情報アーキテクチャーと島人的存在の可能性(アフターデジタル#2)
このnoteはPodcastから一部抜粋した書き起こしです、全編はPodcastからどうぞ。
前回の情報はこちらからどうぞ。
アーキテクチャー設計の分散化
堀:今回はアーキテクチャー設計などについて話していきたいと思います。
堀:アフターデジタルの世界で、大きなこととして民間企業がアーキテクチャー設計を担えるという点があって。まずアーキテクチャーとは何かというと、ローレンス・レッシグが提唱した人の行動を変化させる力の一つとして上げられていて、アーキテクチャーはその中で環境の設計を通じて行動をコントロールする手段を指しています。社会レベルのアーキテクチャーはこれまでは行政とかが行ってる領域だったと、インフラとか道路とか。そこから現在はインターネットの上のアーキテクチャーは民間の企業が担うようになっている、アーキテクチャーの分散化が起きていると。
奥田:はいはい、生活に必要なことを必ずしも国家が作っているわけではなくなったと。
堀:アーキテクチャーが優れたサービスに人が集まるというのもあって、例として上がってる配車アプリのDiDiはドライバーの対応によってドライバーの報酬が変化するようになっていて、それぞれの人がそれぞれに最適な行動をするアーキテクチャーが設計されているから顧客の体験価値が上がるみたいなことがある。
アーキテクチャーを作る側の責任問題
堀:もちろんアーキテクチャー設計ていうのは特定の行動を促したり、禁止にしたりするものやから作る側には責任が伴うという話もあると。
奥田:アーキテクチャーって言っても、サービスのシステムとかと企業のバリューとしての社会価値のアーキテクチャーは結構違うと思ってて、前者は直接的な購入動機にはなるけど後者は間接的な動機になってるよね。
奥田:SNSのアーキテクチャーでいうと、リツイートできないとか、リプライさせないってのがある意味フィルターバブルを作ってるみたいな批判もあるわけで、企業が決めるには大変になっているよね。そういうところで言うとEU圏のGDPRみたいに「データの扱いはこうあるべきだ!」て言うのをイデオロギーでバンっと出してるのは一つやり方としては面白いよね。建築基準法決めましたみたいな。
森口:なんか今俺の本棚にあった社会学の入門書みたいなの引っ張り出してレッシグのページを読んでたんやけど、今言ったようなサイバー空間で何を制限するか見たいな設計を企業とか政府をすることは可能やねんけど、ここに書いてるのはそう言う規制を政府に一任するわけにはいかなくて、サイバー空間のアーキテクチャーに関する国民の意思や価値観を政府に反映させるのが重要、とるすとこの問題はサイバー空間に限らず、我々の社会で民主主義がきちんと機能しうるかと言う問題になることになるって書かれてて、我々の総意みたいなものを反映させたシステムにするのがまあ、妥協点になるってことなんやろうけど、まあそうなんやろうけど・・・
奥田:そう言う意味で言うと、レッシグのクリエイティブ・コモンズは発明で、著作権に関する中庸な状態を作ったことでデジタルのメリットを活かせるアーキテクチャーだと思うんですよね。権利の話を所有している、していないの二択で話すのではなくてもうちょっと自治的な仕組みでのやり方は欲しいよね。
奥田:そういえば最近のスタジオジブリの画像公開された時に、使用範囲が「常識の範囲内で」だったのは結構パンチが効いてると思ったよね。人によって使い方はあるけど、大体みんなこういう感じだよねっていうところを手探りながら成立させるのはとても日本的な仕組みだなと。
森口:だからその然るべきアーキテクチャー設計というのが、然るべき社会像というか民意を反映させている方がいいけど、そういうのって政府とかが上から統治するというよりかは企業とかSNSの空気を読み取ってやる方が早いからそういうのでうまくやっていけるような気がしなくもないよな。
奥田:確かに、でもそれはまさに株式会社っていうアーキテクチャーの優秀さやね。
島人的な存在による連帯の可能性
森口:なんか俺個人的に最近、SNSですごいフォローするようにしてみたらそれはそれで面白くて。コンテンツを個々に見るのがなんかあんまり向いてない気がしてきて、だからバーっと早見してなんとなくの空気を摂取するようにしてると、なんとなく緩やかな連帯があるねんな。なんかわからんけど、敵は一緒みたいな。その空気感がSNSでなんとなく感じ取れるのは結構面白い。でもそれが企業に対してはちょくちょく機能し始めているように見えてて、炎上して企業がすみませんっていうのがいいのかはわからんけど、共有された望ましい社会像みたいなものに近づけているような気はするねんな。
奥田:今の話を聞いて、緩やかな連帯の話って漠然とした日常の動的平衡を保つために敵に対して反応したり仲間が現れたら包摂するような有機的なシステムがあるように感じて、企業の炎上について個別の問題・事例の是非は難しいけど、大きなシステムとしてTwitterが新しい公共になってる中でそこが今のまま拡張して行っても、思ってるより崩壊はしないんじゃないかなと思ってて。分断だと言われてるけど、緩やかな、絶壁の島じゃなくて船で行き来できるクラぐらいはできる関係になるのはそれなりに楽しいんじゃないかと思ってるけどね。
奥田:そんな風なまた別の社会アーキテクチャーができてきているような気はしていて、例えば島宇宙って結構いいかも、移動できるし交易できるし、独自の文化もできるし、島宇宙ってなかなかいい言葉やなと。
森口:確かに、村宇宙より島宇宙がいいな
奥田:そうそう、島ってやっぱりその中で生きないといけない、村って拡張できるけど島は陸地は広げれないからその中の生態系は崩さないように生きないといけないみたいな。
森口:そういう共同体の発想ってよくあるけど、それを説明する単語のニュアンスとして島はいいなと思った。それこそ東浩紀さんとかは村人と旅人と観光客って言ってるけど、村人よりやっぱり島人の方がいいよな笑
奥田:島人が観光にもいくし、島って結構観光産業もしてるしね笑
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