記に挙げます。(すべて異なるクリエーターの記事に対してのものです。一部伏字) 私のコメントの傾向が分かると思います。
次は、情報提供・助言のコメントの一部です。(同様に、すべて異なるクリエーターの記事に対してのものです。一部伏字)
最後は、記事の内容に対する意見(反論)のコメントです。これについては下記の例が分かりやすいので、よろしければ参照してください。
加えて、過去記事の
コメントを入れてブロックされてしまったクリエーターは二人ほどいます。(「スキ」が打てなくなり「コメント」が送れなくなるのですぐ分かります。確認できていないだけで他にもいるかもしれませんが…) 良かれと思って助言したつもりでしたが、そのクリエーターにとっては余計なお世話で、私のコメントが鬱陶しいと感じたようです。
冒頭、後味の悪い思いしたというのは下記のケースです。「ヒーラー、文筆家、動物愛護家」を自称しているクリエーターのある記事に対してコメント入れました。(記事の要旨は次のとおりです。『自分は繁殖引退犬(柴)を保護し迎えたが、その繁殖家がいわゆる「パピーミル」で自分の保護犬は過剰な繁殖によってガンを患い早世した。この他にも過剰な繁殖によって病で苦しむ保護犬や保護主が多くいる。よって、繁殖自体、犬に対する虐待である。』)
すると、次のようなコメント返しがあり、元記事とその関連記事をすべて削除したうえ、プロフィールから「動物愛護家」をも抹消してしまいました。
私は、論破がどうのこうのするつもりはありませんでした。自分の保護した犬を失った悲しみから、その繁殖家のやり方に原因を求め非難する気持ちは分からないではありません。このクリエーターがただの飼い主であれば、私はコメントしなかったでしょう (保護犬をテーマにした記事は多いですが、私はいちいちコメントはしていません)。 ただ、プロフィールに「ヒーラー、文筆家、動物愛護家」とあり、動物愛護家にしては犬という品種そのものの理解が欠けている、動物愛護の歴史的経緯や意味を十分理解していないと感じたので、クリエーターからすれば耳の痛くなるようなコメントを敢えて送りました。「動物愛護家」を自称して情報発信するのであれば、それなりの責任を負うべきと考えますが、私のコメントに対して捨てぜりふ的にコメントを返して、全記事を削除して「動物愛護家」を辞めるのは…、どうなんでしょうか。