【TOLOPANの真髄に迫る vol.20】物怖じする美しさを継承した、レディなぺパン
デニッシュ生地にチョコレート。
と聞いて誰もが頭によぎるのは、パンオショコラだろう。これをペピートカット(ランダム)にしたのがチョコレートのペパンだ。
ぺパンが誕生したのは2003年5月。
それは僕が修行に入ったばかりのころ。
南青山6丁目時代のデュヌラルテ、井出シェフから柴田シェフにバトンが渡った記念すべき日。
そして、ペパンは僕が女性の目線をほんの少し持てるようにになったきっかけのパンでもある。
僕の育ての親である柴田シェフは、都内のパティスリーを全て知っているくらいマニアで本当に頻繁に食べ歩いていらっしゃった。
そういうところからも、
『お客さま、特に女性はどうしたら食べやすいか』
をすごく楽しみながら考えるシェフだった。
素人に近かった当時の僕は、ぺパンを初めて食べたとき本当に感動した。
とにかく層が凄い。
なんて周りを汚さない折り込み生地なんだ。
ハラハラとしているのに、
全てバーガー袋で受け取れるサイズ感。
これなら女性ならではの気負いもなくなる。
とてもよく考えられた作品だ、と感動した。
1袋80gのランダムカットの、なんとも言えない可愛らしさ。他店では見た事のない可愛らしさだった。
僕は3年間の修行期間、毎日夕方16時頃から30分〜1時間ほど販売に立っていた。焼成も任されたため、販売時にとにかく良い状態に持っていくことを意識していた。力を込めて長々と説明する接客も、楽しみの一つだった。ほとんど全ての仕事をやらせてもらった。
しかし、
折り込みだけは3年間ずっとシェフの仕事だった。
シェフは、何ひとつ作業を怠らない。
毎日の作業にミスが存在しない。
しかし試作であれば、あえてミスをする。
そしてミスを片っ端から探し出す。
ここに、未熟な僕は入る隙などない。
その代わり、ライ麦と塩と水で作った練習用生地をを作っていただいた。本当にいつも傷みきるまで折り込みの練習したものだ。ポジションに入れないからこそ、やりたさは増すばかりだった。
柴田シェフは、たまにぺパンのカットだけを自分にやらせてくれた。ランダムカットだから、早くしながらも三角、四角、大、小をつけて一生懸命に牛刀で落とした。カットしながら思っていたのは「こんなに薄いのがあれだけの層になるのか」ということ。
それは綺麗な折り込み技術の証拠だった。
物怖じしてしまうほどの美しさだった。
「自分もいつか、こんな風に」と。
練習生地での折り込みやカットの作業ですら、僕を掻き立てた。憧れのパイルームでの仕事や憧れのお店に常にドキドキしていた。
ミキシングはすごく低速。3分以内に捏ねあげ、温度は0°C付近。手でデトランプ成形の後5°C〜8°C以下にする。フリーザーに入れ0°Cのドゥコンで16時間解凍させる。毎日決まった時間14時ピッタリに冷蔵庫から移動開始する。いつも寸分違わず同じ状態を作るのは、こういうところにも調べが行き届いているからである。
偉大な作業で「デュヌラルテ」が存在している訳ではない。反復を怠らない、無意識レベルになるまで繰り返し行うことで見つかる新しい発見こそが斬新な作品を産み続けていたのだ。
そして折り込みは3つ折り3回。これもいたって普通ではあるが、地味な怠りが一才無いことからくる精度の高さがある。ローラーに1回通すと何°Cの上昇があるかを把握する。もちろん融点には達さず、グルテンの引きまでも計算に入れた通し方をする。ホイロは常温で30分から1時間、解凍し湿り気が取れて少しの乾きが出た時に窯入れをする。TOLOでは当時より釜のクオリティも上がり、冷凍のままでも入れることが出来るようになった。とはいえやはり半解凍がベストではあるが。それを毎日昼休憩前に焼き上げる。
デュヌラルテの修行時代は、全商品の一番良いものと悪いものをはじき、1スライスずつ薄い物から順番に食べるというのが毎日の業務として行われていたが、これが至福のひとときであった。
どうして今もぺパンをTOLO PANで?
これはデュヌラルテでのお客さまがきっかけ。
小僧時代の接客していたころ。当時いらしたお客さまが、TOLOPANでパンを焼く僕にたまたま気づいてくれたのだ。「どうしてもあれが食べたい」と何度も何度も頼まれ、配合を少し変えて当時とほとんど変わらないものに仕上げて提供することにした。さらに、りんごとクルミときび砂糖のタイプであるポムも出した。
「シェフになったら頼らず自分のもので」という柴田シェフとの約束。これは今も自分の頭に常にある。
ゴマの渦巻きタイプやチーズのタイプ。
気負わず遊んでいるかのように素晴らしい作品を生む女性、柴田シェフの後ろ姿から、パン作りを「楽しむ」ことを学んだ。
こんなに凄い人たちの中で働いたのだ。
僕のゴールはまだまだ、まだまだ高い。
まだまだ到達しない「楽しい」のために。
日々の地味を喜びとして昇華できていることは、育ての親に感謝でしかありません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?