【サークル活動報告】美術鑑賞サークル:第19回東京都美術館「デ・キリコ展」(7/21)|社会人勉強コミュニティ
皆様、こんにちは!
美術鑑賞サークルのちーです。
7/21(日)にサークル19回目の活動として、 上野の東京都美術館にて開催のデ・キリコ展を鑑賞に行きました!
1.サークルの概要
月に一回程度、皆で都内の美術館の企画展を見に行くサークルです。西洋絵画の展覧会が多めですが、日本美術、現代アート、映画鑑賞、まち歩きなどの活動もたまに行っています。鑑賞後は、気に入った作品を発表したり、希望者でカフェで歓談を行っています。普段美術館にはあまり行かないという方も多くいらっしゃいますので、勉強の息抜きにお気軽にご参加ください。またサークル登録がないコミュニティーメンバー以上の方のご参加もいつでも大歓迎です!
2.イベントの様子
当日は計3名で活動致しました。
今回は、シュルレアリスムの先駆けとなった「形而上絵画」を創始した20世紀イタリア人画家、ジョルジョ・デ・キリコの大規模回顧展です。
「形而上」とはもとは哲学用語で目に見えないものを指しますが、デ・キリコはそのような見えない世界の本質を幻想的に描き出しました。
一見すると難しいように思えますが、デ・キリコの絵画はモチーフが比較的はっきりしていて、その不思議な世界はただ眺めているだけで楽しむことができます。
デ・キリコはイタリア人の両親のもと1888年にギリシャで生まれ、イタリアやフランス、ドイツなど各地を転々としながら制作する人生を送りました。
会場内は撮影禁止で、現在も没後70年の著作権保護期間中(1978年没)ですので、写真少な目となっておりますが、撮影可能だったパネルを中心にご紹介します!
会場内はデ・キリコらしい深い青や黄色の壁に作品がかけられ、所々に開けられた窓のような隙間から、隣のセクションの作品を覗き見ることができる遊び心のある仕掛けがされていました。
まずは記念撮影用の立体パネルになっていた《予言者》(1914-15、ニューヨーク近代美術館)から。
タイトルは「予言者」であり、キリスト教などで出てくる「預言者」ではないようです。キャンバスを前にしている事から画家自身の投影と解釈されます。
このような顔のない人間を描いた作品は「マヌカン(マネキン)」と呼ばれデ・キリコ作品に特徴的なものとなっています。
それまでの西洋絵画では人間を表情のある個性的な存在として捉えていた訳ですが、デ・キリコは人もモノと同様に捉え直した点で革命的であったそうです。
つまりアートのカリスマ、形而上絵画の創始者としての矜持がこの絵に表されています。
会場の第一章はデ・キリコの自画像特集から始まっていましたから、解説を見るまでもなく自分大好き!なデ・キリコの性格が伝わってきます。
また、絶妙に体を捻ったポーズは美スタイル・美脚自慢のようにも感じられます笑
そんなデ・キリコとのツーショが撮れる素敵な仕様のパネルとなっております!
続いてはいきなり晩年の作品に飛びますが、デ・キリコの全ての時代のスタイルが詰まった人生の総まとめとも言うべきオ《デュッセウスの帰還》(1968、キリコ財団)についてです。
会場内では最後の章「新形而上絵画」に展示されていました。
タイトル通りギリシア神話の英雄伝オデュッセイアの主人公オデュッセウスが長年の戦争と流浪の旅から帰還するシーンを主題としています。
船で20年ぶりに故郷のギリシアへ…という感慨深いシーンですが、家の中に海がありオデュッセウスが船を漕いでいる非常にシュールな絵になっております。
部屋の中に現実にはありえない海や森、建物といったものが存在する、また逆に、屋外に家具が配置されている、といった作品はデ・キリコが40歳ごろの1920年代に描いていた「谷間の家具」と呼ばれる作品群そのものです。
また左の壁には1910年代にヒットした自身の人気作《バラ色の塔のあるイタリア広場》が架けられています。
さらに右の壁の窓から見える景色は、画家の生まれ故郷ギリシアの風景とされており、まさにデ・キリコの人生をなぞった作品となっています。
作品を描いたこの時デ・キリコは80歳。英雄の帰還と自分を重ね、画家がこれまで歩んできた人生振り返った集大成となっています。
3.感想
デ・キリコと言うと、代表的な「イタリア広場」のシリーズをはじめ、《不安を与えるミューズたち》(1950ごろ)という名の作品もあるなど、彼の作品は「不安」というフレーズで、非現実の世界が我々が現実だと思っているこの世界を揺さぶる様が表される事が多くあります。
そのためデ・キリコはちょっと病んでる繊細系なのかと思っていましたが、むしろメンタル強めな人物であったと会場で初めて知りました。
デ・キリコ、年代によって画風が180度違うのです…我々のイメージする形而上絵画は1910〜20年代、30〜50年代になると突如として前世紀のアートである古典絵画に回帰、ルノワールのようなタッチでいわゆる普通の横たわる女性ヌードを描いていたりします。
その後70歳を過ぎた1960年代、そして1978年に亡くなるまでは新形而上絵画として、自身の1910、20年代の作品の焼き直しやアレンジを行なっています。
当時のアートシーンがシュルレアリスムなどますます前衛的な方向に突き進む中、突如逆行するその姿勢や、晩年になって過去作品のオマージュを行う様は当時としてはあまり受けがよくなかったようです。
そんな中、《17世紀の衣装をまとった公園での自画像》(1959、キリコ財団)で解説されていたのですが、この作品はそんな批判に対する一種の挑発という意味を込めて描かれたそうです。批判に対して作品で対抗するその姿勢はちょっとカッコいいなと思ってしまいました。
参加者からの感想でも「振れ幅が広い、画風が違い過ぎて同じ画家だと分からない」、という意見がありました。
実際、シュールな形而上絵画の後に、バロックや新古典主義風のタッチのヌードを並べられると、180度違う画風に見ているこちらが戸惑ってしまいます…
その時々でこれが良いと思ったものを自信をもって選べる強さを持った人なのだなと感じました。意見を変えられる自由奔放なところも合わせ持っていますね。
それから個人的に気に入ったのが「神秘的な水浴」シリーズです。
挿絵として描かれた版画作品の数々は、デ・キリコが幼い頃、父に手を引かれて行ったギリシャの海で、裸で泳ぐ海水浴客と、それを監視するスーツに身を包んだ監視員とのギャップから受けた衝撃を絵にしたものです。
《神秘的な客》から始まり、《白鳥の出現》、《不可解な逃亡》、《孤独な水浴》…《神秘的な脱衣所の下で》…という風に大変シュールなネーミングセンスに思わず笑ってしまいそうでした笑
ポストカードを買い忘れてしまい画像がないのが残念ですが、今、皆さんが想像した通りの面白い作品群です。(《白鳥の出現》はデ・キリコ展パネルの左端の作品です。)
展示が始まってすぐの自画像の章に、「風変わりで色とりどりの玩具でいっぱいの、奇妙なミュージアムを生きるように、世界を生きる」というデ・キリコ自身の言葉が大きく掲げられていました。
この言葉と展示全体を振り返ってみて、自分もデ・キリコのような自由な遊び心を持って人生を生きたい、と思いました。現代アートを見ていると自分の頭が如何にカチコチになっているかによく気付かされます。
世間の潮流からは少々外れても、自由に我が道を行くデ・キリコに大変勇気づけられました。
そう考えると、こんな気持ちにさせてくれるアートっていいなぁと改めて思います。
「美術ってどうやって観ればいいの?」と聞かれても、口下手でとりあえず一点好きな作品を探すといいよ、くらいにしか答えられないのですが、こんな風に勇気づけられたり、綺麗な作品を見て、つい忘れていた世界の美しさに気付かされたり、という事があるから自分はアートを観るのが好きです。
そうは言ってもすぐ普段の日常に戻ってしまうので…しばらくシュールなポストカードを部屋に飾っておく事にします。
写真はお菓子とセットで発売されていた《球体とビスケットのある形而上的室内》(1971、キリコ財団)です。
4.今後の活動予定
次回の活動予定は下記になります
8/18(日) 松岡美術館 「レガシー ―美を受け継ぐ モディリアーニ、シャガール、ピカソ、フジタ」展
リクエストがありましたので、次回は8/18(日)に白金台の松岡美術館に行く予定です。
それ以後の活動予定はどこにしようか悩んでいるので、リクエスト募集中です!
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