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「ハッピー・オブ・ジ・エンド2」 感想 その4 I can’t live without you
ep.10
千紘は東京の空にオリオン座を探す。
「教科書で読んだ冬の星座」と千紘は言うけれど、浩然は知らないだろうなと思った。
私は目が悪いのもあるが、確かに東京では冬の澄んだ空でもほとんど星が見えない。
季節は冬。浩然と千紘にとって試練の時がやって来る。
マヤに居場所を見つけられた浩然は、また引っ越しを決意し、マツキに不動産の斡旋を頼む。
「どんな物件でもいい。なんなら都内じゃなくても…」と言い出す浩然に対して、マツキは「だったら仕事はどうするのよ」と現実的なことを言ってくれる。マツキの言う通りだと思う。
マツキ「もう諦めなさいよ。過去からは逃げられないのよ」
この言葉は重いし、真実だ。
でも、浩然は「俺は逃げ切る」とまだ過去から逃げようとしている。
マツキに「この小卒!」と揶揄われて、浩然は「小学校も行ってないけど」と答える。
マツキは冗談だと思っているようだが、浩然はおそらく戸籍がないから行政のチェックから漏れてしまい、義務教育すら受けられなかったのだ。
電話を切った浩然は、暗い表情でラブホのベッドに腰掛ける。
冬なのに部屋の窓を開けているのには意味があるのではないかと考えている。
浩然は窓が開いていないと精神的に苦しいのではないだろうか。
昔、マヤにスーツケースに閉じ込められたことが影響しているように思う。
俺は、今になって マヤが怖い
昔よりずっと
俺にはもう 絶対に失えないものがある
だからこそ アイツが怖いんだ
窓の外の夜空は曇っていて、星は一つも見えない。
絶対に失えないもの=千紘と出会ったからこそ、浩然はマヤを恐れている。
今から10年ほど前、16、7歳だった浩然は母に捨てられ、帰る家もなかった。
「どんなことでもする」と言って、加治からマヤに≪売られた≫。加治はこのことを後悔している(ep.07)。
行き場のない浩然は、未成年専用の風俗で働かされながら、狭いアパートの一室でマヤと同居していた。
「その部屋」でマヤは絶対だった
部屋には浩然以外にも未成年の女の子がいて、彼女の腕に無数のリストカットの痕があるところにリアリティを感じた。
機嫌が悪い時や仕事で失敗した時は暴力を振るってきたし
食事や水を制限されたり スーツケースに閉じ込められたりした
社会的弱者がより弱い未成年を監禁して、腹いせに暴力をふるい、虐待するという構図だ。
浩然も日常的にマヤに殴られていた。虐待を受けてつらいと感じたらますますつらくなるから、次第に無感覚になっていたのだろう。生き延びるために。
マヤの左上腕にはカエルの刺青が入っている。1巻ep.05でもちゃんと描かれているが、この場面ではよりはっきり図柄が見える。
マヤは麻薬や覚せい剤を常用している。異常な興奮と妄想、その後の脱力感は典型的な覚せい剤の症状のように見える。
部屋の窓から街ゆく人を眺めている浩然にマヤが話しかける。
マヤ「なにみているのぉ」
浩然「別に…人……」
マヤ「なぁお前、むかつかねえ?
住む場所とかさぁ、家とかさぁ、お前以外の殆どはこんな苦労しねぇで手に入れられるんだよ。
お前が欲しくても手に入らなかったもん、簡単に当たり前に持ってんの。
アイツも、アイツも、アイツも!
殺したくならねえ?」
浩然のみならず、マヤもまた、生まれた家庭やその後の成育環境に問題があったことは想像に難くない。貧しさ、家族から愛されなかった幼少期、まともな教育が受けられなかった…そういう背景が見える。
だから、マヤは自分が欲しくても手に入らなかったものを当たり前に持っている人々を憎み、嫉妬し、「殺したい」とすら思っている。
浩然は
「…わかんない。俺がほしいもの、殺しても奪えないから」
と答える。
浩然の「ほしいもの」とは何だろう。愛情、安心して暮らせる場所、将来の夢や生きる希望…?
居場所がない浩然は、マヤとの同居を続けるしかなかった。
ある日、客のドMの甥を死ぬ寸前まで殴れるかとマヤに聞かれ、浩然は命令通りに相手を殴る。
依頼した客から浩然のことを
「人のこと殴り殺すって普通の神経してたら無理でしょ」
と言われたマヤは嬉しそうだ。
マヤは≪普通の神経をしていない≫浩然に親近感を抱いている。
「俺と隼人って似てるよ。てかもう「一緒」じゃねえ?
ほらソウルメイトってやつ? あれこれ古い? はは…
運命共同体? これも古いし、なんかちげーな。
一緒なの、なんて言えばいいの?」
孤独なのはマヤも同じで、一緒にいてくれる相手を求めているように見える。だから、浩然を側に置いておきたい。
この場面を読んで、想像していたより根が深いな、と思った。
マヤが浩然をただの「SMクラブの商品」として手元においていたなら、事態はそれほどこじれないと思う。
単に自分を警察に売って逃げた浩然を恨んでいる、というだけなら。
しかし、マヤが浩然に精神的に依存しているとなると、一筋縄ではいかない気がする。
マヤと浩然が再会したことで、この先波乱の展開になることが予想されるが、おげれつ先生は、マヤを我々読者が受け入れられないほど嫌悪感を抱くような人物としては描かないだろうと思う。
おげれつ先生は、ちるちるのインタビューでマヤについて
「小柄な所がお気に入りです。フワフワしている人なので、嫌いにならないで貰えると嬉しいナ……と思います」
とおっしゃっている。
「錆びた夜でも恋は囁く」で弓を殴っていたかんちゃんの方から「俺、これ以上ひどい奴になりたくない」と言って別れる場面を読んだ時、おげれつ先生は「本当に嫌な奴」を描かない方なのだとわかった。
DVでは殴っている側は「俺を怒らせて殴らせるお前が悪い」と考えていることが多く、殴っている側から相手を離すことなんてほぼないから、殴られている側が逃げ出すか第三者が介入するしか解決策がないことがほとんどだ。
「錆びた恋は…」では、やろうと思えばかんちゃんをもっとひどい男に描けた(というか現実はそうなる)のに、おげれつ先生はそうしなかった。
厳しい言い方をすれば「甘い」が、先生は優しい方なのだなと思った。
だから、マヤもきっと、ただの憎まれ役では終わらないのだろう。
我々読者が好きになれる要素がこれから描かれるのではないかと予想している。
その時の俺の世界は 閉じ込められたスーツケースよりずっと狭くて
逃げられるチャンスはたくさんあったはずなのに
自分で気づかない振りをしていた
物理的には逃げるチャンスはあったと思うが、浩然はマヤの元から逃げなかった。
逃げてどこへ行くと言う当てもなかっただろうし、何より希望がなかったのだと思う。
いびつな感情でも自分を必要としているマヤから離れて、新しい人生を歩む希望が。
俺なんかいつでも死ねる 死ねばいい 死ねば解放される
と、浩然は思っていた。
しかし、SMクラブの客である「森さん」に24時間虐待され大怪我をした後に、またマヤに「森さん」の所に派遣されそうになって、ついに行動を起こす。
以前マヤは「これで森さんは最後にしてやるからさ」と言ったのに。それまでにも相当ひどいことをされていたのだろう。「森さん」と聞いて浩然は震えていた。
覚せい剤(か麻薬)を自ら静脈注射してキメながら、マヤは「森さん」に浩然を「殺しちゃってもいいっすよ~」と言う。
それを聞いた浩然は、今度こそ本当に殺されるかもしれないと身の危険を感じたのだろう。
警察にマヤの店と薬のことを密告し、マヤのもとから逃げ出したのだった。
結局俺は願うことをやめれられなかった 諦めきれなかった
だって俺は まだ一度も生きてない
「まだ一度も生きてない」と浩然は感じている。
自分の意志で、自分が望むように生きていないという意味なんだろう。
千紘と出会って、浩然が「生きている」と思えるようになる日が来ると信じている。
「家みつかりそ?」
風呂から出た千紘が浩然に話しかける。裸の胸元には浩然からもらったハートのペンダントが光っている。
「ああ、あと3日くらい」と答え、家具を一旦全部捨てるという浩然に、千紘は「ベッドだけでも!」と残念そうにしている。
浩然「千紘……守ってくれるんだよね?」
千紘「…おう」
浩然「一緒に逃げてくれる?」
千紘「当たり前だろ」
千紘が迷いなく答えると、それまで真っ黒だった浩然の瞳にようやく光が射す。
浩然は嬉しそうに千紘にキスをする。
千紘「今日はすんの?」
浩然「したい」
ぜひ、してほしい。こちらも見たい。
浩然が千紘の腋窩を舐めた時、腋の毛も金髪だったので、「あれ?」と思っていたのだが、おげれつ先生が「千紘の金髪は染めているのではなく地毛」とスペースでおっしゃっていたのを聞いて納得した。
浩然に咥えられながらアナルに指を挿れられて、千紘が「だめ…だって」と言った時、浩然は「ふぁふぇひゃはい」と答える。
これは「だめじゃない」だとわかるのだが、ep.07でフェラしながら「ひんははひほひふ?」と言ったところは何を言っているのかわからなかった。
二人の愛情表現としての濃厚なセックス。
千紘の中で達しながら、浩然は思う。
千紘 俺の千紘
やっと手に入った 絶対に奪わせない
千紘がいなきゃもう……
≪もう生きていけない≫
やっと手に入った、浩然の≪ほしいもの≫。
だから、浩然は千紘にも同じように思ってほしい。
「俺がいなきゃ、生きていけなくなってくれ」
千紘は目に涙を浮かべながら浩然の顔を引き寄せ、答える。
「……もうなってる…」
浩然の睫毛に滴る一粒の雫。なんて詩的で美しい涙の表現だろう。
この場面も本当に素晴らしい。二人の愛を感じて、こちらも震えるような深い陶酔に浸ることができる。
冒頭と同じく、二人は夜でも明るい東京の街を歩いている。
千紘はまた空に星を探す。
本当はある星が 目先の光に消されて見えない
そんなことが 俺たちの人生には それこそ星の数ほどあるんだろう
なのに俺たちは 目先の光に飛び付くほかない
だって星の光は 届かない場所にあるから
浩然が千紘に声をかける。
「どうした? 行こう」
千紘は浩然と手を繋ぐ。
東京の空にオリオン座は見えなくても、千紘の目の前には浩然という美しい地上の星がある。
それは空の星よりも遥かに価値があると私は思う。
あとがき
先日のスペースで、作品のイメージソングについての質問に対して、おげれつ先生は、菅田将暉さんの「まちがいさがし」が「ハマる」とおっしゃっていました。早速聞いてみたところ、確かに合っていました。(当たり前?)
でも私は個人的には、ep.10を読むといつもAimerさんの「六等星の夜」を思い出します。
(私はとりわけAimerさんのファンというわけではないのですが、「ポラリス」は私にとってBLのイメージそのものです)