学校警備員をしていた頃 その3
以前、学校警備の仕事をしてた頃のことについて振り返って思い出せることを書いています。
※ ひとつ前の話→学校警備員をしていた頃 その2
「事例はないが可能性がある」
新任研修が終わると、現場研修に移った。これは2日間で、現場研修というよりは、いわゆる引き継ぎだった。
教えてくれたのは、それまでこの現場を担当していた上河内さん(仮名)という人だった。
一緒について歩きながら、一通り1日の流れや仕事のやり方を教わった。
まず、朝は、O中学校に行って更衣室で警備員の制服に着替え、8時から8時半までO中学校の校門に立つ。それから自転車で移動し、9時ごろから12時までO小学校または、T小学校の校門に立つ。そして、昼休みに自転車で移動し、午後1時から3時半まで午前中に行かなかった方の小学校の校門に立つ。その後、3時半頃になったら自転車で移動して、3時40分くらいからO中学の校門に立ち、4時になったら終了。終了時間が4時なのがうれしかったが、給料は安かった。
校門に立ち時々学校の周囲を巡回するというのが仕事の中身で、あまり難しい仕事ではなく、「午前中は、ひまで退屈だけど、午後になると生徒の下校などがあり、わりあい時間が経つのが速い」と言われた。
これは、次の日から実際に自分だけでやってみるとその通りだった。
一通り回っていく中で、それぞれ学校の管理職に「よろしくお願いします」と挨拶をしていった。
概ね通り一遍の挨拶をするだけだったが、O小学校の河村(仮名)校長先生は、いろいろと言葉をかけて激励してくれた。
「上河内さんに負けないように頑張れ」
「君が駄目だと、S警備会社全体が駄目だと見られる」
「挨拶するのだって、相手が挨拶を返しやすいように挨拶をしないとだめだ」
だいたい、こんな内容だった。月並みな内容だが、熱心に声をかけてくれたので、単純に「仕事熱心ないい人なのかもしれない」と思った。
上河内さんは、河村校長については、「このへんの校長では一番の古株で、みんなあの人には逆らわない方がいいと言っている」と言っていた。「みんなって誰の事だろう」「どうしてそんなことがわかるのだろう」と思ったが、質問しそびれた。でも河村校長は確かにどことなく貫禄がある人で、「なんとなくそんなものなのかな」と思った。
それと、T小学校の副校長は、少しやせ気味で、50歳くらいに見えるメガネをかけた女性で、「ざあますおばさんみたいな外見だけどいい人」というのが、上河内さんの評だった。
それ以外の管理職については、それほど印象に残ることはなかった。
上河内さんは、仕事全般にわたる心構えのようなことも言っていた。
「生徒ともコミュニケーションをとる、保護者ともコミュニケーションをとる。それから地域の人ともコミュニケーションがとれないとだめだ」
それを聞いて私は、「なんだか当たり前のことをもっともらしく偉そうにしゃべってるな」と思い、思わず質問した。
「地域の人とコミュニケーションがとれると、学校警備の仕事に役に立つ場合があるんですか」
「例えば、近くに道路工事をしていて、生徒が通るのが危険な場所があるということを地域の人が教えてくれるかもしれない」
「そういう事例があったんですか」
「そういう事例はまだないけど、そういう可能性がある」
「そうですか。そういう可能性があるんですか」
だいたい、こんなやり取りだった。
なんだか、お説教みたいな口調で中身のないことをもっともらしくしゃべる面白みがない人だなあ、とその時は思った。が、こうして振り返ってみるとそれなりに楽しい問答である。上河内さんは大真面目だったと思うし、こういう言い方が上河内さんの流儀だったのだろう。でも、「コミュニケーションがとれないとだめだ」というよりは「距離の取り方が意外とむずかしい」などと言われた方が、自分としては受け入れやすかったと思う。これは、しかし、単なる好みの問題かもしれない。
それと、例えばだけど、「昔話をするのが好きなおじいさんがたまに話しかけてくるけど、そんなに話が長いわけじゃなく、普通に聞いていればすぐに終わるので、それでいいと思う」等、具体的に地域の人にはどんな人がいるのか教えてくれるともっとよかった。
ところで、初任者研修の時、門田さんという内勤でその研修の時の講師の人が学校警備について、「誰でもできる仕事で、さぼろうと思えばいくらでもさぼれる」と言っていた。
もちろん、「さぼろうと思えばさぼれるけど、それにもかかわらずさぼらないで真面目にやることが大切だ」等のことが言いたかったのであろう。でも、「これから初めて現場に行く人に対して、ずいぶん面白い思い切ったことを言う人だなあ」という印象だった。
上河内さんの言ったことの方が常識的な言い方ではあるのだけど、門田さんみたいな言い方もある意味必要なことだと思う。
「~コミュニケーションがとれないとだめだ」と「~いくらでもさぼれる」は、両方とも大切な考え方で、できれば同じ人が両方のことを言い、それぞれの考え方の長所・短所なども解説してくれればベストだ。
でも、そんなふうに多面的多角的に解説できるような人はそうそういるものではない。自分だって研修する立場になったらそんなことは言えないだろう。
ところで、現場に行ってみた第一印象は、「なかなか、自然が豊かで環境のいい場所だなあ。楽しく働けそうだ」というものだった。少し仕事をしてみて、これは、正しい見込みだったことがわかる。
仕事に関しては「黙って一人立っている時間が長く退屈かもしれないが、そんなに大変な仕事ではなさそうだ」と思った。これも、間違っていなかった。
実務的なことに関しては、毎日毎日、一校一枚、三校で三枚の報告書を書いて、それぞれの学校で、副校長か事務職など副校長に代わる人のハンコをもらう。というのが、やや面倒くさそうだった。
この報告書のことを、日報と呼んでいた。一番上に日付や名前を書いてから、「何時何分 正門にて立哨」「何時何分 外周巡回」等の内容を十行くらい書くものだった。毎日同じような内容で、そんなたいしたものでもないのだが、手書きで書かなければならなくて1枚書くのに10分くらいかかっていた。
もちろん、すごく大変というほどでもなかったのだけど、「どうも面倒くさい手続きだなあ。廃止できないものか」なんて思いながらやっていた。
それと、「コミュニケーションをとる」という言い方のことに戻るけど、この言い方は間違ってはいないのだが、より詳しく言うと、「地域や学校及びそこにいる人などと、どういう距離感でやっていくのが適当なのか考えた方がいいし、どこまでが仕事の範囲内なのか考えさせられることも出てくるので、それについても自分なりの考えを持っていた方がいい」といったことになると思う。もっともこれは、勤務を重ねていってだんだんわかっていったことで、その時思ったことではない。
※ 次の話→学校警備員をしていた頃 その4