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「ブルシット・ジョブ」と「無用の用」 —— 仕事の価値とは
1.はじめに
現代社会には、一見すると意味のない仕事があふれています。デヴィッド・グレーバーが提唱した「ブルシット・ジョブ(Bullshit Jobs)/クソどうでもいい仕事」の概念は、まさにその代表例です。
一方で、古代中国の哲学者・老子は「無用の用」という逆説的な考え方を示しています。一見すると役に立たないものこそが、実は重要な価値を持っているという発想です。
この対比は、現代社会の「仕事観」の二面性を示しているのではないでしょうか。「ブルシット・ジョブ」は、「役に立つこと」を追求するあまり、実は無意味な仕事が生まれてしまうという矛盾をはらんでいます。一方、「無用の用」は、「役に立たない」ことが真の価値を生む可能性を示唆しています。
「仕事の価値」をどのように捉えればよいのでしょうか?
2.ブルシット・ジョブとは
「ブルシット・ジョブ」とは、米国の人類学者デヴィッド・グレーバー(David Graeber)が提唱した概念です。
「本人すらもその社会的意義を疑問視せざるを得ないような仕事」を指しています。これは単に「楽な仕事」や「退屈な仕事」ではなく、「存在しなくても社会が何ら困らない仕事」のことです。
グレーバーは、このような仕事が現代社会に蔓延している理由として、
・資本主義の効率化が進んだ結果としての逆説的な労働の創出
・社会的な階層維持のための雇用の確保
・管理職による権力誇示のためのポジション増加
などを挙げています。つまり、「クソどうでもいい仕事」は、効率化が進んだ社会の副産物として生まれたとも言えるのです。
3.ブルシット・ジョブが生まれた背景
「ブルシット・ジョブ」が生まれた背景には、いくつかの歴史的・経済的要因があります。
(1)労働時間の維持と「働いている感」の演出
技術革新による自動化やデジタル化が進むことで、生産性が向上しているはずです。しかし、労働時間は必ずしも短縮されていません。これは、「長時間労働=価値ある労働」という文化的価値観が残っているからかもしれません。実際には不要な仕事が生まれ、それが雇用として維持される構造になっているのではないでしょうか。
(2)「官僚的資本主義」の影響
グレーバーは、「官僚的資本主義(Bureaucratic Capitalism)」が「ブルシット・ジョブ」を増やす原因になっていると指摘しています。企業や行政組織は、自らの存在を正当化するために、不要な管理職、手続き、報告業務などを増やしてしまいます。その結果として、「ブルシット・ジョブ」が増殖すると言うのです。
(3)階層構造の維持
企業や行政組織では、雇用を維持すること自体が目的化してしまうことがあります。特にホワイトカラー職では、管理層の増加により、意思決定の遅延や無意味な会議が増え、それを処理するためにさらに人が雇われるという悪循環が発生することもあるのです。
4.メリットとデメリット
「ブルシット・ジョブ」は、表面的には無意味に思えるものの、社会や個人にとって意外な利点を持つこともあります。しかし、長期的には生産性や労働者の幸福度に悪影響を及ぼすことが多いのです。
(1)メリット
A.雇用の維持と経済の安定
多くの「ブルシット・ジョブ」は、実質的な価値を生まないにもかかわらず、雇用を生み出し、経済を支えています。特に公的機関や大企業では、不要な業務が組織の維持に貢献しているケースが多いのです。
【官僚的な行政機関の書類業務】
日本の役所では、デジタル化が進んでも「ハンコ文化」が続いています。このため、多くの書類をチェックし、押印するだけの仕事が存在するのです。不要になるはずの業務ではあるのですが、これによって多くの人が職を得ており、急激なリストラが起きないようにしている側面もあるのです。
B.企業内の階層維持と組織の安定
企業が一定の規模を維持するためには、管理職のポストを増やし、組織のピラミッド構造を維持する必要があります。これにより、従業員に昇進の機会を提供し、モチベーションを維持することができるのです。
【なんちゃって管理職】
部下が0~2人しかいないのに、組織の構造上存在しているだけの管理職がいることがあります。実際には、彼らの役割はチームの業務をスムーズに進めることではなく、肩書を持たせることで、企業の階層を維持することが目的になっています。
C.労働者の精神的安定
すべての労働者が「社会のために役立ちたい」と思っているわけではありません。むしろ、安定した仕事に就き、一定の収入を得られること自体が重要だと考える人も多いのです。「ブルシット・ジョブ」は、こうした人々に「働いている安心感」を提供する役割を持っています。
【意味のないレポート作成】
一部の部署では、誰も読まないレポートを延々と作成する業務があると言います。しかし、これに従事する人々にとっては、「自分の仕事がある」「毎月給料が支払われる」という事実が生活の安定につながっているのです。
(2)デメリット
A.労働者のモチベーション低下と精神的ダメージ
自分の仕事が無意味だと感じながら働き続けることは、精神的なストレスを生みます。グレーバーの調査では、多くの労働者が「自分の仕事には価値がない」と感じながらも、生活のために続けざるを得ない状況にあるのです。
【コールセンターの「とりあえず対応」業務】
企業のカスタマーサポート部門では、顧客のクレームや質問に対応する業務があります。しかし、実際には問題解決の権限が与えられておらず、「決まりなので対応できません」「担当部署に回します」と繰り返すだけの業務になっていることがあります。こうした仕事に従事する人々は、「自分は何の役にも立っていない」と感じ、精神的に疲弊することが多いのです。
B.組織の非効率化と生産性の低下
「ブルシット・ジョブ」が組織内で増えれば増えるほど、業務フローは複雑化し、意思決定が遅くなります。これでは、企業の競争力低下や、行政の硬直化につながる可能性があります。
【意味のない会議の乱発】
ほぼ同じメンバーで「週次報告会」「月次報告会」「プロジェクト進捗会議」などが開催されている場合があります。これらの会議のなかには、内容が重複していて、出席者は「この会議、意味あるの?」と感じていたりするものもあるかもしれません。こうした会議が繰り返されることで、業務のスピードが落ち、本来必要な仕事にかける時間が削られてしまうのです。
C.労働市場の歪みと社会的コストの増大
「ブルシット・ジョブ」が増えると、本来必要な労働力が適切に配分されなくなります。結果として、社会全体の生産性が低下し、必要な分野での人材不足を引き起こすのです。
【不要な業務のために人材が偏る】
例えば、企業が内部のルール遵守のためだけに法務やコンプライアンス部門を拡大していることがあります。しかし、その一方で、医療や介護、エンジニアリングなど、本当に人材が必要な分野では人手不足が深刻化しています。社会全体としてのリソースの使い方が歪んでいると言えるのです。
5.「無用の用」とは
『老子』や『荘子』にみえる中国の道家思想の術語。
「無用の用」とは、一見すると役に立たないものこそが、実は本質的な価値を持つことがあるという発想です。
「荘子— 人間世(じんかんせい)」には、「人は皆、有用の用を知れども、無用の用を知る莫なし(だれでも、役に立つものが役に立つことは知っているが、役に立たないものが役に立つことは知らない)」とあります。
たとえば、「歩いて行くとき、足が踏んでいるところ以外の地面は『無用』だが、その部分がすべて深い穴になっていたら歩くことはできない。」という例を挙げています。
また、大樹は木材として使われることなく残るからこそ、人々に涼しい木陰を提供します。空間があるからこそ部屋が成り立つのです。
芸術や哲学、雑談などは、即座には利益を生まないものの、長期的に見れば文化や社会の発展に貢献するでしょう。個人にとっても不可欠なものとなるのです。
6.仕事の価値を考える
「仕事の価値」は、どのように捉えたらよいのでしょうか。
「すべての非生産的な活動が「無用」である」とはいえません。時には役に立たないと思われるものが、創造性や人間性を豊かにすることもあります。効率や役に立つことばかりを追い求めるのではなく、一見「無用」に思えるものの中にも意味を見出すことは必要かもしれません。
「ブルシット・ジョブ」は、価値を生み出すことなく、ただ存在するだけなのかもしれません。しかし、「仕事の価値」考えた場合、「ブルシット・ジョブ」を単になくすことは、答えとはならないのでしょう。「一見不要と思われる仕事をなくす」のではなく、「本当に価値のある仕事とは何か?」を問い直すことが重要なのです。
それが本当に不要な仕事なのか、あるいは視点を変えれば価値を見出せるのかを考えてみるべきでしょう。もし価値を見出せないなら、その仕事は社会にとって本当に必要なのか再考する必要があります。「役に立たない」と思われているものでも、「無用の用」の視点を持てば、新たな価値が見えてくるかもしれません。
「意味のある働き方」を考えてみたいものです。
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※タイトルイラスト:「ドーナツを持つビジネスマン」
「『ドーナツの穴』って、何の役にたつのかな?」
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※参考文献など
・「ブルシット・ジョブ ―― クソどうでもいい仕事の理論」
デヴィッド・グレーバー (著), 酒井 隆史 (訳)
・「ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか」
酒井隆史 (著)
・「日本大百科全書」 小学館
・「故事成語を知る辞典」
他