心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その33
元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その32
先輩やアマ強豪から聞かれたこと、言われたこと
奨励会にいたことは将棋部の中でもたまに話していたようで、先輩からそれについて言われたこともあった。
2年の時に4年生の先輩2人から言われたことを、今でも覚えている。
1人は当時の部長だった。部長は小柄だがスッキリした顔立ちのいい男で、将棋も強いがしっかり大学の勉強もしていて成績もよかった。
団体戦が終わった後みんなで喫茶店に行った時に言われた。
「将棋指しになっていたら、会社に入って嫌な上役に頭を下げる必要もないし、毎日毎日満員電車に乗って会社に通う必要もないし、君は道を誤ったネ」
それに対しては、「うーん。まあそれもそうかな」といいたふうに流し、はっきり同意したり否定したりしなかった。
いつもはっきりとものを言う人だが、今回はいつもに増してはっきりものを言うなあと思ったが、嫌な感じはしなかったし、就職前の大学4年生の不安な心理が背景にあるような気がした。
そんなに深く考えて言っていたようでもなさそうだったが、一面の真理ではあると思った。でも、一流大学を出て一流企業に就職する人がこういうことを言うところがやや不思議だとも思った。両親が自分の奨励会退会を言い出した頃からまだ6年くらいしかたっていなかったので、急に時代の考え方が変わったのだろうか。それとも、親が子どものことを考えるのと子どもが自分たちのことを考えるのでは考え方が違うのだろうか。
ちなみにその先輩はプロ野球の球団を持っている非常に有名な大手リース会社に入った。
もう一回は、学生の大会の帰りに、帰る方向が同じで駅で電車を待っている時に別の4年生から言われた。
その4年生は、背が高くひょろっとした感じで、気障なメガネをかけたとっぽい雰囲気の人だった。
「奨励会を続けた方がいいか、大学に入るのがいいか。難しいところだな」
こっちの言い方の方が嫌な感じがした。
「それじゃあ、人間が進路を決めるのに難しくない場合というのがあるんですか。本当に『この決断はやさしいよ』『当たり前だ』という場合があるんですか」なんて言いたくなったが、先輩に対してそれは言いにくかったので言わなかった。
「そうですね」くらいの答え方だったと思う。部長に言われたときと同じような理由でやや不思議な発言だと思った。それとその当時は、こうした毒にも薬にもならないことをわざわざ口に出して言う人がどうも苦手だった。
その先輩は、一流の石油会社に入り、人事部に配属になったそうだ。学生時代から毒にも薬にもならないことはわざわざ口に出す処世術が身についていたことの成果が現れたのだろうか。
繰り返しになるかもしれないが、ここで紹介した二人の先輩は世間的に見れば一流大学に入り一流企業に入った受験戦争・就職活動の勝者なのだが、それでも、プロ棋士や奨励会に対する見方は自分の親とずいぶん違っていた。そういう違いが生ずる原因が、世代の違いによるものなのか、年代の違いによるものなのか、自分の子どもではなく大学の後輩であるという相手との人間関係の違いによるものなのかは、それとももっと違う理由によるものなのかはっきりとはわからなかった。が、将棋のプロ棋士という職業に関する世間の見方がその頃かなり変わってきていたように思うので、世代の違いがかなり大きいような気がしていた。
前述の日暮里研究会では、内田昭吉さんというアマチュア強豪から、「奨励会はなんで辞めたの」と聞かれた。
この当時はこの質問をされるのがどうも嫌だった。こころの中にいる「元奨くん」が蠢き始めて、こころ全体のバランスが微妙に変わるのがうっとうしかったのである。
何か答えた方がいいので、「親に反対されたんです」と正直かつ端的に答えると、それに対して「あーそうか」しか言わなかった。
そして、次の会でまた同じことを聞かれて同じことを答え、内田さんは同じように「あー。そうか」とだけ言った。
そんなことが3~4回続き、そういう時に「前回も前々回も同じ質問をされて、それに対して同じことを答えたんですが、その答えは覚えていないんですか」ということを言おうかとも思ったが、言ってもしょうがないような気がしたので言わず、親に反対されたという答えを何度も言い続けていた。
その後、日暮里研究会は自然消滅し、その代わりというわけでもないのだが、しばらくして当時神奈川にあったアマチュア強豪の鈴木英俊さんの自宅で開かれる研究会に行くようになった。
その研究会は、毎回すべての種類の人がいるわけではないのだが、アマチュア強豪、そんなに強くないアマチュア、学生、プロ棋士、奨励会員というバラエティあふれるメンバーで、毎回5~6人程度参加し会費を集めてリーグ戦形式で将棋を指し、成績のよかった人が会費を原資とした賞金をもらえるというシステムだった。
その研究会にも内田昭吉さんは来ていて、自分はそこでも内田さんから「なんで奨励会を辞めたの」と聞かれ、それに対して「親に反対されたんです」と答え「あーそうか」と定番の言葉を発するという、日暮里研究会におけるやりとりと同じ問答が繰り返された。
自分が3回目に参加した時も、内田さんは例の奨励会を辞めた理由を尋ねる質問をした。
たまには違うことを言ってみようかと思い、「前回のこの会と前々回のこの会でも内田さんはこの質問をして、それに対して答えたので、今回は答えません」と言うと内田さんは、「そうだっけ」と言ってその話はそこで終わった。
なんで、質問をして答えを言われてもそれを忘れて同じ質問を繰り返すのかが不思議だった。答えを聞いたら、次に話すときは「なんで親は反対だったの」とか「両親はどんな人だったの」など次なる質問にならないのかな。変だなあ。と思っていた。
相手が嫌がる質問を繰り返して、相手の顔色を見て楽しむという感じでもなかった。なぜなら、自分が答える時に内田さんは、自分の顔を観察している様子ではなかったからである。
たぶん、答えを知りたいから質問していたのではなく、相手の反応を見たいわけでもなく、その質問をするということ自体に意味を見出していたのではないだろうか。ただし、誰もいないところで独り言を言うのでは意味がなく相手がいないとつまらないし、その相手は誰でもいいわけではなく質問内容と関係のある人でないと駄目なようだった。そういうわけで、自分に対して同じ質問を繰り返していたのだろう。
というのが、わりあいわかりやすい説明なのだが、そうすると、質問すること自体にどういう意味を見出していたのか、という疑問が出てくる。
今考えてみると、内田さん自身にプロ棋士になりたいという思いがあったから、自閉症患者のようにあの質問を何度も繰り返していたのかもしれない。
明らかに異常だというわけでもないのだが、「ちょっと変だな」「謎だなあ」という印象だった。でも、そこに内田さんの感性とか視点とか思いとかが現れていたのかもしれない。とても正直だが、相手の顔色を見ながら話をするのが苦手なようだった。
ちなみに内田さんは、その頃アマチュア将棋界のことに関心のあるメンバーで雑談していて「アマチュア強豪は人格が変な人が多い。例えば…」という話になった時に、小池さんの次くらいに名前が挙がる人だった。真面目でいい人なのだが、正直で思ったことを何も考えずに口に出して言ってしまう純粋な人だったのだと思う。
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