父の背中
普段、大分にいる父が東京に遊びにきている。
うちに3泊して東京ドームで野球を観戦したり、かつて父が東京にいた頃に仕事で関わったという建築物を見に行ったりして満喫している。
3日目の夜は、父が長年お世話になっているという元上司のTさんご夫妻と、東京にいる姪っ子も交え、5人で神宮外苑にある「森のビアガーデン」に行ってきた。
初めて行ったが、なかなか素敵なところだった。
2時間制でドリンクを飲み、グリルで焼くバーベキューが美味しい。
86歳とは思えぬほど見た目も気持ちも若いTさん。元会社の専務ということもあり、考え方もしっかりしている。
僕が大学進学で上京するとき、部屋を探してくれたのもTさんだった。僕は彼が選んでくれた西調布のマンションに4年間住んだ。
20年の歳月というのは本当にあっという間だが、まるで昨日のことのように「あの時は部屋を探してくれて、大変、お世話になりました」と直接、感謝の言葉を述べることができてよかった。
Tさんご夫妻は、61歳で早々に退職をした。
そう言って子育てを終えていたTさんご夫妻は世界中を旅行した。90回も海外旅行にいったというから驚きだ。「君も動けるうちにたくさん世界を回った方がいい」と言ってくれた。
なんて素敵な旅の仕方なのか。
新しい旅の味わい方を教わったような気がした。
これも面白い考えだ。
たしかに数ヶ月先でも次の旅行先が決まっているというだけで、次の出発までの日常に、張りが生まれるような気がする。
そして仕事における大事な考えも教わった。
かっこいい。
1つ1つの物事に、自分の信条のようなものがあった。
Tさんの奥さんの育児に関する考えも素晴らしかった。
「子供は社会に還す」
なんて素敵な言葉なんだろう。なんて潔い生き様だろう。
自分の思惑どおりに子をコントロールしたい親も世の中には多いと思うが、そういう考えをもっているTさんご夫妻が改めて素晴らしいなと思った。
卒業後は大分に戻ってきてほしかった父は若干、苦笑いをしていた。
でも、僕は父が東京で楽しそうに仕事をしている背中を見て育った。仕事も真剣、遊びも真剣。憧れの背中だった。
小学生の頃に何度もスチュワーデスさん(CAさん)に手を引かれて、東京にいる父に会いに行ったことを、今でも鮮明に覚えている。
曳舟にあった父の社宅の新築マンション。クーラーのついた六畳一間の和室に、限りなく広大な自由を見た。
あの時味わったワクワクを信じ、父のおかげで今がある。
森のビアがデーンから帰る際、僕と姪っ子に向かって、父は言った。
「お前たちにちゃんとTさんを紹介したかったんだ。
こういう人がいるんだということを知ってほしかった」
父は自分の背中だけでなく、父が尊敬する人の背中を僕らに見せようとしてくれたことが嬉しかった。