『「ここから会」でこれからのことをかんがえる。』kyodo 20_30のきろく📝#9
こんにちは。「東京で(国)境をこえる」ディレクターの矢野です。
10月23日(土)にkyodo 20_30の第9回目がありました。その報告をしたいと思います。
kyodo 20_30はいつでも参加者を待っています。
活動に興味をもった方は、まずオンライン見学に参加してみませんか?
参加や見学については ここ に書いています。
この集まりも今日で9回目。この日は『ここから会』(中間発表会)ということで、参加者のみなさんが、これまでの半年間で学んだこと、印象に残っていることなどを他の人と共有して、これからの半年間でやってみたいことについて発表をしました。
その場で発表する人もいれば、事前に用意したビデオメッセージで発表する人もいました。
最初に、kyodo 20_30の成果発表の方法について、ディレクターの矢野から説明をしました。
成果発表会といっても、お祭りのようなことはしたくない。日常にある様々なことのように、小さなものを積み重ねて行くことが出来ればいいと思います。
特に成果発表会では、他者と触れる、ということを大事にしたい。自分がいるコミュニティと触れあう。経堂という街のコミュニティに触れる。他者に触れる。
それから、共同制作でみんなと一緒に作る作品は、作品を通して他者と問いが共有出来るものにしてほしいと思います。なぜ一人で作るのではなく、みんなと一緒に作るのか?それは、自分とは違う考えや感性の人がいるということを、一緒に手を動かして作品を作ることで、体験して欲しいからです。
『ここから会』では、みなさんに次の3つの質問に答えてもらいました。
Q1. kyodo 20_30の活動で、印象に残っていることはなんですか?/あなたがもっと深く知りたいことはなんですか?
Q2. それはなぜですか?
Q3. あなたがチームでやってみたいことはなんですか?
最初に、ビデオメッセージを作って来てくれた人から発表してもらいました。
aqiLaさんは、メインプログラムのkyodo 20_30だけでなく、蔣雯(ジャン ウェン、みなさんはいつも「ウェンさん」と呼んでいます)さんのプログラム、『意味の境をこえる身体へ』に引き続き参加して、成果発表会をしたいそうです。
※『意味の境をこえる身体へ』については、こちらで撮影のきろくを公開しています。詳しくはこちらを読んでみて下さい。
印象に残っているのは、この『意味の境をこえる身体へ』でやっている演技の仕方で、即興でやる演技、演劇が、aqiLaさんにとって今までなかった経験で、それが非常に面白いというお話でした。
次に発表をしたのは、長谷川祐輔さんです。長谷川さんの印象に残っていることも、aqiLaさんと同じウェンさんのプログラムでした。長谷川さんは、作品を作ることと人間関係を育んでいくことがつながっているところが、いいなと思っているそうです。あつかっていることが大きなテーマなので、今後もずっと、長い時間の中で考えていきたいとのことでした。
最後のビデオメッセージは、綾田將一さんです。綾田さんの印象に残っていることは、#5と#6でゲストに来てくださった室橋さんの回でした。参加してみて、じっさいに歩いてみて、もっと新大久保について知りたくなったそうです。
さらに、散歩をすることで自分のからだを動かしながら人と関わって、いろいろ考えることができて、そのことがとても面白かったそうです。
綾田さんは、中間発表会に向けて、新大久保を一緒に歩いてくれる人を募集しています。散歩の模様をビデオに撮影して成果発表会で発表する予定です。「東京で(国)境をこえる」のYouTubeチャンネル上でも、撮影の記録を連載していく予定です。
参加者の柴田早理さんが印象に残っているのは、同じく室橋さんがゲストに来て下さった回。将来、自分も移民として生活していく予定(!)をしているそうで、移民の多い新大久保の話はとても面白かったそうです。
やってみたいことは、リアルな国境についてのリサーチです。
もし可能であれば、仙台に親戚がやっている日本語学校があるので、そこの学生に話を聞きたい。インタビューをして写真を撮って、レポートをしたいとのことでした。
柴田さんがいくつかのエピソードを紹介してくれたのですが、コロナ禍で留学生たちが直面した様々な問題はどれも切実なものばかりで、でも少しだけおかしく、とても面白いものばかりでした。
柴田さんのレポートについては、ぜひとも実現することができれば、と思いました。
ゆうさんの印象に残っている回は、オンラインで簡単なゲームを一緒に作る回です。誰でも参加できるし、何より楽しかったそうです。
あと、個人的に「個別性」ということが気になっているそうで、人と会ったり、話をしたりするときに、その人が持っている習慣やルールが、実は人と人とを隔てる境界になっているのではないか? というとても面白い話を聞かせてくれました。
このことは、実は「マイクロアグレッション」という、日常の中で何気なく行われている言動に現れる偏見や差別に基づいた見下しや侮辱、否定的な態度をとってしまうこととも関わっているので、ゆうさんの問題意識はとても大事なものだと僕も考えています。
この問題については、事務局の阿部さんから、初めて会った人にどんな言葉をかけるかというのは難しいという感想も出ました。じっさい、当たり障りのない会話をしようとしたときこそ、会話は難しいものになるのかも知れません。
矢野からは、例えば、相手がどんな人なのか、誰なのか分からない状態で、チャットで対話を試みるというのは面白いかも知れない。そのプロセスをビデオなどで記録して発表出来れば、見えない(国)境を考えるというこのアートプロジェクトのテーマにもつながる面白い作品が出来るかも知れないね。と話をしました。
ウェンさんからは、ウェンさんが代表のプログラム『意味の境をこえる身体へ』についていろいろ話をしてくれました。特に、他者と一緒に何かをすることと、その難しさ、その面白さについての話が興味深かったです。
ウェンさんは、このプログラム『意味の境をこえる身体へ』の活動を通じて、他者と何かすることは効率的ではないけれど、効率的であることはよいことではないのではないか? という思ったそうです。とても面白くて、重要な問題提起だと僕は思います。
ウェンさんの『意味の境をこえる身体へ』については、ほかの参加者からもいろいろな質問がありました。
例えば、「監督、脚本のない脱中心の方法」について、いったいどういう撮影の進め方をしているのか? とか。
事務局のテイさんからは、現場でやっていたことと、編集した後の映画はどんな風に違いますか? という質問がありました。ウェンさんは、「編集は意味づけの作業だと思う。現場でやっていたときは、もっとやっていることの意味や、物語が散らばっていた。俳優は、編集された映像を観て、『そんな物語になったの!』という驚きや刺激を受けると思う。」と話しました。
実は、事務局のテイさんもアーツカウンシル東京の別のプログラムで映画を撮影しています。もっとお互い自由に、たくさん話が出来ればいいな、と思いました。
kyodo 20_30 #9『ここから会』はこんな感じで無事に終了しました。
この日は特別に、kyodo 20_30の集まり終了後、ウェンさんのプログラム『意味の境をこえる身体へ』でこれまでにリモートで撮影した映画『八月対談録』の上映会がありました。
カメラマンの呉さんや、ウェンさんのアシスタントで、ウェンさんの教え子でもあるベトナムからの留学生、レイ ハイ リーさんらも参加して、とても楽しく映画を一緒に鑑賞しました。
次回、kyodo 20_30 #10は、いよいよ僕らの拠点である経堂アトリエで、じっさいに顔を合わせて、これから始めグループごとの共同制作について考えていきます。
kyodo 20_30はいつでも参加者を待っています。あなたが東京で感じた「(国)境」はどのようなものですか。ぜひ教えてください。
もし活動に興味をもった方は、お気軽に、まずは見学に来てみて下さい。あなたの参加を楽しみにしています。
どうぞよろしく お願いします。
書いた人:矢野靖人(やのやすひと、『東京で(国)境をこえる』ディレクター)