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「私が鮎川哲也賞を受賞するまで(第3回)」山口未桜

『禁忌の子』で第34回鮎川哲也賞を受賞した山口未桜さんに、デビューするまでの道のりについてお書きいただいたエッセイを、10月10日の発売日に向けて3週に分けて公開いたします。
最終回となる第3回は医学部受験で小説家という夢を諦めてから受賞までのお話です。
どうぞお楽しみください。

前回までのエッセイはこちら。

装画:Q-TA/装幀:大岡喜直(next door design)

救急医・武田の元に搬送されてきた、一体の溺死体。その身元不明の遺体「キュウキュウ十二」は、なんと武田と瓜二つであった。彼はなぜ死んだのか、そして自身との関係は何なのか、武田は旧友で医師の城崎と共に調査を始める。しかし鍵を握る人物に会おうとした矢先、相手が密室内で死体となって発見されてしまう。自らのルーツを辿った先にある、思いもよらぬ真相とは――。過去と現在が交錯する、医療×本格ミステリ! 第三十四回鮎川哲也賞受賞作。

禁忌の子-山口未桜|東京創元社

また、本文の冒頭を下記よりお読みいただけます。

現役医師が描く医療×本格ミステリ、気になった方はぜひ店頭でご予約下さい。


 それから、あっという間に十六年が経過した。
 ……いや、実際にはいろいろなことがあった。大学時代にはある球技にハマり、週七日練習して友人と苦楽を共にした。とんでもないトラブルに巻き込まれたこともあるし、結婚もした。
 作家になりたかった高校生は消化器内科医になり、今度は専門とする胆膵内視鏡の世界に魅せられた。研究発表も行い、医師として充実感を得ていた頃……わたしは出産する。二〇二〇年のことで、立ち合い出産も許可されない、コロナ禍の子育てだった。

 諦めの悪いわたしは、育休から復帰後も「母」になったことを理由にしたくなくて、フルタイムで働き、当直も、オンコールもやることにした。でも、研究も……と思ったところで、挫折する。
 何年かかけた研究はコロナで学会発表自体が中止になった。では論文化を、と思ったが、書き上げたもののいろいろと上手くいかず、頓挫した。
 娘のお迎えがあるから、働くにも時間制限がある。寝かしつけてから病院へ戻るやる気はとても持てなくて、わたしは研究自体をやめてしまった。

 鬱屈していたそんな、ある日のこと。
 ――いったん諦めた、小説を書く、という夢をもう一度追いかけるなら、今しかないんじゃないか? 研究は病院に行かないとできないけれど、小説なら家で書ける。育児と両立できるんじゃないか。
 急に天啓が降りた。
 思えば、医師として働きながらも、どこかに欠落のようなものを抱えていた。小説を目にするたび、心のどこかが疼くから、いつの間にか読まなくなっていた。今のままでは、「昔、書きたかっただけの人」だ。とにかくまず、書いてみよう。
 二〇二一年の年末だった。思いついた日から、家族が寝静まってから書く生活が始まった。二三時から一時を、三百六十五日。小説の乱読も再開し、大ファンだった有栖川有栖ありすがわありす先生の創作塾の門を叩いた。やれることは何でもやろう、と思った。
 創作塾は、書いて持ち込んだ小説をお互いが読み合わせ、塾生と有栖川先生で合評する形式で成り立っている。コロナの影響で、当時ZOOMで開講されていたため、子育てしながらでも受講が可能だった。
 有栖川先生は絶対に作品の否定はしないし、「こう直せ」とは基本的にはおっしゃらない。その代わり、作品の美点を褒め、一方で「何が足りていないのか」「どこが駄目なのか」をきっぱりと伝えて下さる。どうしていくべきかを考えるのは、作者の仕事だから。
 厳しくも温かい、この指導がわたしにはすごく合っていた。
 何よりも創作者としてどう考え、どう作品に向き合うべきか、というストイックな姿勢を学ばせて頂いた。サイン会に並んでいた高校生のわたしに、将来その有栖川先生に教わって鮎川哲也賞を獲る、と言っても絶対に信じないに違いない。素晴らしい師に導かれて、文字通り人生が変わった。
 一度創作を始めてしまえば、なぜ今まで書いてこなかったのかが不思議で仕方なくなった。あんなにいつも傍にあった、物語の泉は枯れてはいなかった。目を逸らしていただけで。

「デビュー作には、その人の作家性の全てが出る」と言われる。
 今回受賞した『禁忌の子』のキーとなるアイデアは、娘の夜泣きで起こされた時に思いついた。その時書き留めたメモが十七万字の小説になり、一年の改稿を経て受賞した。
『パズルランドのアリス』で論理パズルに親しみ、『Zの悲劇』に衝撃を受け、『名探偵コナン』にハマった。宮部先生の作品は、『火車』が特に好きだった。新本格が生み出した作品群はわたしのバイブルだ。
 青春、恋、トラブル。仄かに感じてきた生きづらさ。医師として目の当たりにした、時としてままならず運命に翻弄される様々な人生。出産を経て変わる生活。家族への愛情。
 確かに、本作には今のわたしを形作る全てのものが、いろいろな形で反映されていると感じる。これは、高校生の時には書けなかった、今のわたしだからこそ書ける物語だ。
 もがきながら毎日一生懸命に過ごしてきた十六年は、決して無駄ではなかった。
 この作品をどうしても世に出したくて、ひたすら改稿し続けながら、応募先を探した。選んでいただけたのは、本当に幸せなことだ。今も、プルーフの感想を拝読するたびに、ああ、辿り着けてよかった、と実感している。
『禁忌の子』は後半から物語が加速する。論理の糸が辿り着いた先には――きっと驚きが待っている、と思う。一人でも多くの方に、楽しんでもらえると嬉しい。
 改稿をし続ける創作方法は、全くスマートではなくて、でもわたしらしい。少しでも面白い物語を世に出せるように、泥臭くても一歩ずつ頑張っていきたいな、と今は考えている。物語の泉はまだ枯れていないから。

 ――ということで、不束者ですが、皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。


■山口未桜(やまぐち・みお)
1987年兵庫県生まれ。神戸大学卒業。現在は医師として働く傍ら、小説を執筆している。2024年『禁忌の子』で第三十四回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。

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