泣きながら生れてきた僕たちはたぶんピンチに強い
「感謝カンゲキ雨嵐」っていう曲名のダサさがいかにも若手のジャニーズっぽくて結構好き。
最近なぜかしょっちゅう嵐を聴いている。中高生の頃に聴いていた、割と古めの曲。久々にじっくり聴いていたら、「Hero」という曲に「夢を共に追いかけたあの仲間たちは きっと今もそばにいる 感じる」という歌詞があった。これを聞いたとき、最近の出来事とこの歌詞と、さらに嵐に対する懐かしさまでもが私の中でひとつになって思わずにんまりした。
Stay at Home Orderが出て約三週間がたつ。その命令が出た数日後、私はFacebookで「みなさんおしゃべりしましょう」と投稿した。
こんな時だから、LINEでもSkypeでも使っておしゃべりしよう。ちょっとした世間話をして気晴らしをしよう。何年も連絡をとってない「友達」もたくさんいるけど、そういう人こそぜひ電話しよう。そんなことを、Facebook上の「友達」約350人に向けて発信した。
正直、「どうなるかなあ」と思っていた。奇妙な提案だとは思う。もちろん私自身はそれをとても有益なことと思って投げかけたけど、そう思わない人が大半かもしれない。誰からも連絡はこないかもしれない。それでもまあいいか、とりあえず言ってみよう。そんな感じで「投稿」のボタンを押した。
結果、今のところ4人の友人から連絡がきて、うち2人とは電話でおしゃべりをした。そして、とっても楽しい時間を過ごした。ちょっと自分でも驚くくらい楽しかった。
さらに嬉しかったのは、4人ともかなり長い間連絡を取っていなかった相手だったこと。そして、4人とも別のコミュニティで出会い、私のことを違う名前で呼ぶ友人だったことだ。
1人目は高校留学の時に出会った友人。彼は投稿をしたその日にメッセージをくれた。
アメリカ交換留学の最初の一か月間、その団体を通じて日本から留学した皆で寮生活をした。何十人もの高校生が一か月、寮に閉じ込められて共同生活。そりゃもう、色んなことが起こった。色恋沙汰から大喧嘩まで、青春を過度に凝縮したみたいな時間だった。(私は主に傍観者だったけど。)
彼とはそこで出会い、私が本来立ち入り禁止の男子フロアに入り浸っていたこともあり、割と仲良くしていた記憶があるが、その後はほとんど連絡を取らなかった。だから今回は13年ぶりということになる。
ちょっとメッセージをやり取りしただけだけど、私の投稿に共感してくれたこと、今はインドで働いていることを伝えてくれた。まさか最初の連絡がインドから来るとは!
そのうち電話できるといいね、という話もしたので、それを楽しみにしている。
2人目は大学の同級生。
大学生の頃の私はやけにふてくされていたのとバイトで忙しかったのとで、友達が非常に少なかった。2年生で学科に進んでからできた友達(と呼べる程度の会話をした相手)は4人しかいない。「4人」と断言できるくらい、まじで誰ともしゃべらなかった。ひどい。で、今回電話をくれたのはその4人のうちのひとり。
彼とは数年前に喫茶店で偶然出会うという機会があったけど、それにしても久しぶりだった。彼が今はフリーライターとしてがんばっていること、このブログを読んでくれたということ、共通の知人の近況なんかを話した。
「一番おすすめの記事教えてよ」とお願いして、彼の書いた記事を読んだ。自分の名でものを書き、世に出して、それを仕事にしているということがシンプルに羨ましいとも思ったが、でもそれ以上に友人の名をこうして見られることが嬉しかった。
3人目は中高時代の友人。
彼女は私にとって、中学で初めてできた「友人」と呼べる存在。まだ入学したばかりのころ、クラスと帰り道が一緒で仲良くなったのが彼女だ。まだ部活にも入っていなかった最初の2か月間、たまに2人で帰った。約1時間の帰り道、電車で隣り合って座りながら、中学生活への期待やお互いの趣味など、何もかもが目新しい状況のなかで色んな話をした。
部活が始まり、毎年のクラス替えがあり、そんな中で彼女とは疎遠になってしまったけど、こうしてまた電話で話すことができて嬉しいような感慨深いような、ちょっとくすぐったい気持ちになった。
彼女は理系の研究者になっていて、少し前からは産休をもらって今は新生児の子育て中。そのことはFacebookを通じて知っていたけど、一対一で話すのとは全然違う。分野は大きく離れているとはいえ、同じ学問の世界に残った者同士。私の研究の話、彼女の研究の話、「研究」ということ自体への考え方の違い、研究者の道に進んだ理由など、話すことは尽きなかった。
私の人格形成にものすごく大きな影響を与えた中高時代。あの温室の中で、たとえ直接関わった時間は限られていても、私たちは共に人生の「根っこ」を育てた。そんな友人が研究者としての道を歩んでいることを、心の底から誇らしく思った。
4人目は小学校の同級生。
彼女とは小学校のクラスが6年間ずっと同じだったうえ、その6年間ずっと仲が良かったというかなり貴重な存在。休み時間に校舎の陰で「カードキャプターさくら」ごっこをしていたというなんとも恥ずかしい黒歴史も共有する友人だ。彼女からのメッセージを受け取って、完全に忘れていた色んな記憶が蘇った。
高学年の時の担任と折り合いが悪かったこともあり、小学校時代は私の中で消し去られた時間になっていた。楽しかったのは塾での経験だけ、そんな風に長い間思い込んでいた。実際、日常的に連絡をとりあっている小学校時代の友人は一人もいない。だからこそ、変な話だけど、私にも子供らしい子供時代があったということを彼女からのメッセージは思い出させてくれた。
約20年ぶり(!)の連絡だったにもかかわらず、会話のノリのようなものがとても自然に合うことに驚いた。6年間ずっと仲が良かったのは、偶然ではなかったんだね。20年は長すぎてもうどこから手を付けたらいいのかわからないけど、それはそれで少しずつキャッチアップができたら楽しそうだ。
小学校、中高、高校留学、大学と、大学院に入る以前の時間を網羅するかのように別々のコミュニティで出会った友人から偶然ひとりずつ連絡がきた。それぞれが別の名前で私を呼び、まるでその頃の自分に戻ったかのような気持ちになった。
彼らが私とは全く別の道でがんばっていること、いや、がんばってなくたっていい、彼らが彼らの世界で生きていること自体に私はとても励まされた。そして彼らの世界のどこかほんの一部に私との繋がりがあり、それをこの機会に繋ぎなおしてくれたことが、本当に嬉しかった。
毎日のように読むものと書くものに追われ、ハワイで暮らし、限られた人としか連絡を取らない生活をしていると、見えないものが増えてくる。正確には、自分から離れた世界のことを、見ようとしなくなってしまう。こうして疎遠になっていた友人たちと改めて連絡をとることで、その閉じられた世界にふっと外の風が吹き込むような気持ちよさがあった。
まだまだ引きこもり生活は続きそうだし、あのFacebookの投稿を見て連絡をくれる人がまた現れるといいな。
こういうささやかな楽しみを大事にして、この引きこもり生活を乗り切っていくつもりです。
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