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欧州にも、もちろん建前はありますよ?
「日本人は建前というものが多く、本音を話さない。
反対に欧米では何事も率直に意見を言うことが尊ばれるんだ。
だから、日本のそういう建前文化は苦手だね」
なんて言葉は日本の滞在歴が1年以内の外国人か、自国で傍若無人に振る舞ってきたので、他人の気持ちなんて考えたこともないトラブルメーカーくらいしか言えない言葉だろう。事実、日本と同じくらい世界は建前だらけだ。というか、建前の種類が違うだけで建前がない社会など存在し得ない。
例えば、ヨーロッパ。欧州ほど建前が強い世界もない。しかし、我々アジア人は彼らが教えてくれない「言ってはいけないこと」に気が付かずズカズカ入り込むことで彼らの怒りを静かに買っている可能性について考えなければいけない。
「ロンドンはゲイが多くて嫌いだ」なんて言えるか?
建前の話をしようと思ったのにはきっかけがある。
というのも先日、私達夫婦はロンドンの大学に留学していたある中国人と会話していた。彼女は4年間イギリスの大学で学んだということで、日本語こそ話せないものの、彼女の英語はとても流暢だった。しかし、どうにも違和感がぬぐえない。
「この人、本当にヨーロッパ人と一緒に生活していたのだろうか?」
そう感じる発言が端々にあったからだ。もしそんな発言をヨーロッパ人の前でしたら、スーッと人が引いていくんじゃないかと思ったからだ。
例えばこういう話。私が「ロンドンの生活はどうだったんですか?」と聞いた時の答えだ。
「歴史はある街だけど、正直アジアの方が今や清潔よね。ポイ捨ては多いし、ホームレスは多いし、ゲイだらけだし!ハハッ!」
ピキッーーーン
あれ?空気の割れる音でもした?
これ笑えないんだけど…
私達、夫婦の間にのみ流れる張り詰めた雰囲気。少なくとも東アジアなら通じる、いや通じないな…今どき、というギリギリなブラックジョークだった。もちろん欧州ならアウトだ。
欧州でも同性愛者を応援している人もいれば、大嫌いで見たくもないと思っている人もいる。しかし、少なくとも初対面のタイミングでこんな話をぶっこむことはない。
中国人だってそうだろう?「いやぁこんにちは!いい天気ですね。ちなみに天安門についてどう思います?」なんて初対面で、にこやかに話してくる日本人がいたら、気が触れているか、本当に人をおちょくっているかのどっちかと思うはずだ。
しかし彼女はゲイジョークを初っ端のわたしたちにしても問題ないと判断したのだ。つまり彼女は欧州のエチケットでどうにも生活をしていなかったようだと私は判断し、違和感を感じたのだ。もしかしてほとんどは中国人と過ごしていたんじゃないか・・・?
さて、このエピソードからもわかるように欧州では建前がないとか思ってるとするなら、それは外国人だから大目に見られているだけだと言える。他人の子どもの躾がなってなくても、にこやかに見守っているが自分の子供だったらぶん殴るというのが親心だ。
つまり、いくら外国人でも慣れてきて社会に溶け込むべき頃だと判断されれば、あちらの社会でアウト発言をしたタイミングで一発レッドカードが取り出されるだろう。
欧州人の本音「俺達は支援で疲れたよ。ふざけんなよ。」
このようにヨーロッパにはもちろん、建前と本音がある。仮にあなたが欧州の建前を概ね理解したいならメルケルの発言の日本語訳でも読んでおけばいいと思う。
例えば「多様性の力が進歩をもたらす好例」
かつてコロナの時にトルコ系の移民が作った製薬会社に対して発した発言などはヨーロッパの建前の一部だ。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
聖書にあるあの一説を思い出した。困っている人であれば誰にでも愛を持って助けの手を差し伸べなさい。これぞ美しきキリスト教的隣人愛(建前)である。そこで倫理観を最優先するドイツは、そんな教えの元多くの移民を受け入れた。
彼らはきっとこう考えたのだろう。感謝した移民はドイツを新しい母国として生きていくと決意し、言語的ギャップや困難を超えて、新たなドイツの仲間になっていく…はずだ。なぜなら私達のやっていることは倫理的に正しいのだから。
なんてことはなかった。
そんなことにはならなかった。確かに一部の非常に優秀な移民達はドイツ社会で活躍するようになった。だが、実態は言葉も風習も違う移民が戦争から逃げてきてドイツ社会に適応するなんて不可能だった。
考えても見てほしい、爆撃で家族を眼の前で殺されたPTSD持ちのシリア人のおばさんがいるとする。ずっとイスラム教を真面目に信じてきて、食事もシリア料理ばかり食べてきて50代。普通にこの人がドイツ社会で無神論者になって、ヒジャーブを外し、近代科学を愛する「理想的なヨーロッパ人」になれるか?
いや、なれるかもしれないが、普通は不可能だ。
では、このおばあさんをドイツ社会はどうする?倫理観の名の下、生活保護で養うのか?
1人ならできるだろう。では1000人になったら?
100万人になったら?それは不可能だ。そんなとんでもない重荷を背負ってしまったのが今のヨーロッパなのである。
こんな経験をして彼らは疲れてしまった。
もう、めんどくさい異文化の軋轢なんか経験したくもなくなった。
だったら理想の多文化共生地域から出ていって自分と同じような人間とだけ暮らせる中流階級の地区に行こう。こうして現地民達で余裕のある人間は移住し、移民たちは低所得者が集まるゲットーに寄せ集められて更に荒んでいった。
こんなふうになったヨーロッパに対してあるドイツ人の裕福なおじさんが持っている本音をご紹介しよう。彼は私の友人のドイツ人のお父さんで、普段は役所で働いているが苦々しく語った。
「私はね、差別主義者ではないんだよ。アラブ人は皆居なくなってくれ、死んでくれなんて言ってないんだ。しかし、なぜ彼らはドイツ語を話す国でドイツ語を話さないんだい?かつては旅行に行ってバスのチケットを買うために運転手に『このバスはどこまで行きますか?』と聞けばドイツ語で返ってきて、それで終わりだった。それが今ではドイツ語がまともに話せないやつが運転手をやっている。私は理解できないんだよ。なぜ私達の家にやってきた奴らに合わせて英語で話してやらないといけないんだ!」
このテーマに関する彼らの本音を混ぜ物なし純度100%であえて書いてみよう。「こっちは聖書の言葉どおり優しさをもって接したのに、何も恩返しもしない奴らが居座っている!ふざけるな!」だ。
ちなみにこの問題はすでに20年近く引きずっている。
ドイツの隣国フランスでは2005年にサルコジ首相が暴動を起こした移民に対して、「社会のクズは排除する」と言い放ったが、苦労して自分を育ててくれたギリシャ生まれの母の元育ったので、暴れる移民に対して感情的になって言った言葉なのだろうと思う。
話をドイツに戻すと、友人の父親のような鬱屈した恨みつらみはドイツ人の間で積もりつつある。
ドイツで移民排除を訴える極右政党が躍進したのもこういう怒りが積もっているからだ。
本当にドイツは寛容ですか?
外国人というのはとかく、居住国のニュースを文脈を理解したうえで読むことが出来ない。第一ニュースをまともに読める言語レベルがある外国人は珍しいし、政治ニュースとかならそもそも母国語に訳しても理解が出来ないかもしれない。
その上、基本的にはそういった社会のニュースを読むにはこれまでの歴史を理解する必要がある。ドイツなら、ドイツ統一まで欧州各国に蹂躙されてきた歴史、統一国家になり科学力と経済力を高めた時代、WW1での敗北、ヒトラーの台頭とヒトラーの罪を背負った戦後の人々という歴史を理解しなければ文脈が理解できない。
それはまるで漫画を途中から読んで、感想文を書くようなものなのだ。だから外国人がその国で起きている潮流を理解するのはとかく難しい。
ではその上で具体例をもって考えてみよう。例えば、本当に今のドイツが移民に寛容だろうか?あなたは日本のマスコミだけを見て自由そうだと考えてないだろうか?過去のドイツについて学んだろうか?未来のドイツの予測を考えたことはあるだろうか?それらの予想なくして、本当に寛容と判断していいのか?
もしそこに自信がないとすれば試しに現地の学生の教科書を読んでみると良いかもしれない。そこにあるのが少なくともその社会の建前だ。
ということで、秀逸なシリーズ世界の教科書シリーズをおすすめして今回の記事は終わろう。学生の教科書を現地語から日本語に訳しており、非常に秀逸だ。
皆さんにはまずは教科書的建前を覚えてもらってその後、現地人のエグい本音を学ぶことで理想的大人な振る舞いを各国で行ってもらえればと思っている。