ムッシュかんかんのアフリカ美術入門➁~仮面~
㈱東京かんかん代表「ムッシュかんかん」こと小川弘のプリミティブアートに関する経験や知識の一部をご紹介するnote。今回はアフリカンアートと聞いて多くの人がイメージするであろう「仮面」についての文章をご紹介します。
使い込まれた仮面には精霊が宿っている
アフリカの仮面の多様性
サハラ以南のいわゆる黒人アフリカと呼ばれている地域には、数多くの仮面文化が存在する。西はリベリアから東はタンザニア、南はコンゴ民主共和国からアンゴラあたりまで非常に広い範囲に分布する。
仮面は人々の生活に密着したあらゆる冠婚葬祭などの儀礼に使われるとても重要なものだ。この広大な地域に住む何百という部族が、それぞれ固有の仮面を持っている。その数は万を超えるかもしれない。
昔、人々は大自然の流れの中で、動物や魚、植物など地球のさまざまな生き物たちと共存して生きてきた。人々は厳しい環境で生きるために、人間の力ではどうにもならない天変地異に対して、祖先や神の加護を必要とした。アフリカの人々の信仰心は自然への驚異を背景にして生まれたといってもよい。
仮面の役割
日常の折々に行われる祭りや儀式では仮面は重要な役割を持ち、成人式や秘密結社への加入儀礼、葬式などでは特別な意味をもった仮面を使って祖先の霊を呼び起こす。仮面はアフリカの人々にとって祭儀や秘儀を司り現実社会のなかで生きるすべを教えてくれる大切な存在である。それゆえに、仮面には特別な願いが込められ、特別な木と特別な人の手によって作られる。
長い間使い込まれた仮面には人々の願いを黄泉の祖先に伝達する精霊が宿っている。だから仮面は単にその造形力にとどまらず、見る人に強い畏敬の念を感じさせるのだ。人々の願いを幾百回も神に伝達した仮面は命を吹き込まれた精霊と化している。
アフリカの仮面が美術ジャンルに組み入れられたのはほんの数十年前であるが、日本や西欧の美術や芸術とは本質的に成り立ちが違っているので、スピリチュアルアート、魂の芸術という領域を与えられている。
仮面の起源
仮面は紀元前4000年も前に、まだサハラが広大な草原に覆われていたころから使われていた。砂漠化とともに人々は南下しさらに東西に広がり、6000年もの間、変遷を繰り返しながら、部族それぞれの独自の様式を守ってきた。他の生き物と常に共存してきたアフリカの人々は象、猿、鰐、ウサギ、蛇、カモシカ、水牛、イボイノシシ、鷹、鷲、魚などのほかに架空の動物たちまで祖先への伝達訳として登場させた。実在、非在のあらゆる生き物が祖先への伝達訳として使われた。アフリカの人たちは、地球がすべての生き物の共存する大地であることを6000年前から大切にしてきたのではないだろうか。
アフリカの仮面は現実を超えて異世界と繋がるための役割を担っている。
それはほとんどの場合、特別の祭礼や踊りの場面で使用されることによって参列する人々の意識を祖先の世界へ向かわせ、此岸から彼岸へと意識を橋渡しする役割を担っている。西アフリカの多くの地域では固有の部族ごとに個性を持った仮面が農耕儀礼、成人儀礼、葬送儀礼に登場してくる。仮面が生活の側面において大きなポジションにあるので仮面文化と呼ばれる文化カテゴリーが数百の部族に存在しているという。これは文化人類学の知識として得たものだが、ちょっと驚きである。アジアの数多の国々や日本においては、仮面の多くが芸能に用いられる技藝面であることとの違いがここに見られる。もちろん日本でも神事としての役割を持つ仮面はあるが、それは日常と隔離された領域で生活の側面にあるようには思えない。
アフリカではほとんどの部族に成人儀礼という通過儀礼があり、仮面は成人男子による秘密結社で管理され仮面舞踏に登場する。儀礼は神聖な森の中で行われ、祖先の霊や森の霊を体現し、仮面のかぶり手は新たな成人となる少年の教育や世話をする。成人儀礼に参加する少年たちは仮面を通して祖先とつながることで部族の結束を高めていく。秘密結社の存在は儀礼の聖性を護るためにあるようだ。こういうことを考えてみると、まず数百に及ぶという仮面文化について知りたくなる。どこでどんな仮面が使われるのだろう。かんかんのギャラリーで見たギニアビサウのビジョゴ族の雌牛仮面の迫力を思い出す。アフリカの仮面には動物のデフォルメが多くて自然の環境に関連したユニークな形が面白い。カモシカ、ウサギ、鳥、水牛、などが想像も及ばないようなデザインに変容している。こうした創造性に溢れた生き生きとした造形を見ているとそれぞれの言葉や風習、伝承によって培われてきた多様性を思う。国という単位を超えて国境線の向こうに繋がっている同族の同属の人々がいるということを考えずにはいられない。本来の社会の単位とは何なのだろう。
アフリカがヨーロッパ列強によって植民地化されていた時間はとても長い。独立をしたとはいえ国境線が言葉を共有する人々に沿って引かれたわけではない。たくさんの固有の言葉を持った人々が一国を形成している。だから共通言語としてはかつての植民者の言葉を使うことになる。人々の伝統を表現する個としての言葉と公の言葉が異なることは乗り越えざるを得ないものなのだろう。その溝や軋みのことを考えながら、我がギャラリーにあるたくさんの独特の仮面を眺めつつその辿って来た道に思いを馳せる時間は貴重である。
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