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【『夜の写本師』で日本のファンタジイ史を塗り替えた著者が描く新たな世界】 小出和代/乾石智子『月影の乙女』解説[全文]

この記事は2024年10月刊の乾石いぬいし智子ともこ『月影の乙女』(東京創元社/単行本)巻末解説の転載です。(編集部)


装画:アリストレータ-/装幀:内海由

解  説

小出和代  

 誰にも理解してもらえない。気づいてくれる人がいない。自分だけが世界から切り離されてひとりぼっちだ、と思ったことはないだろうか。
 本書『月影の乙女』の主人公ジオラネル……ジルは、九歳のときに、「私は独り」だと強く思ってしまった。ちょっとした度胸試しのつもりが、〈スナコガシ〉の穴に落ちて死にかけたのだ。助けてと叫んでも誰にも届かないし、届いたところできっと間に合わない。その恐怖と絶望が引き金となって魔力が暴発し、結果、罪のない〈スナコガシ〉を犠牲にしてしまう。
 ジルは深く反省して、もう二度と誰も傷つけないと心に誓った。そしてこの思いは、家族の誰かが分かってくれて、寄り添ってくれるに違いないと無意識に信じていた。だから、そうではないと気づいて、ひどい孤独感に襲われる。
 やがて「独り」と鳴く〈月ノ獣〉と、銀のよろいをまとった〈月影ノ乙女〉が現れ、身のうちに入り込んできたとき、ジルは悟った。
 私は独り。そして、誰しもが独りだ。気づいたからにはもう誰かに泣きつくことなく、自分の足で闇路を歩いていかなくてはならない。

 独りを認めてしまうと、人はある意味強くなると思う。何事も自分でやるしかないと腹をくくるので、最初から他人に期待しない。頼らない。
 でも、そんな思考の若者が近くにいたら、首根っこを掴んで「こっち向け」と叱りたくなるだろう。独りでできると考えて、かたくなに周囲を頼らないのは傲慢ごうまんというものだ。
 フォーリ(魔法師)の訓練所に入ったジルには、幸いなことに、そうやって首根っこを掴んでくれる友人たちができた。特にカルステアという親友を得たのは大きかったと思う。他人を見下さないこと、過ちを認めること、もっと人を頼って良いこと。叱咤しったと助言を受け入れ、仲間を見習いながら、ジルは少しずつ成長する。そしてハスティア大公国の都ハストに所属するフォーリとなった後は、人々の生活を守るため、国中を駆け回ることになるのだ。
 ……と、ここまでが冒頭四十ページほどのあらすじ。本書は二段組みで軽く五百ページを超える大長編なので、物語はまだまだ、ここからである。この後はジルの故郷であるハスティア大公国と、国交のあるアトリア連合王国やドリドラヴ大王国が登場し、三国それぞれの思惑が交錯する。戦いがあり、葛藤かっとうがあり、魔法にも大きな変化が起きる。
 そして実は、この大きな争いの山場を越えた後こそが、本作のきもだ。人は独りである、という幼い頃の思いを出発点にしたジルが、新たに辿り着いた真実。伝説の〈月影ノ乙女〉とは、一体何者なのか。
 命は自分だけのものではなく、すべてのことは繫がっている。穏やかな風を浴びるように、読者もきっと暖かい気持ちで読み終えることができるに違いない。

 さて、ファンタジーの面白さのひとつに、世界と物語のダイナミックなシンクロがあると思う。『月影の乙女』はまさに、そこを楽しめる作品である。
 例えば、作中の主な舞台であるハスティア大公国には、〈スナコガシ〉をはじめ、軒先でシャボン玉を吹く〈聖ナルトカゲ〉や、玄関先で羽を丸める〈ツバサダマ〉など、イリーアと呼ばれる精霊のようなものがたくさんいる。ジルの中に潜んだ〈月ノ獣〉もまた、イリーアだ。彼らは無垢むくなるものの象徴で、フォーリたちの勢いや、国の趨勢すうせいを表すように、数が減ったり増えたりする。たくさんのイリーアが元気に過ごしているならば、それは町や人が健やかな印なのだ。
 また、魔法にはその国の特徴が表れている。ハスティアのフォーリは、予知や遠見、動物との共感、鍛冶を助けるはがねの魔法など、それぞれに得意分野があって、手分けして国のために働いている。ジルの場合は特に、大きなものを動かすのが得意だ。フォーリたちには「魔法で人を傷つけてはならない」という禁忌もあり、仮に攻撃を受けた時でも、使っていいのは防御の魔法だけとされている。
 一方、対照的なのはドリドラヴである。竜王ウシュル・ガルとその息子たちは、周囲にいる者すべてを疑って、一切協力しない。頼りにするのは、己の力のみ。火の魔法を操って気に食わぬものを攻撃し、時には竜に転身してあたりを焼き払う。
 野心にまみれたドリドラヴが攻め込んできたとき、ハスティアのフォーリたちは、防御の魔法だけで竜に対抗できるのだろうか。逆に、協力することを拒むドリドラヴの竜王たちが、仲間と助け合うフォーリの戦い方を崩すことはあるのだろうか。
 これらは、「二度と誰も傷つけない」と誓った、ジル個人の葛藤と相似形にもなっている。
 竜と魔法使いの戦いというエンタメ全開のシーンで、複数の問いかけが重なりあうのだ。世界を丸ごと呼応させる、まさにファンタジーの醍醐味だいごみというところである。
 こういう企みを漏らさずに読みたい……とは思っているのだけれど、何しろ乾石さんの描写が鮮やかなものだから、いつもすぐに目を奪われて、象徴だのテーマだのと考える余裕がなくなる。道端に群れる草花や、色を変えていく空の様子。荒れる海でもみくちゃにされる船の中も、雪の一夜を明かす深山の木の根元も、みな鮮やかに浮かびあがる。視覚だけでなく、風や香料の匂い、町に漂う腐敗臭、ノミに食われたかゆさなど、五感全てに訴えてくるので、ちょっとしたVR気分である。
 人々の言動や生活の描写が、きちんと「繫がっている」のも良い。たとえば、馬に乗って出かけたチームが、仲間を二人亡くすシーン。亡くなった二人の乗馬を、残された仲間が連れて帰ってくる描写があって、ちょっとびっくりしてしまった。考えてみれば自然な行動なのだけれど、ここまで書くことはあまりないのではないだろうか。
 また、ベッドの解体と整備を行うシーンでは、マットレスの部分に詰められていたわらを仕分けて再利用したり、掛布団に良い匂いのする枯葉を詰め込んだりと、とても細かい生活の描写が続いてわくわくした。こういうところが細やかに書き込まれていると、どこか遠いところにあるはずの世界が、急に身近に思えてくるのだ。大きな物語世界を組み上げる腕力と、細部まで書き込む筆の緻密さ、乾石さんの作品には双方が揃っている。

 さて、著者の乾石智子さんについて少し語ろう。
 乾石さんは一九九九年教育総研ファンタジー大賞を受賞。二〇一一年四月に東京創元社から『夜の写本師』を上梓し、デビューした。
 個人的な話で恐縮だが、この『夜の写本師』が発売されたとき、私は書店に勤務していた。担当営業氏から、何とか売りたい新人作家がいるのだと相談され、では、と読んでみてひっくり返ったのだった。何このベテラン作家による翻訳長編みたいな作品は。日本人作家が書いた? これがデビュー作? ほんとに?
 読み手として翻訳小説が大好き、という作家はたくさんいるけれど、書き上げる作品までがこんなに「翻訳調」になる作家は珍しいと思う。自分に大きく影響した作品として、著者略歴に決まり文句のように挙げているのが、『スターウルフ』『コナン・ザ・バーバリアン』だ。ああ、ゴツい翻訳作品を浴びまくって、それがもう自分の血潮として全身を流れている人なのに違いない。
 こんな作品を読めるのなら、仮に十年待てと言われても私は待てる。一作で終わりにせず、ぜひ書き続けてほしい。……と、熱く願っていたところ、なんと『夜の写本師』発売の翌年、二〇一二年四月に『魔道師の月』、十月に『太陽の石』、二〇一三年六月に『オーリエラントの魔道師たち』と、信じられない速さで新作が生み出されてきた。しかも中身のクオリティは変わらずである。こんなにみっしりした話を、このスピードで書いてくるなんて、本当にとんでもない作家が出てきたと、ちょっと震えながら喜んだのだった。
 ちなみに本作『月影の乙女』は、乾石智子作品史上、最長とのことである。『夜の写本師』を始めとするオーリエラントシリーズとは別の、単独作品だ。一冊大事に抱え込んで、ゆっくりじっくり浸ってほしい。


■小出和代(こいで・かずよ)
25年間文芸書を担当した元書店員。現在は書評や解説など執筆活動を行う。著作に『あのとき売った本、売れた本』(光文社)がある。

■書誌情報
書名:月影の乙女(つきかげのおとめ)
著者:乾石智子(いぬいし・ともこ)
判型:単行本(四六判上製)
定価:2750円(本体価格2500円)
頁数:524ページ
装画:アリストレーター
装幀:内海由