海外移住者の年越しパーティー ~奴隷とエンジニアの格差社会を垣間見る~
2024年12月31日の年明け。
私はペルー人主催の年越しパーティに参加していた。
彼らの母国、南米から地球の裏側に位置する日本というのは実に遠い。だからクリスマス休暇を取って年末まで母国で過ごすというのは金銭的にも時間的にも厳しく、多くが家族に出会えずひっそりと家で年を越す。
そういうわけで、寂しい外国暮らしを紛らわすために南米人達で集まってパーティというのはよくある話なのだ。
なんで私がそんな場所にいるかと言うと、もちろんブログのネタを探してだ。こういう場所に来るといつも刺激を受けられるような人に出会える。
20人程度集まったパーティを主催していたのは50代くらいだろうか?名前をアレハンドロと言った。
一見、このパーティは穏やかな同胞同士の互助会に見えるが、
よく観察すればそこには確かに格差社会が広がっていた。
外国人人財:エンジニア
ペルー人というのは通常ネイティブ・アメリカンとの混血が多いため、顔立ちはどこかアジア人に似ているところがある。
しかし私の席の前に座ったパブロという男はどう見ても白人だった。
カシミヤの上等そうなマフラーと黄色いニット帽がなんともエレガントだ。
いかにも金を持っていそうな外見をしていて、生活に余裕がありそうだと思われる。
恐らく金持ちなのは事実だろう。
どうにも彼は辛口がすぎる人の様だ。妻も思わず彼の発言に顔をしかめた。
なぜなら私達の横には優しそうだが、いかにも仕事は上手くいってなさそうな日系人の男性がおり、パブロは彼の目の前でそんな発言をしていたからだ。
こき下ろすにしてもタイミングが悪すぎる。
パブロはアートに関する演説を10分ほど行うと、フェルネットを取りに行くと席を離れた。
私が恐る恐るパーティのホストであるアレハンドロに質問すると、彼は何も気にしていない様に私に答えた。
彼の演説だけを聞いていたので、てっきり鼻持ちならない変人だと思っていたが、意外にも同胞思いの慈善家の側面もあったのか。驚きつつ、友人たちと談笑する彼の背中を私は見つめた。
エンジニアにあらずんば余裕あらず
はじめに説明をすると、
この国に住む外国人の中で生活に余裕のある者の職業といえば、
それはエンジニア、特にITエンジニアである。
西欧文化圏出身者(ここでは、ラテンアメリカも西欧の一部としよう。言いたいのは漢字文化圏じゃない人間ということだ。)が日本人よりも富を築ける方法はコレしかない。というのも、日本人よりもアドバンテージがある分野がコレくらいだからだ。
英語が使えない日本人を圧倒する西欧人勢
日本人は本当に英語が苦手だ。
ソースは省くがどこかの記事でB2レベル以上の英語を駆使できる日本人の割合は全国民のたった6%らしい。
ところが、IT技術というのはまさにこの英語が必要なのである。
なぜならIT技術はせいぜい約70年前にアメリカで生まれた新しい技術でありるからだ。最新の技術に関する記事もわかりやすいプログラミングの授業も英語であれば日本語のコンテンツの数倍存在している。
というわけで、簡単に言うと英語ができる人間はIT業界で強い。
英語とはこの業界の基礎体力であり、運動部出身が自衛隊に入るようなものだ。
確かに南米はスペイン語圏なので英語はネイティブではない。しかし、文法的には日本語と比べるとかなり英語に似ているのでネイティブレベルの英語を使いこなせる南米人は日本よりも多く居る。
そのため、英語を覚えてもらい、ITエンジニアとしての勉強をしてもらうと、あら不思議。日本人がぜひ来てくれと頼みたくなるような人材になるわけである。
こういう外国人はは日本企業にとっては喉から手が出るほど欲しい人々である。そのため財宝の財を使った人財と呼んでもいいと思う。
人材: 使い捨ての調理師
パブロという男は話してみれば悪い男ではなかった。神経質そうな眼差しと、何度もマフラーを触るクセは気になるが、話が分かる奴だと認識すると態度を改めるタイプのようだ。妻がエンジニアになる方法について質問していると自分の経験について丁寧に教えてくれた。
前言撤回。やはり面倒くさい男だ。
私は妻を彼の生贄に捧げて、自分もフェルネットを取りに行くと言い訳した。すると、キッチンに2人の女性が無言で座っている。
一人は金髪の白人系の女性。20代後半くらいだろうか?しかし、目には真っ黒なクマが浮かんでいて、疲れからか背筋も曲がっている。オーラはとっくに30代後半と言ってもおかしくない。
もう一人は黒髪の女性でこちらもシワが深く刻まれすぎている。20代後半なのだろうが、どんなストレスを浴びたらこうなるのか。
両者の共通点があるとすれば、このめでたい年越しの日にカウンターに座り込んでいて、虚空を見つめていることだ。
ビザ欲しさに仕事を得てみたが、12時間労働に
沈滞する空気に耐えられず金髪の方の女性に話しかけてみると、張り付いた様な笑顔で世間話に応じてくれた。女性の名はパウリナ、1年前から日本に滞在しているらしい。半年程日本語学校で勉強していたが、日本に居続けることを考えると仕事が必要と思い、今は調理師として暮らしているらしい。母国で学んでいたイタリア料理の知識が活きるとは思わなかったと呟いていた。
しかし、その仕事ぶりは決して楽ではない。朝9時に出勤して、レストランで仕込みを始めてその仕事が終わるのは夜の9時。
8時間の正規労働なんてありえないという雰囲気らしい。しかも12時間労働自体が珍しい方でもっと働かされる事もあるらしい。
当然残業代などは出ない。
しかしながら、彼女の口からついぞ未来の予定を聞くことはなかった。日々の仕事でこうも消耗しきっていては考える気力も時間も実際のところ存在しないだろう。
消費財のように使われる外国人材
疲れ切っている彼女には失礼だが、彼女の様な外国人材は実に多い。
とりあえず日本にやって来て、言語学校に入学。
その後どうしても日本に残りたいと望むが、ビザがないと残れないとは知っているので何でもいいと仕事を探す。
そして見つかる先がブラック企業というわけだ。使い潰されて、ボロボロになって母国に帰国するまで5年も持たないという具合である。
こういった人材は酷い話だがまさに社会を回すための材料だ。薪のようにくべられて使い捨てにされている状況である。エンジニアとして豊かに暮らしている人財と比較すると、これは人材である。
思考を奪われた奴隷にはなるな
人間という生き物はとかくフィクションの世界では現実を歪めて描く。例えば、半沢直樹の世界では金持ちは悪人で、貧乏人はいつも正義の心を持っている。
ところが現実はどうか。同胞に隣人愛と共にパーティを主催するのは金持ちのエンジニアだ。転じて調理師になると稼ぎも少なく、時間もないので他人のことを考える余裕すら存在しない。
しかし、考えれば当たり前か。彼らは稼ぎは良いし、自分の生活以外を考える余裕がある。反対にどれだけ善良な心を持っていても、12時間立ちっぱなしで働けば疲労困憊で思考停止する。彼らは思考する自由すらない。
奴隷だ。
私の頭の中にはその言葉が浮かんだ。彼らは奴隷だ。なぜならまさに思考する自由すら奪われているからだ。
なんとかこの環境から逃げたいと口にはするが、自由になる為にプログラミングを学ぶ時間も無ければ、そもそもプラグラミングを学ぶべきだろうかと熟考する余裕すら与えられない。こういう状態の人間のまさに奴隷と呼ぶのである。
いつから奴隷になることが確定していた?
では、いつから彼らが奴隷になると確定していたか考えてみよう。例えば来日時は明るい未来しか待っていなかったが、その後悪いやつに騙されたと言えるか?
いやそれもまたフィクションに影響されすぎている。
むしろ彼らは自分で罠に飛び込んだのではないか?
日本に来たが、仕事が見つからずに帰らないといけない。
エンジニアになれば安定した仕事は見つかると思うが、
そんな努力はできるかわからない。
そんな時に見つかった素敵なレストランでの仕事…
そうして12時間労働の奴隷地獄に落ちたと考えることもできる。
こうやって望みは大きいのにそれに見合った努力ができない時人は騙されるのではないかと思った。
これからも奴隷はやってくる
こんな事をやっていればそのうち日本に悪評が立って人が来なくなるとお思いかも知れない。
そんなことはない。
それでも各国から人がやってくる。
過去から学んでいない若者はカモだし、奴隷にされて騙された人間の多くは後悔して口をつぐんでいることが多いからだ。
仮に日本で働くことに悪評がたつなら、今年オーストラリアにワーホリに行く日本人だっていないだろう。事情を知っていればファームジョブで奴隷になろうと思う人はいない。それでも飛び込んでくるカモがいるのは若くて、無知で、望みは大きいのに努力はしたくない人たちが一定数いるからなのだ。
個人的には私は人が得をして自分が損をすることが人生の中で何よりも嫌いな人間だ。なので、奴隷にされて御主人様だけが得をするのは絶対に許せない。しかし、あなた達の周りには聞きたい言葉しか聞こえない奴隷適性の高い人はいないだろか?
結局、その人達が海外に出れば多かれ少なかれ結果は奴隷の道というわけである。
海外生活は日本人にとって不可能なことではない。道は確かにある。
しかし、その道とは決して簡単なものではなく、また話題になっている道でもない。少なくても有名なワーホリのファームジョブだけで生き抜くのは不可能という話だ。それに気がつくかどうかが生き残れる可能性を上げるという話である。