「呪術廻戦展」感想
注意:ネタバレあり。筆者は五条悟ファンです。
夏五派腐女子でもありますが、今回は死滅回游以降の展開に疑問を持つ読者としての感想がメインです。
はじめに
261話で「呪術廻戦」に見切りをつけ、本誌を追うのも27巻以降の単行本を買うのもやめた私だったが、2024年7月から渋谷ヒカリエで開催されている「呪術廻戦展」に行ってきた。
プレミアム先行販売チケットを申し込んで当選し喜んでいた時の私は、まだ五条悟の復活を信じていて、まさかその後原作がこんな惨状になるとは予想していなかった。
行くのをやめることも考えたが、ネットで展示内容の一部を知って興味が湧き、大好きだった呪術廻戦関連の最後のイベントとして見届けることにした。
私はできるだけ暗記するように必死で観覧していたが、内容はほとんどすべて図録に載っていたので、図録を買う予定の方は絵をじっくり見たりオーディオガイドを集中して聞いたりすることをお勧めする。
領域之壱 秘匿ネーム解禁 だから死滅回遊以降はめちゃくちゃなのか
会場に入ってすぐ、呪術廻戦の原型となった「呪術匝戦(そうせん)」のネーム(第1話~第3話)が展示されている。
この話はジャンプ連載会議の結果≪不採用≫とされ、同作を原型としてキャラ、ストーリー、設定を練り直して「呪術廻戦」が生まれた。
ネームの一部が公開されているだけで細かい内容はわからなかったので、ポイントだけ書いておく。
もともとの主人公は虎杖悠仁ではなく伏黒恵だった。苗字は伏黒ではなく鰐淵(わにぶち)。虎杖は伏黒のサポート役だった。
恵は「名前を呼ばれるのを嫌がって、一音ずらしてメゲにしたんだよね」という津美紀のセリフがあった。メゲより恵の方がよっぽどいいと思うが……
主人公・鰐淵恵が「怪病(のろい)」にかかって視力を失った杉沢津美紀と同居していて、津美紀の額には羂索のように縫い目があり、開くと邪眼みたいな第3の目が現れる。
「人を殺さないと自分が死ぬ、さあ殺しあえっていうクソゲー」=死滅回游に伏黒たちが巻き込まれる。
呪いが取り憑くのは虎杖ではなく伏黒で、伏黒が宿儺のように「ゲラゲラ」笑っているシーンがある。死滅回遊はポイント制で100ポイントたまるとルールを追加できる。
七海は死滅回遊のプレーヤーの1人で、上司にムカついて会社の人間を皆殺しにするような性格。
このネームとその後に展示されていた作者のQ&Aを読んだ時、私はなぜ現在の「呪術廻戦」がこんなにめちゃくちゃになってしまったのかわかった気がした。
プロトタイプから「きちんと少年誌に向いたものを」と編集が軌道修正して主人公が伏黒ではなく素直な性格の虎杖になり、「乙骨がいない方がシンプルでは?」と担当編集片山氏のアドバイスを受けて冒頭では乙骨を登場させない選択をして、「呪術廻戦」はバランスの取れた作品に成長していったのに、渋谷以降作者と編集の関係性が変わったのか、作者がもともと自分が描きたかったものをありったけ詰め込んだのが死滅回游以降のストーリーだったのだ。
一度没になったアイデアを作者のエゴによって採用したために、死滅回游はまずルールからわかりにくく、話が散らかってまとまりを欠いた展開になってしまった。
宿儺が伏黒の体を乗っ取った場面では話としては面白いと思ったが、なぜ伏黒は宿儺に耐性を持っているかが不明なまま今に至っていて説明不足だ。
「なぜ宿儺が伏黒の体に入ったか」の答えは、プロトタイプの時点から作者が「そうしたかったから」だったのだ。
先日You tubeで某漫画家さんが「作家の表現したいものってまばらに散らばっている」と言っていた。
それを聞いて私は「ああ、だからまばらに散らばった描きたい物をそのまま詰め込んでしまうとストーリーがめちゃくちゃになるんだな」と呪術廻戦のことを思い出して納得した。
作家の描きたい内容を、ターゲットとする読者層に求められる作品に集約していく道筋となるのが編集の役割だと思う。
死滅回游以降のジャンプ編集部は何をしているだろう。
領域之弐 作画工程
作品展は「呪術廻戦」本編のネームと作画工程、作者のQ&Aが盛りだくさんなのだが、これから行く方は逆回り禁止=前の展示に戻れないというルールがあるので気を付けていただきたい。
私は絵の才能がないので作画工程よりも領域之参にある「芥見下々Q&A」の内容を中心に見た。
メインアシスタントさんが6名もいて、その仕事ぶりを純粋に凄いなーと思った。
領域之参 ストーリー順にネーム、原稿、作者のQ&A
以下、作者のQ&Aで私が気になった点について。(Qは省略)
両面宿儺~幼魚と逆罰
他にもここは「BLEACH」を参考にした、とか堂々と書いてあって、アイデア元となった作品をこんなにはっきり記載している漫画の展示を始めて見たので驚いた。これではパクリと言われても仕方がない。
その理屈、物語終盤でもまだ(261話時点)成立していない。これから?
宿儺戦、すでに相当だるいけどまだ巻かないの?
京都姉妹校~起首雷同
この後も出てくるのだが、連載中の作品に対して作者が「完全に失敗」とか言っていいのか。読者は失敗作を読まされている?
虎杖と津美紀を会わせることはできなくても、平安時代の万と宿儺の出会いを掘り下げずにせめてあの回で恵と津美紀の思い出を描き、宿儺VS万の戦闘中に苦しむ内なる恵の心情描写をしておけば、少しは読者の共感も得られたのに。
懐玉・玉折
漫画の評価の大部分は何よりもストーリーでは?
どんなにキャラが良くてもストーリーがめちゃくちゃでは読者の支持は得られない。現在の呪術のように。
むしろ、キャラクターが漫画の評価を左右すると考えているなら、メインキャラクターを安易に殺し過ぎなのでは?
呪術における主人公・虎杖の役割って何なのだろう。物語の終盤に入ってますますわからなくなった。
宵祭り~渋谷事変
……。キャラクターの死が「旨み」とは……。
だから、七海を始めとして人気キャラほど死ぬのか。
私と芥見先生では、作品における登場人物が読者に与える影響についての考え方が全く違うようだ。
私は、二次元の登場人物はこの世界に実体を持たないというだけで、三次元の人間より価値が低いということはないと考えている。
物語のキャラクターは、私たちに喜びや希望を与え、時には心の支えになってくれる大切な存在だ。
それゆえに、大好きなキャラの死は私たちに大きなショックを与える。
残された作中のキャラがその死を悲しみ悼み、乗り越えてくれることで私たちの傷も癒されていく。
私にとって印象深い主人公以外のメインキャラが死ぬ話は、「あしたのジョー」の力石徹と「ドラゴンボール」サイヤ人襲来で悟飯をかばって死ぬピッコロなのだが、どちらも作品屈指の名場面であり、後世まで語り継がれる感動を読者に与えた。
彼らの死は筋書上不可欠であり、主人公(たち)を成長させる大きな転機でもあった。
「渋谷事変」における七海や釘崎、「死滅回游」の禪院真依の死にはその意味合いがあったと思う。しかし、新宿決戦以降の五条や日車たちは?
特に五条悟については、死に至る描写が省略され、残された生徒たちに何かを託す言葉もなく、作者があらかじめ決めていた展開を描いただけで虎杖たちの感情描写もないまま戦闘が続いて、私はショックで呆然とするばかりだった。
メインキャラが死ぬ意味が「読者が悲しむという旨味」だけであっていいはずがない。
渋谷の時点で展開が決まっていたなら、どうして五条が敗れるシーンを省略せずにきちんと描写しなかったのか。
「ああ、五条の価値だ」から空港を挟んで真っ二つって、どう考えても1話飛ばしてるんですよ。
ずっと曖昧なまま引っ張られてきた釘崎ちゃんの死がこんな形で確定?
渋谷の時点では虎杖の心を完全に折らないために新田の処置には意味があったのかもしれないが、あれだけ生死を濁しておいて結局退場とは…。
「NARUTO」と違って恋愛感情を含まない虎杖、伏黒、釘崎3人の関係性が好きだったから残念でならない。
五条先生のシャツを汚してしまうエピソードとか可愛くてよかった。
私は宿儺戦で釘崎が復活して3人で共闘することを願っていたのだが、それも叶わぬ夢となった。
死滅回游
プロトタイプの時点で没になった案をどうして再利用してしまったのか。
「やってよかった死滅回游」も作者の強がりとしか思えなかった。
そして、失敗作を読まされる私たち読者……。
人外魔境新宿決戦
おそらく本来はこの展覧会までに「呪術廻戦」が完結している予定だったのだろう。
休載が続き展覧会開始時点で27巻発売だったため、ネームの展示は236話(南へ)までだったし、Q&Aも開幕茈についての1つしかなかった。
悟の敗北や236話についてはぜひ裏話を知りたいところだった。
もしかしたら大阪に巡回する時には237話以降~完結までも追加されるのではないかと期待している。
今までのQ&Aからすると、作者が「人外魔境新宿決戦の構成も失敗でした」と言いかねないが……。
領域之肆 カラーイラスト
26巻の表紙に対する作者のコメントは
26巻の表紙が五条の遺影だということはおそらく多くの読者に伝わっていたことだろう。私も一目でピンときた。
しかし、五条は負けたから山茶花にしたとは?
花言葉を調べてみたものの山茶花に敗北の意味はないし、むしろ花ごと散る椿の方が悟にふさわしかったのでは?
「それはどういう意味ですか」ってちゃんと突っ込んでほしい、Qの人!
展示の最後に人気投票1~3位(五条、虎杖、伏黒)のカラーイラストがあるのだが、あのかっこいい人をどうやって描けばこうあなるのかっていうくらい悟がかっこよくない……
カラーに気合をいれて空回りとはまさにこのこと。
ネットでスネ夫ヘアーと言われている意味が分かった。
五条が9:1くらいで髪を分けて左側に流しているのだ。余計なことを。
大人五条にはダボっとしたカジュアルな服はあまり似合わないと思う。
せめて最後くらい、奇をてらわないで普通にかっこいい五条先生が見たかった。
五条ファンというと顔ファンの誹りを免れないが、幼少期からキラキラした少女漫画に触れてきた私からすれば、見た目だけなら五条悟と同じくらい美形のキャラは他にもいる。
ルックスだけでなく、あのふざけた性格に最強のスペック、傍若無人なようでいて時々情も見せるところ、そして声(私は五条で中村悠一ファンになった)など顔以外の魅力を感じているファンが多いのではないだろうか。
懐玉・玉折は放送から1年経った現在でも新規グッズが出ているけれど、これからアニメ化する死滅回遊は五条なしで人気が保てるの??
入場規制がかかっているおかげで、グッズ売り場は空いていた。
これが呪術最後のグッズ、と五条のマグネット4種入りと図説を買って会場を出た。(しかし、結局その後も「懐玉・玉折」版悟と傑のアクスタを予約した……)
約1時間半、真剣にQ&Aを読み、感情が揺れ動いたためへとへとだった。
あの名シーンのセリフ
ネームから最終原稿になる過程で変更された構図やセリフはいろいろあるはずだが、展示のすべてを網羅することは体力的にできなかった。
図録を見ながら私が気づいた中で一番気に入っているのは、懐玉・玉折編におけるあの名シーンだ。
五条と夏油が新宿の雑踏の中で別れる時、最終原稿では夏油は
と言うのだが、このセリフ、ネームでは
となっていた。
呪術師であることに「意味」を求めた夏油が発する「それには意味がある」という言葉は重い。
アニメで櫻井孝弘さんがこのセリフを言った時、私は語尾に悟に殺されることを受容した優しさや暖かさが込められているようにさえ感じた。
この場面で夏油が「悟に殺されるなら悪くない」と思っていることは言わなくてもわかる。(私が腐女子だから?)
「ただ、私以外を…」の部分は冗漫で、ない方が場面が引き締まる。
最終的に極めて印象的な切ないシーンになっていてよかった。
おわりに
結論としては、「呪術廻戦展」に行って良かった。
今まで感じていた疑問がかなり解消されて、大好きだった「呪術廻戦」とお別れする踏ん切りがついた。
ただ、アニメ2期が始まるまで伏黒恵ファンだった私としては、宿儺に受肉された伏黒恵が最終的にどうなるかだけは心残りなので、こっそり情報を得ようと思う。
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