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【TOLOPANの真髄に迫るvol.24】無念と熱情から誕生したカカオアメール

「チョコレートとライ麦って合うんだよな」

16年前、南青山6丁目のデュヌラルテの厨房。
淺野シェフのその一言で始まった。

これはとても思い出深い、
僕にとっての始まりのエピソードである。



確かレストランのリニューアルに向けての、初回ミーティングと試食会のとき。パティシエとしても料理人としても腕のある統括シェフがパンを作って持ってきていた。

当時の僕は、ひとりのスタッフでしかなかった。つまりパンを作る権限すら無かった。


今でも鮮明に覚えている。
当時の「無念」の感情。

実績こそが評価される実力社会の世界。
実績がない人間がどう足掻いたって、
それを覆すことができない無力感。


僕は3年間、1日も欠かさず努力をした。

毎日3時間パンの理論の本を読んだ。
絶対に遅刻をしなかった。
掃除だって、1人でひたすらにやった。

3年間、シェフになるための努力を、
本当に毎日ずっとずっとやってきたのだ。


それなのに、自分はまだ1スタッフでしかない。
何もできない。何もさせてもらえない。

実力社会の理解はしつつも、どうにか脱出する方法はないものかとただただ落ち着かなかった。



そんな僕の感情を置き去りにして、試食会は始まった。統括シェフが作ってきた試食を5品ほど食べることになった。

そこで僕は違和感を覚える。
食べてみると、どこか古臭いのだ。

僕は、デュヌラルテという今の時代のパンを食べて勉強してきた。それと比べると、試食で食べたものは古い時代のパンの味に感じた。

例えばイースト臭。
これがあると、繊細な小麦の香りやバターの良さが削がれてしまう。

「引いて削いで出したい素材を全面に出す」
のがとても上手なデュヌラルテの井出シェフ、柴田シェフを見てきたからこそ、より違和感が際立って感じられたのだろう。


僕の違和感は思い違いではなかったようだ。
そう、全ての試作品が却下されたのだ。

しかし「よし」と喜ぶこともできない。
なぜならスタッフでしかない僕は、
作ることさえ許されていないのだから。

無力感で悲嘆に暮れるなか、
ふと耳に入った言葉ですべてが一変した。


「チョコレートとライ麦って合うんだよな」


ミーティングも終わり雑談をしていた時。
独り言で淺野シェフが口に出した言葉だった。
しかし僕は聞き逃さなかった。
すぐにメモをして誰も聞いてないか確認した。

これが「やってやる」と決心した瞬間だった。

明日には仕掛けるぞ。

そんなつもりでイメージをつけ、レシピをかきおこす。ここでも3年間の地道な努力が活きた。柴田シェフのレシピを毎日分析し、データを取り、全種類を毎日食べていたのだ。パンのイメージを実現化させる力が自然と強化されていた。



試食会の段階で、既にカカオ×ハード系という方向性は決定していた。そして手捏ねにすることは絶対と決めていた。

当時は成形が得意ではなかった。だから触らない成形でグルテンの弱さ、歯切れの良さを決めた。構成はライ麦は20%、ヴァローナ社のカカオパウダーを7%、柴田シェフのカカオのパンは甘味の方が強調されたカカオ5%。ライ麦のしっとり感からくる甘みとカカオの苦味を意識し、加水率は多めの93%に設定した。


その頃は、レストラン用のパン=ストレート法にしていた。発酵の変化での味や旨味という事は無視してカカオとライ麦のマッチングだけを考える。ミキシングからなるべく窯入れまでを短く素材感が出るように。しっとり感と歯切れのよさ、食感の始まりにハードらしい部分を残したかったので、生地を裏返し麺台にへばりつくようにし、回し、ひっくり返し模様にした。このような形にしようと決めていたのは、東京芸大に行った地元の親友がきっかけ。彫刻やっていたため、拳のブロンズのようなものにしたかったのだ。


発酵をとっている時間も、焼いている時間も毎日のことなのにいつもと違う緊張があった。

焼き上がった時に、
「格好良い」と我ながら思った。

それだけで満足だった。

1スタッフを脱出するという目的は、
いつの間にやら頭から消え去っていた。
本当にパンだけに囚われ、没頭していた。


そこから何時間後かに淺野シェフが現れた。
「何これ?」と言いながら1スライス食べる。


「いいじゃん」

「パンは田中が全部やれ」


その言葉を聞いた瞬間、その間の10秒程の出来事。

グーっと身体が熱を帯びる感覚がした。
今もその感覚をはっきりと覚えている。

これが僕の始まりの瞬間だった。
そして「カカオアメール」の始まりでもあった。


今はテイクアウト用としてチョコレート、オレンジピール、サワー種を入れライ麦の量を上げて皆に好まれる味にしている。




人間は、いつ本番が訪れるかがわからないことに対して備えが甘くなるものだ。でも、この仕事はお店を開けた時点で練習などは存在しない。


この仕事は、毎日が本番である。

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