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8月6日

例年であれば、この日のマツダスタジアムは緑に染まる。ピースナイター。戦後復興のシンボルたる市民球団カープの試合で行われる、平和なヒロシマを象徴するイベントだ。

平和の祭典たるオリンピックがこの日本という国で8月に開催されるということが、どれほど意味を持つことであろうか。閉会式は8日と、開催期間中に8月9日も、15日も、やって来ることはない。開催期間中であるから注目されるのか、はたまた忘れられるのか。それはその時になってみないと分からないと思う。

大きく話は変わるが、私自身がなぜドイツに興味を持ったか、という理由の中に同じ敗戦国だ、というものは少なからずあるだろう。もしくは同じ枢軸国だ、というものなのかもしれない。どこか仲間意識をドイツに対して持つ日本人は少なくはないだろう。

ただこの二国の「平和」に対する考え方は大きく異なるのではないだろうか。戦争の結果国を分断されてしまったドイツ、統一された状態の日本。代わりに分断されたのは韓国/北朝鮮だ。ドイツは戦後約半世紀をかけ、また再び同じ国になることが出来たが、私たちは長らく平和の中に暮らしている。平和を私たちは当たり前に捉えていないだろうか?

昨年度、大学の授業で私はドイツで原爆の伝承活動をされた先生の授業を取り、いわゆる平和学を学んだ。私がすべき事はこれだ、と天命を見つけたように思った。 そして今、法学部の授業を取っているのはここに繋がる。平和とドイツを私は大学で結びつけたいのだ。

昔から人一倍平和への思いは強かったと思う。幼稚園の貸し出し図書では、ヒロシマが描かれた絵本をよく借りてた。何度見ても怖いのに、それでも見なくてはならない、なにかそんな使命感に駆られていた。そして被爆者であった祖母の元によく泊まっては当時の話を聞いたものだ。焦げ臭い街、遠くに見えた橋、大きなきのこ雲。今の広島の街からは想像つかない姿。

広島という地域は平和教育が盛んではあるが、それでも若者たちの平和離れは激しいと言わざるを得ない。8時15分を、11時2分を、一体どれだけの人が答えられるのだろうか。被爆者の高齢化の進む、76年目の夏。

過ちを繰り返さないために。


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