アルモニアものがたり 第一章 もがれた翼



 「気づいたようだね」
ふと目が覚めると見知らぬ老婆がこちらを見ていた。見慣れない家具、嗅ぎ慣れない匂い。ここは、どこだ?
「シチュー置いといたから。食べられるなら食べなさい」
そう言われ上半身を起こし、スプーンを口に運ぶ。おそらくこのベッドは他人のものだろう。なんだか居心地が悪い。

「ここは、」
「あんた5日間も眠ってたんだよ。軍兵さん、しかも装備を見るにお偉いさんだろう?あんな惨状、一般人でも目を背けたくなるのに現場にいたら」

 あ、ああ、ああああ

 記憶の断片が開く。俺は、戦で、たくさんの人間を殺して、仲間が、たくさん殺されて、俺も傷だらけで、赤くて、赤くて、赤くて、

半狂乱になりながら、老婆に尋ねる。
「ここはっ、どこですか、あなたはっ」

「私は、あんたにとっちゃ敵国のリドゥム人のマリィ、ここは国境の川向いだ。」

「どうして、敵国の人間なのに、助けてくださったんですか」

「うちの麦畑はその川を水源にしてるんだ。今後の作物に影響でたら困るから、様子を見に行った。そしたら大量の死体とともにあんたが流れてきて。まだ生きてて装備を見るにアルモニア人だから、そりゃ殺してやろうと思ったさ。近くに刺さってた槍であんたの喉笛を掻っ切ってやろうと思った。でもあんた、絞り出すような声でこう言ったんだ、『姉さん』ってね」

「うちには二人こどもがいてね、9歳の娘と6歳の息子が。よくそこの川で遊んだもんさ。小魚を捕まえて観察したり、綺麗な石を拾ってきて首飾りにしたりしてね」

「あるとき、二人が流された。どっちかを助けようとしてふたりとも溺れたんだと思う。娘はそのまま行方不明、息子は『姉さん、姉さんはどこ』って意識も曖昧なままずっと娘を心配してた。自分も死にかけてるのにね。そのまま息を引き取ったよ」

「全く馬鹿だよね、他人のこどもに自分の息子を重ねるなんて。あの子が大人になって帰ってきた気がして、思わず手を止めちまった」

「敵国の人間を匿ってることがバレたらいろいろと厄介だから、歩けるんならさっさと帰りな。」

話を聞いて、なんと言葉を返せばいいのかわからず、沈黙が続く。それを破るように玄関のドアが開いた。

「ただいまぁ」

マリィと同じくらいの年齢の男が入ってくる。コートを脱ぎつつ俺の方を見て話しかけてきた。

「やぁやぁ、目が覚めたんだね。僕はマリィの夫のケーンだ。よろしくね」

二人はこれから夕食らしい。先に食べてしまったことにどことなく気まずさを感じながらも、夫婦の会話に加わった。

「アルモニアの王様は気の良い人だったよ。もう十何年前だろうか。リドゥムに訪問する中でうちの畑に立ち寄ってくれて。自分の国のこといろいろ話してくれたよ。王は、当時2歳になる次男坊はパンが大好きだと仰っていた。上質な麦で作られたパンをたらふく食べさせてやりたい、栽培の技術を我が国にも教えてくれないかと、王子達への愛情たっぷりなお顔でお話しされたよ」

俺がまだ小さかった頃、ムジカ三国がまだ豊かで交流があった頃の話をたくさん聞かせてもらった。どうしてこんな世の中になってしまったのだろう。この人達の同郷の人、リドゥムやメロディアの人間をたくさん殺してしまった事実が重く心にのしかかる。

「俺、明日には発ちます。たくさんお世話…というかご迷惑をおかけしてしまって、なんというか…いろいろ…」

「あんた今謝ろうとしたかい?」

うつむきかけていた顔を思わず上げてマリィを見る。

「もうどっちがふっかけた戦争かわかんないんだから。たまたま生まれた環境が悪かった、あんたは巻き込まれただけ。国がどうとか関係ないの、上の命令に従っただけ。ただそれだけなんだ」

「今夜はゆっくりしていくといい。あとでお湯を沸かすから、汚れたもんは全部洗い流しなさい」

本当の息子のように良くしてくれる夫婦に、ただただ感謝しかなかった。

ゆったりと肩まで浸かったお湯は身体中の傷に滲みる。まだ頭から湯をかぶっていないのに頬が濡れているのは気のせいではないだろう。

すべてを洗い流したあと、寝室へ戻る。ふと本棚が気になって、一冊の絵本を手に取る。この話は…

忙しかった両親に代わって、よく姉が読み聞かせてくれた。リドゥムにもこの本があったのか。

ベッドに腰掛けて、椅子を二つ並べ語りかける。

「むかしむかしの やまおくに ちいさなどらごんが おりました」

 翌朝。空はよく晴れていて、心地よい風が流れている。ケーンさんが数着分服を譲ってくださった。細身の俺にはやや生地が余るが丈はちょうどいい。

感謝の限りを尽くしても、語彙力のなさに自分を呪うばかりだった。

「三国の平和が戻ったら、手紙書きますね。」

「あんまり気に病むんじゃないよ。あんたを戦に巻き込んだお偉いさんに言っておやり。こんな馬鹿なことは今すぐ止めるんだって」

「このことは一生忘れないと思います。マリィさん、ケーンさん、本当にお世話になりました」

いろんな感情の入り混じった心で扉を閉める。さて、俺はこれからどこへ帰ればいいのか。仲間を見殺しにした挙げ句リドゥム人の家に泊まってたなんて。

眼の前の川は悪いものをすべて押し流したようで、今は澄んでいる。俺の人生も、一度死んだようなものだからまっさらにやり直してみようか。

冷たい水の中に片脚を突っ込んだ。



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