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深沢仁『ふたりの窓の外』刊行記念 深沢仁先生による「読書日記」公開

『眠れない夜にみる夢は』で多くの書店員さんから絶賛の声を頂戴した深沢仁ふかざわじん先生の最新作『ふたりの窓の外』が本日11月29日に刊行となりました。

写真:奥出航介/装幀:アルビレオ

自分を裏切った恋人ともうすぐ旅行に出かけるはずだった女、その恋人の代わりに旅に同行することを申し出た男。なぜか承諾してしまった女は、それまで見ず知らずだった男と春の宿で一夜を過ごすことになる――。
春の宿、夏の墓参、秋のドライブ、そして冬の宿。火葬場での出会い以来、それぞれの季節に一度ずつしか会うことのなかったふたりの一年を四章仕立てで描いた、絵画のような恋愛小説。
『眠れない夜にみる夢は』の著者の新境地的傑作。

ふたりの窓の外-深沢仁|東京創元社

前回と同じく、新刊刊行を記念して、深沢仁先生に読書日記を御執筆いただきました。
『ふたりの窓の外』の登場人物たちに関連する本や、深沢先生の記憶に残った印象深かった作品についてなどを日記を通じてお楽しみいただければ幸いです。(編集部)


『ふたりの窓の外』には、藤間さんと鳴宮さんというふたりが、本を読む場面が何度かある。最初、彼らの読む本のタイトルは出てこなかった。「書名を出しましょうか」と提案したのは担当編集氏だ。ふたりが読む本は、一部は自分の中で決まっていたけど、全部ではなかったので、彼らが読みそうな本といえばこんなところかな、というリストを二人分作って、後から書名を入れていった。無事に本が完成してから、今回もまた読書日記を書くことになったとき、本編に出てくる本の話をしようか迷ったけど、なにかそれは雰囲気を壊すというか、本編に出てくる本の話をするべき人物がいるとすれば藤間さんと鳴宮さんであって、深沢ではない気がした。ということで、これから出てくる四冊のうち二冊は、『ふたりの窓の外』に出てくるわけではなく、深沢にとって特に最近読んだ本でもないが、本編に少しばかりは関係しているので『ふたりの窓の外』読者にはきっとおいしい本。あとの二冊は本編とまったく関係ないけどわりと最近読んだ本。そういうふうにした。前回の読書日記公開後、ネットで「取り上げられた本を買って読んだらよかった」とつぶやいてくださった方、ありがとう。このコーナーは今回も、そんなあなたのためにあります。

 一冊目はアン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈物』(吉田健一訳 / 新潮文庫)。藤間さんが第三章で「最近読んだ本の影響」と言ったとき、「最近読んだ本」というのは、実はこの本である。
 私は本を読むのが好きだが、よほど何度も読まない限り、内容はすぐに忘れてしまう。読み終わった本に対して私が覚えていることは、とても好きな本だったとしても非常に大雑把な印象のみで、『海からの贈物』については、「この本はずっと手放さないでおこう」と決めたこと、「悩める女友達に配って歩きたい」と思ったこと、しか記憶になかった。今回この読書日記を書くにあたり読み返して、そうか藤間さんはこれを読んで海に行きたいと思ったのか、とため息が出た。この気持ちはなんだろう、軽い気持ちで組んだカラクリが自分の予想を超えて機能してしまって驚嘆した、とでも言おうか。
 この本が最初に出版されたのは1955年のアメリカで、リンドバーグは世界的に有名な飛行家の妻かつ、自身も飛行家として活躍していた。しかし『海からの贈物』に飛行機は出てこない。ひとり離島に滞在し、海辺で拾った貝殻を見つめて彼女がめぐらした、特に人間関係における思考の記録がひたすら綴ってある。読んで驚くのは、女性の、あるいは人類の悩みが当時からなにも変わっていないこと。私たちの日々はいまだに忙しなく、あらゆる圧力に覆われていて、息苦しくなるばかりだ。この世界で自分を見失いたくないのなら、みんなこの本を読んだほうがいいと思う。どうにかして混沌に抵抗するためのヒントが見つかるから。
『ふたりの窓の外』に関連しての注目ポイントはもうひとつあって、作中にサン=テグジュペリの引用が出てくるところだ。そう、鳴宮さんが冬に読んでいたのがサン=テグジュペリの本だった。そんなふうに繋がることがあるのだ。深沢が意図していなかったのならそれは単なる偶然だろう、と思われるかもしれないが、そうではないと思う。もはや私が関与できないレベルで彼らが生きているのだ。素敵だ。
 ちなみに『海からの贈物』には、リルケもよく引用される。自分がどうして『海からの贈物』を手に取ったかは、残念ながらまったく覚えていないが、この本を読んでしばらくしてからリルケの『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』(高安国世訳 / 新潮文庫)を読んだのは、間違いなくこの本の影響だ。この本もまた「ずっと手放さないでおこう」枠に入っていて、孤独についてのほとんどすべてが書いてある。藤間さんも同じようにしてリルケに進んでいたらいいなと思う。

 二冊目はニコ・ウォーカー『チェリー』(黒原敏行訳 / 文藝春秋)。こちらは鳴宮さん用のリストに挙げていた本だ。主人公は大学を中退して陸軍に入り、イラク戦争から帰国後、ドラッグ中毒を悪化させ最終的には銀行強盗にまで身を落とす。ウォーカーが獄中で記したこの物語は、彼の処女作にして半自伝的小説と言える。この本は完璧にジャケ買いだった。帯で刺さったのは「若手アメリカ作家には近頃めずらしい、文学講座の臭いがしない純文学作品」の一文。数ページ読んだらなんとなくその意味がわかった。それで買って帰った。
 私は昔から、ぶっ壊れた世界で生きる若者の出てくる外国の本や映画が好きだ。煙草とドラッグと酒とセックス。いくら若いといえども、どうしてそこまで考えなしに、間違ったほうばかりに転がっていってしまうのか、理解できないけど惹かれる。ウォーカーは取り繕わず、正直に、どうしようもない日々をどうしようもない言葉のまま描写する。主人公はクズみたいなことばかりしでかすが、それらの記述のなかにときどき泣きたくなるほど純粋な、美しい文章が挟み込まれる。恰好がつかないから逆に信用できる。戦地に行こうとも、英雄らしいエピソードは欠片もない。あったはずなのに描かれない。それはたしかに死と隣り合わせの日々なのに、「なんか俺たちくだらないことやらされてんな」的なトーンで進んでいく。顔見知りの新兵がIED(即席爆発装置)で死んだ話の直後に、基地に出回るエロ動画の話が始まる。現実とはそんなものなのだ。世界の中心は私でもあなたでもない。納得できる展開なんて滅多にない。だいたいの出来事は唐突に始まってよくわからないまま進み、意味もなく終わってしまう。
 帯に「映画化決定!」とあるが、この読書日記のために読み返して調べるまで、本当に映画化されていたことを知らなかった。主演はトム・ホランド、アップルTV+で配信中らしい。予告編だけ観たが、トム・ホランドではちょっと清潔感がありすぎるかもしれないと思う。また「GQ」というグローバル・メンズメディアに、著者ウォーカーのインタビュー「What Prison, Death, and Relapse Taught Me About the Power of Dressing Well」が載っているのを見つけた。彼の言葉を英語で読んだのはこれが初めてだが、翻訳が素晴らしかったんだろう、『チェリー』の口調そのままで再生された。このインタビュー、日本語訳は見つけられなかったが面白かったので、興味のある人には読んでほしい。写真だけでもいい。
 ちなみになぜ『ふたりの窓の外』『チェリー』が出てこなかったかといえば、この本はいまのところ単行本版しかないようで、鳴宮さんは旅先に文庫本しか持っていかない人だからだ。そこで代わりにブコウスキーの『くそったれ! 少年時代』(中川五郎訳 / 河出文庫)となり、その後なにか心情の変化があったのか、鳴宮さんは藤間さんとの旅にはもう少し静かな本を持っていくようになった。

 ここからは最近読んだ本。三冊目のケヴィン・ウィルソン『地球の中心までトンネルを掘る』(芹澤恵訳 / 創元推理文庫)は、わけがわからない本なのだが、気に入りすぎて友人に薦め、すでに二人に読ませた。たった二人かと思うかもしれないが、私は仲のいい人にも滅多に本を薦めないので(自分だけのものにしがち)、これはかなり特別なことなのだ。
 短編集で、特に好きだったのは表題作ほか、「発火点」「ゴー・ファイト・ウィン」かな。でもぜんぶよかったな。それぞれのお話には、奇妙な職業や微妙にズレた常識や不思議な切迫感があり、読んでいると、異世界とまでは言わないけどパラレルワールドに迷い込んだような気持ちになる。こういうのよくあるよね、という状況はなかなか出てこない。私は自分の身体が自然発火したらどうしようという心配をしたことがないし(「発火点」)、説明のつかない衝動に駆られて庭に穴を掘り続けたこともないし(「地球の中心までトンネルを掘る」)、自分の抜け毛をすべて集めてジップロックに保管したこともない(「ワースト・ケース・シナリオ株式会社」)。でも彼らは彼らの世界で切実に、とても切実に生きていて、ほとんどのことに失敗しつつも、ときどきほんの一瞬だけ、なにか温かなものに触れたような気になる。満たされる、というのは、基本的に錯覚だと私は考えているのだけど、それは幸せな感覚だと思う。だから物語の中にそれを見つけられると嬉しくて、優しい気持ちになる。私はあんまり優しくない人間なので、そういう本は、お守りみたいにずっと持っていたくなる。

 最後は長田弘『自分の時間へ』(ちくま文庫)。私はアプリに読んだ本と読みたい本を記録しているのだけど、同氏の『詩は友人を数える方法』(講談社文芸文庫)が「読みたい本」のほうに入っていて、ずっと探している。どうしてそれを読みたいと思ったのかはまったく覚えていない。長田氏の文章は『自分の時間へ』で初めて読んだから、別のだれかの本に出てきたんじゃないかと思う。どうやらもう新品としては買えなくて、じゃあ長田氏の本はどれから入るのが正解なんだろうねえ、と頭の隅で考えつつ生きていたら、ある日『自分の時間へ』のちくま文庫版を新刊コーナーで見つけたので買って帰った。
 よかった。すごくよかった。『自分の時間へ』を読んでいると、なんだか文章を書きたくなるので、そういう意味でもよかった。たぶん、脳みそのやわらかくてきれいなところをつつかれるような感覚がするからだと思う。ああ、私ももう少しいろいろなことを考えながら暮らし、美しいものを掬いあげ、記憶する人になりたいな、という気持ちになる。私は、この短い読書日記からもわかるように、ものすごいスピードで物事を忘れていってしまうタイプで、それに救われている部分もずいぶんあるのだけど、たまにはなにかを振り返って書き留めて、どこかにしまっておくことも大事なことだと思う。
 昨夜この散らかった部屋で、読書日記とは全然関係のない捜し物をしていたら「長田弘」の文字が目に飛び込んできて、「『自分の時間へ』が初めてだと思っていたけど、長田氏の本をすでに買って積んでいたのか!」とびっくりした。その程度の物忘れ、というかもはや認識不足は日常茶飯事だからだ。でもよくよく見たらそれはエドワード・アーディゾーニの『エドワード・アーディゾーニ 若き日の自伝』(阿部公子訳 / こぐま社)で、長田氏は帯に登場していた。〈人生を織りなすのは「懐しさ」。アーディゾーニこそ「懐しさ」の巨匠だった〉。ここまできたらもう皆さんも驚かないと思うが、なぜアーディゾーニの自伝がこの部屋にあるかも、私は覚えていない。買った記憶はあるものの、どうして買ったかは思い出せない。でも長田氏が推薦しているんだからきっと素敵な本なんだろう。長らく積んでいたけど、次はこの本を読んでみようかな。


■深沢仁(ふかざわ・じん)
2010年、詩集『狼少女は羊を逃がす』を自費出版。翌年、『R.I.P. 天使は鏡と弾丸を抱く』で第2回「このライトノベルがすごい!」大賞優秀賞を受賞、本格的な執筆活動をスタートさせる。20年には作品集『この夏のこともどうせ忘れる』で第12回高校生が選ぶ天竜文学賞を受賞。ほかの著書に『眠れない夜にみる夢は』『渇き、海鳴り、僕の楽園』〈英国幻視の少年たち〉シリーズ(全6巻)などがある。