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校正課だより ボルダリングはミステリに似ているかもしれませんの巻
こんにちは、校正課Hです。
今回は、最近はまっているボルダリングについて書いてみたいと思います。
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校正者になるべく勉強をしていた頃、テキストの一節に衝撃を受けました。
「校正は緊張の持続である。(中略)緊張力の根元はやはり体力であろう。校正者たるものは、常に健康に留意して体調を良好に保ち、情緒の安定をはかり、完全な校正を行うよう努力すべきである」
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仕事の心得というより武道の指南書のようですが、実際に仕事を始めてみると、まさにその通りでした。
一字一句を詳細に確認し続ける校正の作業は、エネルギーをすさまじく消耗します。
スタミナ切れによるミスは避けたい。テキストの教えに従い、体力をつけるべくランニングやヨガなど軽い運動を生活に取り入れるようにしました。
月日は流れ、少しずつ校正者としての経験が蓄積されていく一方――どうやら軽い運動だけでは、慢性的な肩こりに太刀打ちできないということが分かってきました。
もう少し筋トレ要素のある運動を追加せねば……と、フィットネスジムでバーベルをかついだスクワットなどを教えてもらったものの、あまりにハードで続かず……。
そんなとき、ふと気になって訪れたのがボルダリングジムでした。
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ボルダリング――アブミなどの道具を使わず手足の力だけで登るフリークライミングの一種で、三~五メートルの岩や壁を対象としたもの。
下にはマットが敷かれていますが、命綱は付けません。
ボルダリングジムでは、人工の壁に突起(ホールド)が取り付けられており、ホールド同士の位置やホールド自体の形状、さらに壁の角度などの組み合わせによって、さまざまな難易度のコース(課題)が用意されています。
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初心者向けの課題はハシゴを登れればクリアできる程度ですが、難易度が上がるにつれて、手足を動かす手順や、力の入れ方、重心の置き方、ホールドのどの部分をどんな方向から摑むかなどなど、試行錯誤を求められるようになってきます。
これがですね……とても楽しい!
さながら「体で解くミステリ」。
スタート前に課題を観察し、おそらくこんな手順、こんな動きで進めばゴールできる……と推理しながら仮説を立てて実際に登る。
推理が当たっていれば順調にゴールでき、「わたしカッコイイ!」と自画自賛で名探偵の気持ちになれます。
外れていたときは、その外れを新たなヒントとして推理を組み立て直し、何度かチャレンジしてゴールできると、それはそれで大変テンションが上がります。
……が、少しずつ難易度の高い課題に取り組んでいくうち、何度やっても登れない課題にぶつかったのです。
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幅五センチ、厚さ二センチほどの、見るからに頼りないホールド。
位置的には、どう考えてもこれに足を乗せないとゴールできない。
いや、無理無理!と思いながらも挑戦してみると、やはり乗れない。
校正で鍛えた根気を呼び起こして繰り返し挑戦しましたが、ずり落ちる、すっぽ抜ける、徐々に恐怖心が芽生えて膝が震え始める。
まだまだ初級レベルの課題のはずなのに、この課題を作ったセッターさんは、なぜこんな場所にこんな厄介なホールドを使ったのか……と悪態をつきたくなったところで、はたと気付きました。
セッターさんが「初級者でも乗れる」と判断したからこそ、ここにこのホールドがあるのだと。
それはたとえば、ミステリにおいて、読者にも推理可能と著者が判断したからこそ「読者への挑戦状」が掲げられるのと同じことなのではないか。
出題者が回答者を信頼しているということ。
練習に通うこと三回目にして、無事にその課題はクリア。
初めてそこに乗れた(母指球でしっかり踏むのがコツだった模様)瞬間の達成感たるや……。
その頃には、悩まされていた肩こりもだいぶ解消されていました。
というわけで(?)、いつか、どなたか、ボルダリングをテーマにしたミステリを書いてくださらないでしょうか。
常人には登れない高所で発見された死体、熟練のボルダラーが犯人かと思われたが実は……なんて展開、面白そうだと思うのですが……?
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さて、突然ですが、ここでクライミングに関連しておすすめ作品を紹介させていただきます!
『アンソロジー 舞台!』(創元文芸文庫)所収、雛倉さりえ先生による「ダンス・デッサン」です。
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劇団緑光に所属するミュージカル俳優・瀬木が、トップロープと呼ばれるクライミングをするシーンがあります。
手足の力だけで登るのはボルダリングと同じですが、トップロープはより高い壁を、命綱を付けて登る種目。
痛々しいまでにストイックで孤独な瀬木の目を通して、クライミングジムの風景が鮮やかに描かれています。
本稿は、東京創元社社員有志による同人誌『東京創元社70周年記念企画 賄』に掲載された文章を、加筆修正したものです。なお、同誌の販売は終了しております。(編集部)