もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第3話 仕事の学び方(その2)

 10年くらい前に流行った『もしドラ』を意識して書いた小説です。
 自分がよく行くスナックで行われていることを脚色して書きました。
 『もしドラ』と違って、テーマごとに違う話が展開する短編連作です。

※ 第1話から読みたい方は、もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第1話 仕事の仕方と学び方から読むことをおすすめします。
※ ひとつ前の話→もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第3話 仕事の学び方

 第3話 仕事の学び方(その2)
 店が終わったのは2時半だった。
 反省会には、ルカは疲れているので帰り、アヤメとエリコが来た。
 ビールで乾杯した後、マスターはアヤメに聞いた。
「アヤメは名門女子大を出ているけど、よく入れたなあ。受験時代はどういう感じで勉強したんだ?」
 よく入れたなあ、とは失礼な言い方だ。俺も少し酔っぱらっているかな。とマスターは思ったが、アヤメは平然としている。
(こういうにぶいところがこの娘の強みなのかもしれない)
 本当はにぶいのではなくポーカーフェイスなのかもしれないが、いずれにせよ打たれ強いので水商売には向いている。
「そうですねえ。確かに、自分でもよく入れた、不思議だな、と思います。推薦ではなく一般入試を受けて入りました。S女子大の過去問をよく見て、特に世界史は出そうなところがわかっていたので、そこを集中的に勉強しました」
「うーん。まあ、それも大事だけど、例えば、書いて覚えたとか、人に話しながら覚えた、とかそういったところはどうだった」
「はい、高校時代は茶道部に入っていましたが、後輩が勉強を教えてくれって聞いてくることがよくあって、それで、後輩に教えているうちに自分ができるようになりました」
「そうか…。確かに今のアヤメはうちの店では一番後に入ったから、仕事を教えるような相手がいない…」
(そうか。そういうことだったのか)
 この時、マスターの頭の中で、テレビで見た「エア・ギター選手権」の映像とドラッガーの「…自分がする話を自分の耳で聞きたいからだ」という言葉が結びついた。
「…それじゃあ、エア後輩というのを作ったらどうかな?」
「エア後輩?」
「うん。本当はギターなんか持ってないのに、ギターがあるかのように振る舞うエアギターというパーフォーマンスを知ってる?」
「ああ、テレビで見たことがあります」
「それと同じように、後輩がいるつもりになって、見えない後輩に教えるつもりで小声で独り言を言いながら仕事を覚えたらどうだろう?誰かに教えながらだとよく覚えるなんだったらそれが一番いいと思う」
「はあ。そう言えば、私は一人っ子で、特に妹や弟がいないのが寂しくて、小学校の頃はそんな感じのことをしていました。でも母から気持ち悪いから止めなさいと言われてやらなくなりました。目的を持ってそんなことをしたことはないけど、でも言われてみるとうまくいきそうな気がするのでやってみます」

 アヤメは4畳半と台所のアパートに一人暮らしで、今のところ昼のアルバイトはコンビニの店員が週に4回。スナックも週に4回。
 次の日は、夜の仕事だけなのでのんびりと寝ていて、アヤメが目を覚ましたのはもう12時だった。
起きるとすぐ昨日マスターから言われたことを思い出した。
(エア後輩かあ。…、やってみようかな。とりあえず名前を考えよう)
 寝っ転がったまま考えた。少し迷ったが自分の名前をとってアヤ助にすることにした。
(年齢と性別は…。15歳の男の子がいい)
 これは、自然に頭に浮かんだ。
(当然、女の子みたいな可愛い顔をした美少年なのだ)
 これもあまり迷わず、頭に浮かんだ。
 その後、自分でラーメンを作って食べてから、ゲームを始めた。

 マスターはいつものように、スポーツクラブに行ってから喫茶店に行った。
 そして、例によって『プロフェッショナルの条件』を取り出して、「Part3 第2章 自らの強みを知る」の章を読み始めた。最近再三再四読んでいるところなのだが、まだ仕事に生かしていない部分があるような気がする。

 順番に読んでいって「人と組むか、ひとりでやるか」という項目に入った。

 仕事の仕方としては、人と組んだ方がよいか、ひとりの方がよいかも知らなければならない。

 これは、水商売で言えば、スナックとキャバクラの違いかもしれない。スナックはある程度チームプレーが必要だが、キャバクラは個人個人が独立して売り上げを競っている

 もう一つ知っておくべき重要なことがある。仕事の環境として、緊張感や不安があったほうが仕事ができるか、安定した環境のほうが仕事ができるかである。

(こんなことも書いてあったのか。これは新しい発見だ)
 昨日はアヤメに怒って「そんなミスばかりしているとクビだ」みたいなことを言ったら、その後ミスしまくりだった。
 アヤメは、緊張感や不安感がない安定した環境のほうが仕事ができるタイプなのかもしれない。
 しばらくは怒らないで、「当分はクビにならないから安心して働きなさい」くらいのことは言ってみようか。
 マスターは、そんなことを考えた。
 
 アヤメは、夢中になってゲームをやっていたが、ふと時計を見て、もう夕方の6時になっていることに気がついた。
「アヤ助よ、早めに出ることにしよう。渋山駅が改装工事で乗り継ぎに時間がかかるようになったし、遅刻しないように早めの行動が大切だ」
 素早く外出の支度をして、6時15分には家を出ることができた。
(確かにアヤ助がいるとうまくいく)
 途中渋山駅で乗り継ぎをする時、無償にサーティートゥーのアイスクリームが食べたくなったが、アヤ助に話しかけた。
「アヤ助よ。アイスクリームなんて食べていて遅刻したら大変だ。ここは我慢しよう」
 ここでも、アイスクリームを食べないで乗り切ることができた。
 スナックのあるG駅でおりた。
8時までには少し時間があるので、立ち食いそばを食べてから行き8時ちょっと前に店に着いた。
 店に入ってマスターに挨拶をすると「今日は、ちゃんと時間通りに来たな。ちゃんとエア後輩は作ったか?」と聞かれた。
「はい、15歳の男の子です。とっても可愛いんですよ」
「そうかあ。なんだか怪しいなあ。お客さんの前であんまりでれでれするなよ」
「はい」
「まあ、アヤメは入ったばかりなのでまだ仕事ができなくても仕方がない。しばらくは様子を見る。そんなにすぐにはクビにならないから、エア後輩作戦を採用し、落ち着いて働くようにしよう」
「はい。わかりました」

※ 次の話→もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第3話 仕事の学び方(その3)

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