伊吹亜門×羽生飛鳥×戸田義長 交換日記「歴史本格ミステリ探訪」第3回:戸田義長(その1)
東京創元社出身の時代ミステリ作家3名による交換日記(リレーエッセイ)です。毎月1回、月末に更新されます。第3回は2024年5月31日に公開されたものです。【編集部】
5月 戸田義長(その1)
本題に入る前に、前回で羽生飛鳥先生より作品創りの手法についてご質問がありましたので、まずはその回答を。
私の場合はもっぱら、
②【置換型】海外や現代を舞台にした本格ミステリを読んでいる時、「もしかしたら日本の中世にトリックや動機を置き換えても可能かもしれない」と思いつき、検討して書く。
に該当しますね。
何しろ凡そオリジナリティに乏しく、先達の業績に依拠したヴァリエーショントリックばかり。現代を舞台にしたら「焼き直し」「パクリ」などと非難されかねないネタを、時代ミステリにすることによって辛うじて作品化できているだけですから。
まあ、それでも多少とも胸を張れる点があるとすれば、江戸時代への単なる置き換えに留まらず、江戸時代だからこそ成立するトリックとなるよう工夫していること。現代でも成立するのであれば、時代ミステリにする必然性がありませんから。この条件に関しては、一応これまで物したすべての作品が満たせているはずです。
あまり参考にはなりませんでしたね、羽生先生申し訳ありません。
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天下人・豊臣秀吉の命による国替えを強いられたため、徳川家康が江戸に入府したのは天正18年(1590)のこと。当時の江戸は葦の生い茂る湿地帯が広がり、いくつかの寒村が点在するだけの辺境の地でした。以来、ほぼゼロの状態から江戸の町を作り上げねばならぬ家康の苦闘が始まります。
歴史の長さという点において、羽生飛鳥先生が平頼盛を主人公とする『蝶として死す』(第15回ミステリーズ!新人賞受賞作「屍実盛」を収録)で生き生きと描き出された千年の都・京都とは、江戸は到底比較になりません。けれども慶長8年(1603)に江戸幕府が開かれて将軍のお膝元となった江戸は急速な発展を遂げ、100万超の人口を誇る世界一大きな都市となりました。
これから私のコラムにおいては、そうした江戸の町の歴史や魅力についても語っていきたいと思います。
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伊吹亜門先生の第12回ミステリーズ!新人賞受賞作の「監獄舎の殺人」(創元推理文庫『刀と傘』所収)は、〈死刑執行のまさに当日、なぜ囚人は毒殺されたのか?〉という謎がテーマとなっています。
大変魅力的な設定であり、感銘を受けた私は拙著『虹の涯』において〈負傷して瀕死となっている兵士を、なぜ下手人はあえて殺害したのか?〉という謎に挑戦してみました。二番煎じではありましたが、幸い読者の皆様の反応は存外に良いものだったようです。
さて、『虹の涯』の主人公・探偵役は水戸藩士の藤田小四郎です。その水戸藩の江戸上屋敷には後楽園という池泉回遊式庭園がありました。現在の小石川後楽園です(大正12年岡山後楽園と区別するため小石川と冠した)。
後楽園は水戸藩初代藩主徳川頼房が3代将軍家光から与えられた地に築造を始め、2代藩主光圀(黄門様です)に引き継がれました。その頃中国では明が清に滅ぼされ、儒学者の朱舜水が日本に亡命してきます。光圀は朱舜水を招聘し、その意見を受けて庭園に中国趣味を取り入れました。後楽園という名称も、朱舜水が『岳陽楼記』にある「先憂後楽」からつけたものです。
ちなみに日本で最初にラーメンを食べた人物は光圀との説がありますが、朱舜水が光圀にラーメンを紹介したと考えられています。
かつて江戸中に櫛比していた数多の大名屋敷は、明治以降の東京の歩みを考えれば当然のことではありますが、残念ながら一つも現存していません。この小石川後楽園のほか六義園や浜離宮恩賜庭園など辛うじて残された若干の大名庭園は、江戸の面影を偲ぶことができる貴重な遺産となっています。
もっとも消滅してしまったはずの大名屋敷も、公園などに姿を変えて今でも存続していると見なすことがあるいは可能かもしれません。大名屋敷跡の現状がどうなっているか、以下にいくつか例を挙げてみます。
徳川将軍家白山御殿 小石川植物園
尾張藩市谷上屋敷 防衛省
加賀藩本郷上屋敷 東京大学本郷キャンパス
西条藩青山上屋敷 青山学院
紀州藩赤坂中屋敷 赤坂御用地
高松藩白金下屋敷 国立自然教育園・東京都庭園美術館
高遠藩四谷内藤新宿下屋敷 新宿御苑
こうして見ると、現在の東京に残されている纏まった広い敷地は大名屋敷由来のものが少なくないことがわかります。
明治時代になると、多数の大名屋敷が新政府の主要官庁や陸海軍の関連施設に転用されました。
明治維新直後新政府は首都を京か大坂にしようと意図し、中でも大久保利通が唱える大坂遷都論が有力でした。これに対し前島密は、東京ならば大名屋敷をそのまま活用できるので官庁や学校を新規に建設しなくても良いと大坂にはないメリットを力説し、東京遷都を主張しました。東京が首都と決まった大きな理由の一つに、大名屋敷の存在があったわけです。
前島は近代郵便制度の創設者であることから「郵便の父」と呼ばれていますが(「郵便」「切手」という用語は前島の考案。1円切手の肖像画で有名)、この点でも日本近代の歴史に深く関わっていたことになります。
これからが行楽シーズン本番。大名屋敷跡には、小石川後楽園のように観光名所となっている場所が数多くあります。皆様もぜひ足を運んで、江戸の息吹に触れられてみてはいかがでしょうか。
【連載バックナンバー】
3月 伊吹亜門(その1)
4月 羽生飛鳥(その1)
■伊吹亜門(いぶき・あもん)
1991年愛知県生まれ。同志社大学卒。2015年「監獄舎の殺人」で第12回ミステリーズ!新人賞を受賞、18年に同作を連作化した『刀と傘』でデビュー。翌年、同書で第19回本格ミステリ大賞を受賞。他の著書に『雨と短銃』『幻月と探偵』『京都陰陽寮謎解き滅妖帖』『焔と雪 京都探偵物語』『帝国妖人伝』がある。
■戸田義長(とだ・よしなが)
1963年東京都生まれ。早稲田大学卒。2017年、第27回鮎川哲也賞に投じた『恋牡丹』が最終候補作となる。同回は、今村昌弘『屍人荘の殺人』が受賞作、一本木透『だから殺せなかった』が優秀賞となり、『恋牡丹』は第三席であった。『恋牡丹』を大幅に改稿し、2018年デビュー。同じ同心親子を描いたシリーズ第2弾『雪旅籠』も好評を博す。その他の著作に『虹の涯』がある。江戸文化歴史検定1級。
■羽生飛鳥(はにゅう・あすか)
1982年神奈川県生まれ。上智大学卒。2018年「屍実盛」で第15回ミステリーズ!新人賞を受賞。2021年同作を収録した『蝶として死す 平家物語推理抄』でデビュー。同年、同作は第4回細谷正充賞を受賞した。他の著作に『揺籃の都 平家物語推理抄』『『吾妻鏡』にみる ここがヘンだよ!鎌倉武士』『歌人探偵定家 百人一首推理抄』がある。また、児童文学作家としても活躍している(齊藤飛鳥名義)。