「囀る鳥は羽ばたかない」 6巻 第34話
第34話
第46話を読むまで、第34話は私にとって最大の問題回だった。
私はこの回を読むといつも胸が苦しくなる。
だから、第34話の考察・感想は私にとって最もハードルが高く、個人的な体調不良もあってなかなか書き始めることができなかった。
矢代と平田の最後の対決
矢代は、甘栗たちを使って平田から奪った金塊を三角に届けさせる。
どうせ平田の裏金、隠し財産なのだから、甘栗たちにある程度取り分を与えて、残りは自分のものにしてもよさそうなのに(おそらくほかのヤクザならそうする)矢代はそうしない。
所詮この世は金次第とわかっていても、矢代は必要以上に金に執着することはない。
そういう強欲さも野心もないし、そもそも平田との対決の後、自分が生きて平田の金を使う機会はないと思っている節さえある。
三角は平田への怒りを露わにし、「報いは受けさせる」と自分を裏切った平田を処分することを決意する。
空港近くの倉庫の中で、矢代は平田と対峙している。
外は雨。倉庫の中にも雨音が響いているだろう。
甘栗に結束バンドを切らせ、平田が自由に動けるようになった状態で矢代と二人きりになることに、私ははじめから不安を感じていた。
どんなに矢代が賢くても、力や体格で平田が勝っているのは明らかだ。
私の心配をよそに、矢代はいつも通り飄々として、平田にタバコを勧める余裕すらある。
平田は、豪多殺しの濡れ衣を矢代に着せようとしている。
百目鬼に殴られて矢代たちに恨みを抱いた井波が、矢代の血のついたシャツをホテルのごみ箱から回収して、現場に置いた、あるいは後から現場に置いてあった証拠として提出したのだ。
本当に執念深い嫌な奴だが、井波の活躍は7巻以降でも続く…。
豪多組の連中がおまえを殺すという平田の脅しにも、矢代は動じない。
矢代も三角も、既に平田が豪多を殺したことを知っている。
矢代は甘栗たちに平田の隠し財産を持ち出させ、矢代と甘栗たちしか知らない場所に運ばせていることを話し、平田を追い詰めていく。
その頃、車を運転している甘栗の相棒は、矢代は多分死ぬから「このままバックレないのか?」と言い出すが、甘栗は矢代の恐ろしさが身に染みたからか、「(死なねぇかもしんねぇし)いや……止めとこうぜ」と考え直す。
この甘栗の判断は正解で、天羽が鮫・鯨に甘栗たちを尾行させていたため、バックレようとしても失敗したに違いないのだ。
矢代は平田を怒らせるために、わざと挑発している。
平田は立ち上がってパイプ椅子で矢代を殴る。
この問いに対する矢代の答え。
矢代のこのセリフに、私はショックを受けた。
矢代がそんなふうに考えていたなんて。
矢代は生きたいと思っていない。生きることに希望を持っていないのだ…。
以前の記事でも触れたが、ヨネダ先生は初期のカカイル同人誌「言葉にできない」(小説)の中で、似たような文章を書かれている。
任務中に重傷を負ったカカシが
と思う場面だ。
積極的に自殺したいとは思わないけれど、任務の途中で死ぬなら、まあそれでもいいか、という諦念。
生きることへの情熱のなさがヨネダ先生の描くカカシと矢代には共通している。
「言葉にできない」では最後にカカシがイルカに
と言う。
私はきっと矢代もカカシと同じようになると思っている。
百目鬼との関わりの中で、生きる意味を見出せるようになるのだと。
矢代が核心を突くと、平田はついにキレて矢代を殴る。
図星だからこそ、平田は理性を失ってしまう。
それはあるかも、と私は思った。
畳みかけるように矢代は黒羽根事件の真実を突きつける。
矢代は盃をもらう前、三角の命令で調査した「ともこ」に後日近づいて、平田と「ケンちゃん」という叔父さん(黒羽根)のことを聞いていたのだった。
矢代がここまで問い責めると、とうとう平田は自分から真相を吐き出す。
黒羽根は、平田がヤクザになって唯一欲しいと思ったもの(三角からの絶対的な信頼と片腕という唯一無二のポジション)を持っていた。
それを奪うために平田は黒羽根を殺した。
黒羽根が死んでようやく三角が平田を視界に入れたと思ったら、今度は矢代が現れた。
三角は矢代を溺愛して、平田を差し置いて本家の盃を与えようとしていた。
三角が自分の後継者を矢代にしたいと考えていることを知った平田は、三角を道心会会長候補から引きずり下ろすために竜崎を焚きつけて矢代を襲わせて(平田はここで矢代を殺したかった)、豪多組組長まで殺した。
平田を激昂させて、自分から事件の真相を喋らせるために、矢代はわざと平田を挑発していたのだった。
矢代は本当に冷静で賢いと思う。
相手を愛しているからこそ、愛してもらえないと激しい憎しみが生まれる。
矢代は平田の三角に対する愛憎を理解している。
「盛大な愛の告白ですね」という矢代のセリフは的を射ている。
ヨネダ先生は平田について「潜在的なホモ」、「平田は三角に対して、別に性的な感情がある訳ではないんですけど」(2020年度版 このBLがやばい!)とおっしゃっている。
性的な感情抜きで、憧れの同性に執着し、その人の特別な存在になりたいと思う気持ちは案外普遍的なものだと思う。
「一流の人に一番に思われたい」という感情は平安時代から変わらないものだな、と思った。
(枕草子 第96 or 97段「すべて人に一に思はれずは、なににかはせむ」)
矢代は平田の告白を録音し、音声を三角(送信されたスマホ自体は天羽のものかもしれないが)に送ってから、スマホを投げ捨てる。
平田を拷問して自白させたところで、道心会の幹部たちは矢代を信用していないから平田に罪を着せていると思われることを先読みして、矢代は平田が自分からすべてを白状するように仕向けたのだった。
さらに、警察にある証拠品(血のついた矢代のシャツ)は既に処分済みだという。
矢代はおそらく(井波に矢代を紹介した)セフレの刑事に電話して、金と引き換えに処分を依頼したのだろう。(6巻第31話 影山医院で矢代が電話をかけている)
倉庫の床に落ちていた鉄パイプを拾い上げ、
と凄む平田に
ドMの振りをした矢代は余裕の表情で答えるけれど、平田は痛めつけて楽しむなんてものではなく、本気で矢代を殺そうとしている。
平田に殴られて床に倒れ込んだ矢代のスーツから、拳銃が転がり落ちる。
拳銃を見て、平田は「こんなもんもっていながら丸腰の振りか」とさらに激昂し、手にした鉄パイプで矢代を繰り返し殴りつける。
平田との体格差を考えれば、丸腰の矢代が勝てるわけがない。
矢代は平田を殺さなくても、自分の身を守るために、この拳銃を失ってはならなかったはずだ。
しかし、この時矢代は拳銃に手を伸ばそうともせず、ただ平田に殴られている。
そしてここから、矢代のモノローグが始まる。
矢代にとって生きることは
この部分の解釈は、私にとって最大の問題だ。
「……壊すな…俺を」と言う矢代に、「壊しません、絶対に」と百目鬼は答えた。
この時矢代は、≪違う、そうじゃない≫と思う。(5巻第25話)
私はこの≪違う、そうじゃない≫を、百目鬼が矢代を壊さないように大切にすればするほど、従来の矢代(人と関わらないことで自分の心を守っている)は壊れてしまう、という意味ではないかと考えている。
もしも、≪もうとっくに 壊れていた≫が≪違う、そうじゃない≫に繋がるのだとしたら(もう俺は壊れているから、百目鬼が壊さないと言っても変わらないなら)、「……壊すな…俺を」という言葉の意味がなくなってしまう。
矢代が言う≪もうとっくに 壊れていた≫は、家族に愛されず、養父から虐待を受けたことで、矢代の心は壊れてしまい、綺麗なもの、大事なもの、幸せなものという、本来なら人間が愛し、守りたいと思うものを、大切にすることができなくなってしまったということなのだろうか。
あるいは、矢代は綺麗なもの、大事なもの、幸せなものが、今の自分には手の届かないものだから、それを壊してしまいたい、と思うのだろうか。
矢代にとって、養父によって性的虐待された自分は「汚いもの」、それに対して百目鬼は唯一の「綺麗な存在」であるならば、綺麗なもの(百目鬼)を汚して、自分と同じところまで落としたい(そうすれば手が届くから)ということなのだろうか。
百目鬼も矢代に対して「あの人を守りたい 大事にしたい 傷つけたくない」と思う一方で、「なのに 汚したい」(3巻第16話)という欲望を抱いているし、二人とも同じような矛盾した感情を抱えているように見える。
3巻第16話の記事でも書いたが、私にはこの「好きな相手を汚したい」という感覚が全くわからない。
男性の中にはこう思う人もいるようだから、機会があったら聞いてみようと思う。
この部分は理解できる。
誰しも、生きることによって心身ともに消耗する。
心と体をすり減らしながら、いつ果てるとも知れない人生を歩んでいくのだ。
でも、すり減った分と同等ではないにしろ、自分を癒し、満たしてくれるものがあれば、エネルギーは補充され、生きる意欲が湧いてくる。
人によってそれが、家族であり、友人であり、恋人であり、仕事であり、趣味であり、推しであり、神(=猫)であったりするのだろう。
私にとってBLがその一つであるように。
もしも矢代を癒し、満たしてくれるものがないのであれば、ただ擦り切れていくだけの人生はつらい。
不特定多数とのセックスでその場かぎりの快楽を味わっても、乾いた心は満たされない。
矢代が抱えている孤独感や欠落は、大なり小なり、私たちの心の中にもあって、だからこそ読者は矢代に共感できるのだと思う。
矢代は過去の虐待が残した傷と一度は正面から向き合わなければならないだろうが、その傷が完全に癒えなくても、たとえ心の中の欠落が埋まらなくても、生きることに意味や希望を抱いたり、人を愛することはできるようになると信じている。
背後から首を絞める平田に、矢代は全く抵抗しない。
生きることを諦めて、「ああ、これでよかったんだ」とでも言うかのように瞑目して死を受け入れている。
矢代はこのまま死んでもいいと思っているのだ。
この場面を読んだ時、私はまたしてもショックを受けた。
矢代がこんなに、生きることを望んでいなかったとは…。
矢代にとって生きていることは苦しいことだった。
だから、平田の手にかかって死ぬことで、ほっとしているかのようにさえ見える。
生きることに希望を持てない矢代が、私は可哀想でたまらない。
首を絞められて気を失った矢代が目を開くと、ぼんやりとした視界の中に、馬乗りになって平田を殴る百目鬼の後姿が映る。
百目鬼は矢代が目を覚ましたことに気づき、「頭…っ」と歩み寄ろうとする。
すると、平田は百目鬼が離れたその隙に、落ちていた拳銃を手にして引き金を引く。
放たれた弾丸は百目鬼の左胸に命中し、百目鬼は「かし…」と最後まで矢代を気にかけながらその場に倒れ込んでしまう。
「このくたばりぞこないが」と言って、平田は百目鬼に近づき、とどめを刺そうと銃を向けるがもう弾がなくなっていて、これ以上撃つことができない。
(ここで撃たれていたら間違いなく百目鬼は死んでいたから、本当によかった)
百目鬼を見て平田は「誰だコイツ」と呟くけれど、矢代の用心棒として事務所に出入りしているところを見たことがあったのではないだろうか…?
その時、いつの間にか立ち上がった矢代が、両手に持った石で後ろから平田の頭をガツンと殴りつけた。
倒れた平田を、右手に持った大きな石でさらに殴る矢代。
衝撃的な瞬間だった。
矢代は、自分は死んでもいいと思って平田に抵抗しなかったのに、百目鬼を守るためには立ち上がって、必死で平田を攻撃したのだ。
矢代がどれほど百目鬼を好きか、大切に思っているか、こんなにはっきり行動で示すことになるなんて…。
おそらく矢代自身も、ほとんど無意識に体が動いてしまったことに驚いていたのではないだろうか。
おまえは、俺を…
雨の中、うつ伏せに地面に倒れ、意識を失ったままの百目鬼の傍らに矢代が跪く。
矢代は震える指先で百目鬼の左頬の傷に触れ
と呟くのだが、上空を飛ぶ飛行機の轟音にかき消されて、その後何と言ったのかわからない。
以前の記事にも書いたが、ヨネダ先生は昔、この場面と同じ手法を山ヒバの同人誌「それでも世界は廻ってる」で使っている。
学校の屋上で、雲雀が山本を殴り倒した後、覆いかぶさるようにキスをして「なんでボクは君を殺せないんだ」と言うのだが、セリフの一部がヘリコプターの騒音によって消され、山本を見下ろす雲雀の顔がアップになっている。
この場面の矢代、百目鬼、飛行機とまさしく同じ構図なのだ。
ただ、山ヒバの同人誌では雲雀のセリフがカタカナの「バ」の文字によって、部分的に隠れているだけなので、雲雀が何と言ったのかがわかる。
矢代の場合は、「ゴ」の文字で消された「俺を」に続くセリフがわからない。
何度かページを透かして目を凝らしてみたが、もちろん見えるはずもない。
私は「お、まえは、俺を壊した」だと思っているが、順当過ぎる予想かもしれない。
この場面は、いつか必ず回想シーンとなってもう一度描かれるだろう。
その時に、我々読者は答えを知ることになる。
ヨネダ先生は、私の予想を裏切って、もっと意外な言葉を隠しているのかもしれない。それも楽しみだ。
この後、矢代は平田に頭部を石で殴られ、再び意識を失ってしまう。
降り続く雨の中、矢代と百目鬼は寄り添うように倒れたまま、第34話が終わる。
「結末を予想する」でも書いたが、私は46話を読むまで、この物語は矢代と百目鬼のどちらかが死ぬか、二人一緒に死ぬことで終わるのではないかとずっと不安だった。
「どちらかの死」以外に二人を結び付けるものはないのではないかと本気で思っていた。
そして私は、愛し合っている二人が一緒に死ぬ、という結末がわりと好きなので、正直それでもよかった。
もし、リアルタイムで第34話を読んでいたら、ラストのシーンで「やっぱり、予想通り…!」と考えていたことだろう。
しかし、私は既に7巻まで発売された後で第34話を読んだので、二人が死なないことを知っていた。
だから安心してページを捲ることができた。
(第22話の時も思ったが、当時のリアルタイム読者様の不安と動揺を想像するだけでつらくなる)
その後、第46話を読んでからは、物語の結末に関する私の考えは大きく変わり、今では二人は生きて幸せになれる、と確信している。
第34話の矢代を見て、私はカミュの言葉を思い出した。
6巻までの生きることに希望を抱けない矢代は、この先、生きることを愛せるようになるだろうか。
答えはもちろんイエスだ。
矢代は過去の痛みを乗り超えて、自分や他人を愛せるようになり、生きる希望を見出すことができるだろう。
そのために、百目鬼と出会ったのだ。