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39歳、妊娠する8 いつ言う?

妊娠報告。

あ、ちょっと体調が良くなってきたかも!?そんな日が続いてきたのがやっと妊娠して5ヶ月の頃。お腹もふっくらしてきたかなぁという感じにもなってきた。実は、この時点で自分が妊娠していることは夫と産婦人科医しか知らないという状況で、そろそろ会社にも両親にも言わないとね、ということに。

なんで誰にも言わなかったのか……、それはやっぱり自分が高齢出産である、というのが大きい。もし早くに報告して何かあったら? その思いがずっと拭えなくてひとまずはNIPTの結果と、安定期に入るくらいまでは誰にも言わないと決めていた。健診では、「初産なら周りのご家族も喜んでいるのでは?」と言われて「まだ両親にも言ってなくて……」と言ったら、驚きと同時に「よく我慢してられますね、すごい!それは本当すごいことですよ」と。「やはりみんな誰しもが喜ばしいことだし、待望のことであったりするので我慢する方が難しいですから、そう決めて言わないってできるのはすごいことだと思います」と褒めてもらってちょっと嬉しかった。夫はあまりの私の意思の強さに本当は妊娠したことが嬉しくないのではないか、と密かにずっと思っていたらしい(苦笑)。

もちろん、もっと悪阻や体調が悪かった場合はこんな風に報告しない、なんてことは絶対できないだろうし、仕事も出来ないから職場にも報告しなければならなかったはず。そういう意味では本当に運が良かったな、と思う。今考えてみると、妊娠の喜びよりもやっぱりとにかく無事生まれてくるまでは安心できない、って気持ちがずーっと頭のどこかにあったからその不安と緊張が冷静にさせていたんだなと思います。ちゃんと生まれてきてくれるのか、とにかく怖かった。

決戦は誕生日!?

▲三鷹に移転してしまう前にどうにか行けた七條。まっすぐなエビフライがサイコー!

そんなこんなで6ヶ月に差し掛かる頃、40歳の誕生日に報告してはどうだろう、という話になった。安定期に入ってはいるし、健診でも順調と言われていたのでさすがに言えるタイミング。と、いうわけで、両親→義理両親と報告をして、翌日、会社の上司には報告しよう、ということにした。誕生日の日の夜、仕事から帰ってきて、一息ついたところで、まずは自分の両親に電話をした。
「えーっと今日誕生日なんですが、ご報告がありまして、子供ができました」と伝えたところ、「あらー!!本当に!おめでとう!」と予想よりもだいぶ大きな喜びのリアクション。「孫ちゃん、できるの!わー!」と喜んだあと、いつ生まれるの、という話になり、6ヶ月だから12月には生まれるよ、と伝えると、さっきとは比べ物にならないくらいの驚きようで「え!?はい!?6ヶ月!?よう黙ってたな」と(笑)。ただ、さすが実の親だけあって、高齢出産だからね、まあ、でも本当に良かったわ、張り合いができると予想以上に喜んでくれた。両親が子供について孫について、何か言ってきたことというのが実はなく、色々思っていたことはあったんだろうけど、本当に何も言ってこなかったから、正直、そんなにも喜んでくれるとは思っていなかったので逆にこの歳になって親孝行できた事が嬉しかった。

続く、義理両親へも夫が電話をして報告すると、初孫ではないのにとても喜んでくれて、とにかく奥さんを大事にしなさいね、と何度も念を押されていた。次の日には私が大好きな果物がネットスーパー経由で届いて本当にありがたかった。両親たちに報告した事で、やっとちょっとずつ自分自身だけではなく、誰かが喜んでくれるようなおめでたい事、嬉しい事なんだなぁと少しだけ実感が湧いた。

上司も仰天。

両家への報告が済んだところで、次の日、上司に時間をもらって報告することに。急に1on1を申し込んだような形になってしまったため、何か深刻な相談でもあるのではないか、とかなり神妙な面持ちで会議室にやってきたので申し訳なかったけど、妊娠の報告をするとかなり喜んでくれ、産休や育休のタイミングの相談に早速のってもらった。(両親たち同様、6ヶ月と聞いて「全く気づかなかった!凄すぎる……」と驚かれた)。通常、みんながほぼ1年産休育休をとっていることもあり、上司にもそう勧められたけど、管理職になって2年目、そこそこホワイト企業ではあるのでポジションは復帰後も変わらないとはいえ、正直、女性管理職も少ないので不安の方が強い。「3、4ヶ月で復帰したいと思っています」と。
「いいの?無理はしないで」と言われたけれど、すでに6ヶ月でそれまで全く変わらず実務を行なっていたことなどから決心の固さを感じたらしく、ひとまず4ヶ月での復帰を目指すことで落ち着いた。後々、この決断がいろいろな意味で功を奏することになるとは……。

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