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革命のはじめ方【レッスン11】『アート(芸術)は自由の産物ではない。全てはシステムの産物である』

昨年のことになるがロートレック展に行った。写実主義から印象派が生まれる19世紀に今見てもおしゃれなポスターを作っているのは驚異的なことだ。だが私はここでアートというものを疑いたい。そもそもアートを鑑賞するのは素晴らしいことだし、どのような鑑賞の仕方をするのも自由だと思う。歴史的な観点から分析してもいいし、自分の感じるままに観ても結構だ。しかし、私は或る事実に気付いたのでそれを発表したい。こんなことは当たり前に知っている方もいるかもしれないが。
その展覧会ではロートレックだけでなく、同時代の画家の作品が数多く飾ってあった。印象派の絵画だったり、リトグラフだったり。
そして各作品の説明ボードには作者名や解説とともに『絵画塾』の名前も記載してあった。

画家たちは皆、絵画塾に属していたんだ。主要な塾の名前は4つくらいしかなかった。私はそこで当たり前の事実に気が付いた。ヨーロッパで画家として名が知れるには絵画塾に所属していなければいけないらしい。今の芸大よりももっと狭い世界。非常に限られた世界で競争しているだけだった。
アート作品は芸術家養成塾から生まれる。それでその芸術家養成塾はヨーロッパで無数にあるわけではなく、いくつかしかない。要するに両手で数える程度の塾という限られた社会で誕生していたに過ぎないんだ。

私はアートというのは自然発生的に世界で僅かな確率で天才が誕生し、天才だからこそ唯一無二の作品が生まれた、と信じ込んでいたのだが、そうではなかったのだ。アートというものは、アートを作るために集められ教育された者たちが属する限られた塾や学校の中で優秀な成績を得た作品に過ぎないのではないか。当時のアートとはそういったものなのではないか。

我々はずっと芸術という幻想を見せられていたのではないか。芸術とは限りなく自由な存在のように思ってはいなかったか。すべては学校のようなシステムの中の話である。学校のような教育システムはアートとは最も遠い存在だと勝手に決め込んでいた。しかし、アートとは限定された教育システムの中で誕生する作品に過ぎないのだ。
それは今でも脈々と続いている。芸能業界、映画業界、広告業界、出版業界、放送業界、その他諸々の業界は実は非常に狭い世界なのだ。そのシステムにいったん入ってしまえば成功が約束される。業界内の人々は仲間意識を持ち、お互いに守り合う。これは脈々と続く歴史の事実なのだ。

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