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「囀る鳥は羽ばたかない」 6巻第29話


6巻第29話


 6巻の表紙は雨降る夜の新宿。
 煙草を吸いながら横断歩道を渡る矢代を百目鬼が追いかけている。
 まるでこの頃の二人の関係のようだが、6巻では矢代の百目鬼への想いを感じる場面が随所にある。
 ああ、矢代は百目鬼が好きなのだと、私は6巻を読みながら何度も思う。



感情を表に出すのが苦手な子供だった


 百目鬼の幼少期の回想から第29話が始まる。

 きっと口数が少なく、まじめな子供だったのだろうと想像がつく。


竹刀を握る時だけは、心が解放されたのを憶えてる


 竹刀を握らなくなった今、百目鬼はどんな時に心が解放されるのだろう。



 矢代に置いて行かれて、一人アパートの部屋に取り残された百目鬼は、壁にもたれかかって座り込んだまま動けないでいる。

 矢代が残していたシャツをぼんやり眺めながら。

 シャツが掛けられている針金ハンガーや古い壁の亀裂から、このアパートでの百目鬼の質素な暮らしぶりを窺い知ることができる。ヨネダ先生の細かい描写が光る。


 私は第26話で「百目鬼は矢代が自分のTシャツを着ていたことを知らない」と書いたけれど、矢代のシャツを眺めるこの場面の百目鬼の表情を見て、いくら百目鬼でもさすがに気づいたかな、と考え直した。

 矢代のジャケットとパンツ、そして自分が着ていたTシャツが部屋から消えていて、白いシャツだけがハンガーにかかっているのだから。

 矢代が自分のTシャツを着た姿のまま、竜崎に乳首を噛まれていたとは夢にも思わないだろうが。



 矢代が影山医院に現れる前、杉本と百目鬼は電話で話をしている。

 外に置かれたたままのレクサスの鍵が見当たらないことを百目鬼から報告された杉本は、

「…それ、お前を置いて出てったってことじゃねぇのかよ」

と矢代が百目鬼を捨てたことに気づく。


「あの人はな、面倒な持ち物はすぐ捨てんだよ。下半身しか興味ねえ人に、面倒くせえモン向けんなよ」


 矢代にとって「好意」は「面倒なもの」だと杉本は認識している。


 百目鬼も、矢代がなぜ自分を置いて行ったのかわかっている。
「勃ったら、俺を側に置かなくなる気がする」とずっと前から予感していた。(2巻第6話)
 セックスしたら捨てられるとわかっていても、百目鬼は「あの人を繋ぎ止めたかった」のだ。


失くすのが怖いくせに、簡単に捨てていく


 百目鬼は自分に抱かれて何度も射精していた矢代を思い出す。


触るだけで震えて、“おかしくなる”とうわ言みたいに口にして、水のように色のなくなったものを何度も…


 それから、お風呂場で、


お前を どうにもできない


と呟いて、混乱していた矢代の顔を。



 その時、百目鬼のズボンの左ポケットから、影山のコンタクトケースが転がり落ちる。

 第17話で百目鬼が、矢代の寝室の引き出しからうっかり持って来てしまったものだ。

 以前に書いたように、このコンタクトケースは高校時代から矢代が影山を想っていた証、矢代がどれほど一途に人を好きになるかの象徴だ。

 百目鬼がケースを握りしめる。まるで矢代の想いそのものを、その手に強く掴むかのように。


 矢代は百目鬼のTシャツを捨ててしまったかもしれないけれど、百目鬼は影山のコンタクトケースと矢代のシャツを捨てられないのではないかと思う。

 8巻以降、おそらくこの質素なアパートからもう少し高級なマンションに引っ越しているだろう百目鬼の部屋を矢代が訪れることがあれば、少なくともコンタクトケースを見つける(あるいは百目鬼が返す?)のではないかと予想している。


 レクサスの鍵が開く音に、百目鬼が反応する。
 家の中にいてこの音が聞こえるとは、なかなかの壁の薄さだなと思う。

 矢代の喘ぎ声とか、隣の部屋にいたら全部聞こえたのではないだろうか。

 甘栗が矢代の命令でレクサスを取りに来たのだった。

 矢代の居場所を「教えてくれ」という百目鬼に、甘栗は「なんで子分のお前が知らねーんだよ」と聞き返す。


甘栗「こんな使える兵隊置いてってどうしようってんだ? あの淫乱。意外に甘ちゃんなところもあんだな」

百目鬼「頭を守るために俺が行く。お前じゃムリだ」

甘栗「守る!! 傑作だな、オイ。守られてんのはテメェじゃねぇか


 甘栗に痛い所を突かれ、百目鬼はショックを受ける。


 矢代は平田と対決する最終局面に、誰も連れて行かない。七原も杉本も、そして百目鬼も置いていく。

 それは、二人きりになることで平田に本音を言わせるためでもあり、部下を危険な目に遭わせないという目的もあったのだろうと思う。

 矢代を守る役目の部下たちは、結果的に矢代に守られることになる。


 ただでさえ矢代に置いて行かれたことでダメージを受けている百目鬼に向かって、甘栗が

「しっかしお前ら、あんな便所野郎によく付いてられんな」
「体張って守るような人間か? あれが」

 などと、矢代を侮辱するようなことを立て続けに言うので、百目鬼は怒って甘栗の頭を掴み、レクサスに叩きつける。

 甘栗の右腕を捉えた百目鬼は、

「(折る)腕、一本じゃ足りなかったか」
「お前は道案内だけしてればいい」


と静かに怒りをたぎらせて脅すのだった。矢代の言う「重戦車」百目鬼、全開で。



 一方、道心会幹部の会議で「竜崎と幹部は破門、松原組は解散」と松原組のシャブの件の処分が決まる。

 三角と対立する柳が平田の処分について尋ねる。
 三角は平田の動きに気づいているが、ここではまだ「平田がどうした」とシラを切っている。
 柳はシャブに手を出していいたのが平田=真誠会なのではないかと匂わす。
 三角と柳の対立は、第35話で決着が着くことになる。



 鯨から連絡を受けたことを天羽が三角に伝える。

 鮫・鯨や平田の子飼いの二人(甘栗たち)をうまく使う矢代について、
天羽は「矢代さんは人を使うことに長けた方ですね」と評するが、

 三角は「さあ……どうだろうな」と受け流す。

 矢代の本質をよく理解している三角には、違う部分が見えるのだろう。



 甘栗を助手席に乗せ、レクサスを運転する百目鬼は矢代の元へ向かう。

 道中、甘栗が平田と出会ったのは「刑務所」だと語る。
 平田が三角を狙った元銀友会の残党を殺し(さらに黒羽根を殺し)、服役した時の事だろう。

 甘栗から、平田が妹(かなんか)からの手紙を開けもしないで捨てていたことを聞いた百目鬼は、自らの過去を思い出す。

「あそこで手紙を読まずにいられるのは、俺には分からない」

 百目鬼の脳裏には葵の泣き顔が浮かぶ。

「お兄ちゃん!」とでも言っているかのようだ。


遠く、霞んで見えなくなるくらい遠くへ


 幸せそうに見える家族の風景。原作ではわずか1コマの場面だが、ドラマCDでは両親と百目鬼、葵の会話が挿入されている。

 百目鬼は、思い出を遥か彼方に遠ざけておきたい。美しいまま、懐かしく振り返ったり、もう一度手にしたいと夢見たりしないように遠くへ…。


 百目鬼が幼い頃の葵と繋いだ手は、幼稚園児たちが繋ぐ手に変わり、時はしばし過去に戻る。

 19歳の頃の矢代が三角の命令で、保育士見習いとして働くともこ(黒羽根の姉の子)を見守っている。

「隠し子か何かですか?」とともこの写真を撮ってきた矢代に聞かれて、三角は「バーカ、愛人に決まってんだろ」と答える。

「俺と同い年ですよ」と矢代は相手にしない。

 三角は、まだ自分と親子の盃を交わす前の「ヤクザに見えない」矢代を使って、ともこの様子を見に行かせたのだった。


 その夜、矢代は平田の部下の男に

「お前今日何やってた?」と問い詰められる。犯されながら。

矢代「ざっ雑用…させられただけ…っ」
男「オヤジ(三角)と寝たのかよ」
矢代「…ってない」
男「ホントか!?」

「うそ。ねた…」と矢代が答えると、男は矢代の頬を引っ叩く。

 この時矢代は三角と寝る前なのだが、男を怒らせるためにわざと嘘をついたのだった。

 男は矢代の首筋に歯を立て、

「俺の方が気持ちいいだろ!?」と激しく矢代を突き上げる。


あー…痛いと吐き気がおさまるな…

 首筋を噛まれ、後ろから犯されながら、矢代はこう思う。

 男は矢代に惚れている。

 矢代は好意を向けられると吐き気を覚える。自分自身のことを「汚い」と感じているから。
 吐き気の原因を直視できないまま、「痛いセックス」で自分を誤魔化している。

 あのオッサンなら、もっと乱暴なセックスするかな

と男に抱かれながら矢代は三角のことを考える。

 矢代と三角のセックスシーンは一度も描かれていないので、読者は想像するしかないが、意外に普通なんじゃないかと私は思っている。



 事後、矢代は黒羽根について聞く。

男「オヤジの昔の右腕」
 「10年くらい前に、三角のオヤジが撃たれた報復に行って刺されて死んだらしい」

矢代「子どもとかいた?」

 矢代はともこが黒羽根の子供なのではないかと推察している。
 実際には姪だが、三角にとって片腕(半身)だった男の忘れ形見であることは変わりない。


 男は矢代に黒部根の名前を「頭(平田)前では口にすんなよ」と釘を刺す。

男「不機嫌になんだよ。えらくな」

 察しのいい矢代には、これだけで大体事件の真相がわかったことだろう。黒羽根と平田の間に何かがあったことに気づいたに違いない。
 そして、矢代は後日ともこに接触し、平田と「ケンちゃん」て叔父さんのことを聞くのだった。(6巻第34話)

 矢代と男の会話は、天羽を連れた三角が黒羽根の姉(ともこの母)と喫茶店で会う場面と重なっている。

 三角たちが何を話しているのか、その内容は文字では書かれていない。

 三角と女の表情や行動から想像するしかないが、三角が成長したともこの写真を女に見せ、女が三角に金を要求したことはわかる。

 金を受け取った女が去った後、三角は寂しそうな顔をしている。

 テーブルの上には、ほとんど手も付けられなかったコーヒーカップと、ともこの写真が残されている。

 女は金だけ受け取って、写真は置いて行ったのだった。

 三角と女の会話の詳細な内容は、ドラマCDで聞くことができる。

 三角は、長い間音信不通だったともこの母にともこを会わせようとしたが断られ、金だけを要求されたのだった。
 長年探していた黒羽根の姉にようやく会うことができ、三角はともこを母に会わせてやれることを楽しみにしていたのだろう。 
 大切な片腕だった黒羽根の家族に何かをしてやりたいという三角の思いは、虚しく拒絶されたのだった。

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