布哇事情(3/23)
布哇は「ハワイ」と読みます。ちなみにサンフランシスコは桑港、シアトルは沙市。明治大正期に日本人移民の多かった街はオリジナリティあふれる漢字があてはめられてて面白い。
こんな時でも、ハワイには虹が出る。
ホノルルに "Stay at Home, Work from Home Order" が出た。
つまり簡単に言えば「不要不急の外出は控えろ」ということ。総領事館のサイトによれば、以下のような「必要不可欠な」活動の場合は例外。
・自己の保健あるいは安全のために必要不可欠な行動
・日常生活に必要な役務もしくは生活用品を獲得するための行動
・法律上認められている場所において散歩やハイキング,ランニング等の屋外活動を行うこと
・必要不可欠な製品あるいは役務を提供する業務を行うこと
・家族あるいはペットの世話をすること
買い物も行けるし、なんだったら散歩に出てもいいし、ハイキングだってできる。(え、ハイキングできちゃうんだ!?)ただ、人が密集するような状況を作らないようにして、できるだけ自宅でおとなしくしていろということらしい。ちなみに違反したら罰金もあり。50万円、なかなか高い。あと教会の日曜礼拝も禁止だそう。
こうやってまとめてみると「なんだそれならできそう」という気もしないではないが、昨日この命令が出たときは、これが出たということ自体にとても気が滅入った。帰れない上に外にも出れない。そんなのつらすぎる。
昨日の夜、その命令が出て、今は一夜明けた朝。
窓の外を見てみると、いつもよりずっとずっと少ないとはいえ、車も走っているし人も歩いている。きっとみんな必死で「日常」を維持しようとしているんだろう。自分と周りの人を大切にして、落ち着いて安全に生きる。今わたしたちにできることはそれしかないのかもしれない。
これまで社会全体が非日常に陥る状況は、3.11と北海道地震で二度経験してきたが、今回がいちばんしんどい気がする。終わりがみえないからだろうか。ウイルスが見えないからだろうか。いや、もっと私の個人的理由として、周りに「家族」に近い人がいないためな気がする。
3.11の時は元彼と同棲していたし、北海道地震の時は友人の実家に避難した。どちらでも、「家庭」のような場所を維持することで、私たちなりの日常を再現しようと努力できた。こうなったときに、今の大家さんとの関係はやはりルームシェアにすぎないのだなとしみじみ思う。アメリカのルームシェアは、本当にただ一緒に住んでるだけ。日本語でいう同棲とか同居のニュアンスはゼロです。
ちなみに大家さんは地元の観光客向けジュエリー店で働いているので、当然ながらお店はクローズ、従業員も最低来月末までは自宅待機。その分のお給料が出るわけでもなし。そういうお店がホノルルにはたくさんあって、これからはまず何より経済的混乱が起こりそうだと予想されています。そして私も大家さんもずっと家にいなきゃいけないということが、私にとってはストレスだったりもする。だからこの家ほんとに壁薄いんだって。
それでも私はひとりでご飯を食べ、勉強し、夜は寝て、たまにブログも書いて、そうやって私の日常を維持していこうと思います。あと、たまには運動もしよう。散歩くらいでいいからね。
私のブログやツイッターを見て、連絡をくれた人がいた。ひとりは高校時代の塾で出会ってずっと仲のいい子、もうひとりは高校の卒業以来同窓会で会ったかも記憶が曖昧な子。
「助けて」とか「誰か電話でしゃべろう」と言ってみたら、本当に応えてくれる人がいるんだということは、私にとってちょっと新しい発見でした。いつも冗談交じりでしか助けを求められなくて、最後までひとりでがんばろうとする性格だからか、こんな風に軽やかに手を差し伸べてもらったのは初めてな気がする。
それだけ今の自分が弱ってるということもあるだろうけど、その弱り具合を誰にも迷惑をかけたり傷つけたりしない形でふわっと前に出せるようになれたのかな。そうだとしたら嬉しいな。
「布哇事情」とタイトルを付けましたが、しばらくの間はまたこうやってただハワイと私の近況を伝えるだけの記事をたまに書こうと思います。ありがたくはないけど、やっぱり今こうして私がハワイにいるのは貴重な体験だと思うから。
これから数年後、またはもっと先(にこのブログ見れるのか?)、コロナウイルスの流行とその中で生きた記録として、混乱も苦難も喜びもできるだけ書いておけたらと思います。
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