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ムッシュかんかんのアフリカ美術入門①~アフリカのイス~

「ムッシュかんかん」こと東京かんかん代表、小川弘の得てきた経験や残してきた文章を、改めて発信していく場所としてnoteを開始しました。代表の言葉を借りて、担当Sが発信をしていきます。

1回目はアフリカ美術入門として最も代表的とも言える「イス」について、ムッシュかんかんの文章をご紹介します。



イスは単なる座る道具を超えて、社会的存在としての意味を担う

アフリカにおいては仮面や神像が各部族ごとにさまざまな形態を持っているように、イスの形も非常に豊かである。ひとつの部族で何十種類ものデザインを見ることができる。まさに創造と変容の宝庫である。

アフリカの社会ではイスは二つの利用目的に分けることができる。ひとつは日常的に実用品として使われるイス、もうひとつは儀礼や祭礼に使われるイスである。日常的に使われるイスは機能面を重視した単純なものが多いが、表現における制約がないため、力強い形が生まれることが多い。


左から エチオピア・トゥルカナ族(ケニア)・バウレ族(コートジボワール)

その一方で儀礼や祭礼に使われるイスは仮面と同じように独特の意味を持ち、さまざまな制限や制約がある。それらは宗教的な意味合いや社会的な制約、または階級を表す個人的なものであったりする。個人のイスをたとえ家族であっても別の人が使ったり、ましてや友人や他人が使用するなどいうことはありえなかった。イスも仮面や神像と同じように神聖なもので、社会的、政治的な力を持つと信じられていたからである。

そういう理由から、部族によっては座る道具としての機能面はさておき、象徴的な意味付けを重視しているものが多い。ガーナのアシャンチ族初代の王オセイトゥトゥが作った金のイスは、アシャンチのひとびとの魂を宿すものと信じられていて、王でさえこのイスに座ることは許されなかった。

カメルーンのバムーン族では、木彫のイスの表面をすべてガラスビーズで覆うことで王座としての象徴性を高めた。このイスは実際には座るために使われることはなく、特別な儀礼のときのみ披露されている。


バムーン族(カメルーン)

また、コンゴ民主共和国(旧ザイール共和国)のルバ族やエンバ族においては、女性がイスを支えている形のものが多く作られた。これは女性が社会において重要な役割を担い、家族の中で中心的存在であることを表現している。

また、イスに特別な宗教的意味が付加されるようになった理由としては純粋な土着信仰に拠ることもあるが、別の大きな理由として宗教を利用すれば部族や国家の統率が容易になるからでもある。このようにイスが機能的道具というよりは社会的存在としての意味を担うにつれ、形も次第に象徴化されてデザイン性豊かなさまざまの表現力を持つようになった。


アフリカの生活民具は本当に素晴らしい。そのどこに心を動かされるのかを考えてみた。

それらは必需品であるから、第一に優先されるのは機能性に違いない、つまり先ずはその用を満たせば十分なわけである。だがアフリカの椅子には多種多様な形があり、座面や脚に模様が刻まれていたりビーズや皮が張られていたりもする。もちろん王様や地位のある人向けのものは庶民とは区別されるだろうから、ここでは普通の実用品としてのものの話をしたい。

アフリカ大陸は広大だから、地方性として分類するとしても簡単にはいかない。たとえば「沖縄の」とか「北海道の」とか地方の名前で区切って特性を言うようには出来ない。同じ地域に様々の部族がいてそれぞれに特徴ある形を持っているからだ。部族という言い方には抵抗があるから人々と言い換える方がよいかもしれない。それは我々が関東族や関西族としてカテゴライズされ得ないのと同じことだが、アフリカに使われるトライブ(部族)という意味合いには西洋文明からの差別感を拭えない。このあたりの話は別の機会にするとして、今は椅子の話だ。アフリカは都会と地方では暮らし方が大きく違う。脚が4つ付いている椅子が普通の形だが3本脚も8本脚のもある。そしてほとんど脚の長さは揃っていない。田舎では土の上に置いて使うから土にめり込ませて調節すれば高さは安定するのだ。人工的な平面に合わせる必要がないから不揃いOK、暮らしの形に合わせて使えばよいのだ。ほとんどの椅子は一木から掘り出して作られているのでたとえば一番シンプルなバウレの丸椅子でも形になるには時間がかかっている。出来上がったものは実用品として使われるから年季が入るとヒビ割れも生まれる。これを壊れているとは誰も思わない。

私の感動はここから始まるのだと思う。ものに対する愛着の深さがものを作るということに密接に繋がっているように見える。もしこの椅子が工業生産品だったらどうだろうか。今は大量生産品にもカスタマイズ枠があって自分らしさを手に入れやすくなっているが、これはいわば閉じられた世界である。少し話が逸れてしまった。



私の心を打つアフリカの椅子は作り手と使い手がその環境をほぼ共有している。

手仕事で作られた椅子に愛着が自然に育まれていると感じる。

はたして、人々に「用の美」という概念があるだろうか。人々は無意識の日常の営みのなかで作ることと使うことの人間的尺度というもの、さらには時間とものとの関係性を示しているように思えてならない。


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