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「私が鮎川哲也賞を受賞するまで(第2回)」山口未桜
『禁忌の子』で第34回鮎川哲也賞を受賞した山口未桜さんに、デビューするまでの道のりについてお書きいただいたエッセイを、10月10日の発売日に向けて3週に分けて公開いたします。
第2回は高校の文芸部に入ってから医学部受験に臨む高校3年生までのお話です。
どうぞお楽しみください。
エッセイ第1回はこちら。
![](https://assets.st-note.com/img/1727319653-3NQSyj1JEdzVAoBgw0xIqs79.jpg?width=1200)
救急医・武田の元に搬送されてきた、一体の溺死体。その身元不明の遺体「キュウキュウ十二」は、なんと武田と瓜二つであった。彼はなぜ死んだのか、そして自身との関係は何なのか、武田は旧友で医師の城崎と共に調査を始める。しかし鍵を握る人物に会おうとした矢先、相手が密室内で死体となって発見されてしまう。自らのルーツを辿った先にある、思いもよらぬ真相とは――。過去と現在が交錯する、医療×本格ミステリ! 第三十四回鮎川哲也賞受賞作。
また、本文の冒頭を下記よりお読みいただけます。
現役医師が描く医療×本格ミステリ、気になった方はぜひ店頭でご予約下さい。
高校文芸部が廃部の危機。人数が足りないから、入部してほしい――同級生の文芸部部長に誘われた経緯は、確かそんなところだったと思う。とにかく、わたしは高校では特に部活にも入らず、塾に通ってはいるものの、特にやる気もなく数学は解答を写しまくってテストだけ帳尻を合わせ(そのせいで高三で苦労した)、相変わらず親の目を盗んでは漫画に小説にゲームに精を出していたから、「こいつなら押せば入ってくれそうだ」と思われた可能性が高い。
文芸部は年に四回、小部数の冊子を出していて、文化祭では有料で販売するという。普段の活動はなし。合宿もなし。〆切だけが存在していて、〆切に間に合うように原稿を提出するのみ、という極めてゆるい部活だった。
せっかく入部したので、書くことにした。
初めて書いた小説は三十枚くらいの『日常の謎』ミステリで、評判が良かったので調子に乗った。スペースオペラ、ホラー、時代劇……。幅を広げたくて、様々なジャンルの短編に手を出した。
幸い文芸部も存続が決まったので、さらなる手を打つことになった。
「文芸部で、部誌をコンクールに出してみよう。こういう取り組みをしていれば、廃部にはならないだろう」
……ということで、初めてのことでどんな大会かもよくわからないまま、我々はいつものホッチキス止めで冊子を作り、運営に送りつけた。
数か月後、結果が返ってきた。
――小説部門、佳作。
部誌はあえなく落選したが、何故か山口の書いた短編ミステリが単体で評価されていた。
――個人部門、存在したんだ……。
まず驚いたのはそのことだった。でも、続けて、じわじわと嬉しさがこみあげてくる。
大量に送られた雑誌の中から、『わたしの作品』を読んで、面白いと評価して、認めて下さる人がいた。自分の『面白い』が審査員に届いた!
――作家になりたいな。
はっきりとこの時自覚した。物語を作りたい。小説家じゃなくても、脚本でも、編集者でもいい。クリエイトに関わる仕事に将来つきたい。
親も驚いたと思う。今までずっと理系で勉強してきた娘が、突然「文学部に行く」「小説か脚本を書く」などと言い出すのだから。
「そんな簡単なものじゃないんだから、書きたいなら医者になってからにしなさい」
いや、医者になったら、忙しくて絶対小説なんて書けっこない。それに、わたしは女性だ。子供なんて産んだら、ますますできっこない。無理だ。
高校生の視野でそう思ったわたしは、いろいろと戦ってみたものの、最終的には諦めて、筆と、本を置き、医師になる道を選ぶ。夢見る少女は少しだけ大人になった。高校三年生の夏のことだ。(第3回に続く)
■山口未桜(やまぐち・みお)
1987年兵庫県生まれ。神戸大学卒業。現在は医師として働く傍ら、小説を執筆している。2024年『禁忌の子』で第三十四回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。