あきらめても続けていれば試合終了しない説
映画『THE FIRST SLAM DUNK』を観た。友人が制作スタッフとして関わっている贔屓目もあるかもしれないが、懐かしくもあり、新しくもあり、心揺さぶられることが多い素敵な作品だった。
モーションキャプチャを導入したCGアニメーションによって、よりリアルな人の動きが表現され、バスケットボールの躍動感が心地よかった。この技術はこれからもっと進化していくだろうなと思った。
そして、お決まりのあの名言。「あ、くる!」とわかっていても、心に響く安西先生、珠玉の名言。
「あきらめたらそこで試合終了だよ」
学生の頃、それがまるで自分へのエールであるかのように、勉強や部活の励みに感じた人は僕も含めて多かったに違いない。
そして、今、時を経て思うこと。それは・・・
「あきらめても続けていたら試合終了しない」
まるで屁理屈みたいに聞こえるかもしれない。でも、あの言葉を聞いた時、ふとそんな思いが頭のなかに湧いた。
最近、観たもう1つの映画が僕の中に大きく影響していた。映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』
正直、ここ数ヶ月かなりの映画を見てきたが、ダントツに一番面白かった。
映画音楽などを手がけるエンニオ・モリコーネという作曲家のドキュメンタリーである。名前は聴いたことがなくても映画『ニューシネマパラダイス』の映画音楽を手掛けた人・・・といえば、思い出す人もいるかもしれない。
数多くの映画音楽を作り続けてきた人だが、驚くほど陽の目を浴びることは少なかった。
「映画音楽は芸術ではない」と考える恩師の存在にも苦しめられた。自己肯定できない自分。でも、映画音楽を求められ作り続ける自分。そんな知られざる葛藤が映画のなかで濃密に描かれる。
アカデミー賞作曲賞に5度もノミネートされながら一度も受賞することがなく、そのたびに落胆し、追い詰められ、10年のキャリアの節目ごとに「もう次の10年後には映画音楽はやっていないだろう」と幾度となくあきらめる。
それでも縁に導かれ、続けて、続けて、念願のアカデミー賞が初めて彼の手元で微笑んだのは2016年。
なんと87歳の時である。
「あきらめても続けていたら試合終了しない」
彼の姿を見て、そう感じた。それと同時に、すごく励まされた。おそらくアカデミー賞に固執していたら、本当に途中で辞めていたのではないかと思う。そして彼の語った感動の受賞スピーチはぜひ映画で確かめてもらいたい。思い返すだけで泣きそうになる。
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僕もまた映画の道で食べていけたら・・そんな風に思った時もあった。高校時代にNHK全国放送コンクールで毎年自分でつくったドラマを出品し、大分県の代表にはなるものの全国大会では一つも受賞しない。かすりもしない。
NHKの審査員に「君はもっとたくさんの経験をしたほうがいい」と言われる始末。
20代の頃には「ぴあフィルムフェスティバル」という映画人の登竜門的なコンテストに何度も出品したが入選さえしない。かすりもしない。
「ここはお前が来るところじゃないよ」と映画の世界に言われているような気持ちになり、何度となく心が折れた。
独立起業した今もまだ映像の世界で何一つ受賞していない。(そもそも賞が欲しいと思って仕事していないが)でも、あきらめなかったら、10年も続けられていなかったと思う。映画で食べていくということ、映画の世界で評価されるということ。そこへの執着はもうない。諦められたから、つくり続けられるし、いろんな意欲も湧いてくる。
今日も早朝から渋谷のスタジオで撮影を行った。
準備してやってきたことが上手く噛み合って無事にできたこと。撤収時にはお客さんから「いっしょにみんなで記念撮影しましょう」と言ってくれたこと。夕方には別のスタッフと一緒に、オリジナル短編アニメの企画会議をしてみんなでいろんな意見を出し合えたこと。
そういう何気ない日常の一コマが、日々を支えてくれる。
「あきらめても続けていれば試合終了しない」説をこっそり時間をかけて検証していきたい。