AIと音楽⑤―みんなの考え【インスタde思考実験 Vol.1】
いよいよラスト、クライマックスです。ここまで読んでくれたあなた、本当にありがとうございます。
最後まで長々と、熱く深く言葉にしていきます。
人間って、ロマンチスト。
そこに感情がのってなければ、人の心に響かないのでは?
「感情がのっている」という事実自体が FANTASYだったということを、AIは教えてくれるのかなと。
いきものがかりのリーダー、水野良樹さんがラジオで、
「とはいえ人間は物理的な存在」
「AIは“偏り”を演出することしかできない」
とおっしゃっていて。
感情さえも、音楽で言えば物理的な空気の振動に、物理的な存在の人間が勝手に思いを感じているだけのもので。 しかもAIは、外見では人間の作る音楽と同じ要素を持ったものを【演出】できるわけで。
あくまでも【演出】だけど、それと感情のある音楽の違いは?
音楽そのものの違いよりも、「誰が作ったか」に人間が大きく左右されるということが見えてきそう。なぜなら、人間の知覚なんて、あいまいで、不確実なものだから。
ここまで人間を少し悲観的に見てみまして。
ただ、物理的なものに感情を感じるということは、必ずしも「悲観的な意味での」FANTASYとは言えないとも思う。
フィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、アンドロイドと人間の違いは、感情移入・共感ができるかどうかだとされている。
物理的なものに【恣意的に】感情を感じることは、評価の不確実さという点で悲観的に見てしまいがち。だけれども、その感情移入の恣意性、不確実性こそが人間であるんだなあと。
不確実だからこそ、人生を楽しめる。恣意的だからこそ、人に好かれたときにうれしくなる。FANTASYだからこそ、人間が人間でいられる。
人間って、ロマンチスト。笑
でも、恣意的に感情を感じることは、差別の原因の1つにもなっているのではないか??
その点、合理的で公平で確実なAIは、差別を排除できるとも考えられる。
「差別」とは、広い意味でいうと、相手によって違った対応をするということ。「この人だからこんな対応をする」には、もちろん人を傷つけることもある。
でも、その一方で、「この人だからこんな対応をする」には、愛が含まれるときもある。
「誰にでも平等に対応する」では感じられない感情がそこにはある。
果たして、AIがもたらす差別のない、平等な世界は、どうなのだろう?
伊藤計劃の小説『ハーモニー』で言うところの、「優しさという真綿で首を絞められる」世界になるのかも。
また、アニメ『PSYCHO-PASS』の世界でいう、「システムの檻の外で弱肉強食の法則に身をゆだねるのではなく、システムの檻の中で、優しさに飼いならされる」世界になるのかも。
差別のない世界は、自由??
ハーモニーは、映画もあるよ。けど、小説の方がおすすめ。小説の方がより繊細で、話がよくできてる。
PSYCHO-PASSも、名作。ぜひ1期から見てもらいたい作品。現代社会の進む先にありそうなお話。いや、むしろもう起こっているかも。
違和感と適応力――人間の能力も考えものだね
ボカロはサブカルとして受けてるもんね
実は、初音ミクとかのボカロが出てきたとき、最初はあまり受け入れられなかった。無機質で、なんか気持ち悪い感じがして。
だけれども、徐々に社会的にボカロも広まり、自分の中でも違和感は薄れていった。
この違和感の薄れは、 ボカロの技術の進歩?
それとも、単純接触効果による好感や慣れ?
AIや科学技術の分野に関わらず、「違和感の薄れ」 ってある意味怖いことだなとずっと思ってる。
違和感が薄れるということは、生きやすさにつなが るし、人間の環境適応力の賜物なんだと思うけど、 なにか本質を見失うような気がして。
今後、AIが日常生活の中に浸透していって、自分のあらゆる行動がAIによって指示される時代が来るかもしれない。
それこそ、「PSYCHO-PASS」の世界に描かれる社会――システムが食べるもの、職業、ましては結婚相手まで、あらゆるものを決めてくれる社会。
AIが予測した未来の中で、システムの指示に従えば、不幸のない人生を生きることができる。自分の能力に一番合った職業を選んでくれるし。自分と相性の合う結婚相手を選んでくれるし。
選択の自由(=悩み)をシステムに渡してしまえば、不幸にならない選択肢を提供してくれる。
そうなったときに、それに対する違和感が薄れてしまったら、人間は人間であり続けられるだろうか?
AIの指示をこなして、不幸の排除された予測可能な未来を生きることは、機械と何が違うのだろう?
違和感とともに生きるのは生きづらい。ましてや、その違和感の矛先が、今の社会の基盤であるとしたら。
人間の適応力は、素晴らしい。生きづらさを軽減し、人間が生きることをサポートしてくれる。
ただ、違和感について考え続けること、違和感を適応力によって消されないようにすることも、ある意味大事だと思う。
違和感に対して適応力を発揮できるのは、確かに人間の力である。
でも、適応力は持ちつつ、違和感について考え続けることができるのも、人間の力ではないか。
機械にはなり下がらない。人間でありたい。
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インスタde思考実験 Vol.1「AIと音楽」 <完>
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!!