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【創立70周年記念企画】エッセイ「東京創元社、私の一冊」その3:「作家の原点」逢坂剛

東京創元社では創立70周年を記念して、全国の書店様で2024年4月と7月、そして11月の3回「創立70周年フェア」を開催します。そのうち7月のフェアでは『創立70周年記念小冊子』という文庫本サイズのブックレットを作成し、配布しました(2024年9月現在、小冊子の配布は終了しております)。

その中で「東京創元社、私の一冊」というテーマで小説家、編集者、声優、ライター、詩人、歌人等、各方面で活躍される総勢15名の皆様に小社で刊行している書籍を1冊お選びいただき、その本にまつわるエッセイを執筆いただきました。Web東京創元社マガジンでは、そのエッセイをおひとりずつご紹介させていただきます。


「作家の原点」

逢坂剛(おうさか・ごう/作家)

装幀:花森安治

『世界推理小説全集 全八十巻』(東京創元社/単行本)
※書影は第62巻『マルタの鷹』。現在は品切れ重版未定です。

 今から七十年ほど前、つまり一九五〇年代後半のことだ。

 中学生になったわたしは、江戸川乱歩や横溝正史、高木彬光といった、国内の人気作家の〈探偵小説〉を卒業して、海外の〈推理小説〉に目を向けるようになった。当時かよっていた、中高一貫の学校の図書館には、東京創元社が刊行中の世界推理小説全集が、着々とそろいつつあった。わたしはそれを、片っ端から読破していった。順番は覚えていないが、最初はメースンの『矢の家』やミルンの『赤い館の秘密』、クリスチィの『シタフォードの謎』などで、いわゆる本格物の古典と呼ばれる作品が、中心だった。

 そして何度目かに、チャンドラーの『大いなる眠り』を、借り出した。ところが、この作品はそれまでのものと異なり、主人公の探偵マーロウは事件に遭遇しても、犯人探しに熱を上げようとしない。読む方は、着地点がどこにあるのか見当がつかず、マーロウのあとを追うだけだ。ハードボイルド派と銘打ってあるが、あっと驚く謎解きがあるわけでなし、最後の方は流し読みで読み終わった記憶がある。それまでと違って、探偵はいるが推理がない印象で、さっぱりおもしろくなかった。

 ところが、高校生になってハメットの『マルタの鷹』を読み、頭をがんと殴られたようなショックを受けた。ハードボイルド派というジャンルの意味が、そこでようやく分かったのだった。あらためて、『大いなる眠り』を読みなおすと、あらあら不思議、これがなんとおもしろいのだ! 最初に読んだとき、なぜあれほどおもしろくなかったのか、それが分からずに首をひねった覚えがある。それ以後私の志向は、本格派からハードボイルド派に移行し、最終的に自分でもそのジャンルの作品を、書くようになってしまった。

 ただし、わたしのデビュー長編『裏切りの日日』は、ハードボイルド物と本格物を融合させた、珍品だと自負している。それもこれも、東京創元社の世界推理小説全集を濫読らんどくしたおかげ、といっても過言ではないのである。

*     *     *

■逢坂剛(おうさか・ごう)
作家。1943年生まれ。80年に「暗殺者グラナダに死す」で第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年刊行の『カディスの赤い星』で第96回直木三十五賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞を受賞する。2014年には第17回日本ミステリー文学大賞を受賞。代表作に『裏切りの日日』『百舌の叫ぶ夜』『イベリアの雷鳴』『禿鷹の夜』『燃える地の果てに』『重蔵始末』『平蔵狩り』などがある。


本記事は東京創元社編集部編『東京創元社 創立70周年記念小冊子』に掲載されたエッセイ「東京創元社、私の一冊」の一部を転載したものです。