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ルクセンブルクで結婚式に参加することになった件

それはある日一つのメッセージから始まった。
仲のいい大学時代からの友人からのLineが来たのです。

「...ということで、彼女と正式に入籍しました〜。そこで🫵母国で結婚式をやるんですが、ぜひ君たち夫妻にも来て欲しいんだよね!場所はルクセンブルクの田舎町です!日程は9月!ぜひ来てねー」

二つ返事でオッケーしてしまった後、ふと正気にかえった。どうやって行こう...?てかルクセンブルクってどこだっけ...?

ドタバタかつ、おそらくほとんどの人が体験することがないであろう旅行が今始まる。

ルクセンブルクってそもそもどんな国?

これくらいの縮尺で見ると小さいが、面積は神奈川県くらいある。

小さな金持ち国

さて、旅の前に情報を整理しようじゃありませんか。
今回の目的地はルクセンブルクです。
正確には「ルクセンブルク大公国」という立憲君主制国家で、予備も珍しい大公様が住んでいます。

神聖ローマ帝国が消えたのに何故まだ大公はいるんだい...?

この国特徴は欧州一の金持ち国家ということ。一人当たりGDPは世界一高く、欧州の金融機関が集まっている「ヨーロッパの金庫」だ。

しかし正直、ルクセンブルクの知識といえば普通の人にとってない。良くて上で書いた金持ちな小国というくらいじゃないでしょうか。

これだけでは旅行しても綺麗な街並みくらいしか楽しめなくなってしまう。私はメルヘンな街並みを見てお茶をするだけでは満足できないのです!その国の生活、文化、そして問題とゴシップなど知れなければ満足できません!

そこでルクセンブルクについてしっかり事前調査をしてみることにしました。

ルクセンブルクはドイツだと思ってる人などは是非読んでほしいです。

ルクセンブルクはドイツ語を話すよね?

はじめに「あぁルクセンブルク?知ってるよ!ドイツ語を話すよね!」なんて知ったかぶりしたらルクセンブルク人の怒りを買って、名所のアドルフ橋から落とされます。しっかりとルクセンブルクとドイツの違いを学びましょう。これはルクセンブルク旅行の前のマスト事項です。

国境で聞かれますよ?(嘘です)

高いですね。落とされたら終わりです

まず、ルクセンブルクの言語をご存知ですか?ドイツ語ではありません。ルクセンブルクの現地の言語はルクセンブルク語です。

ルクセンブルク語の特徴を端的に知りたい人は上の動画をお勧めします。ドイツ語との違いを説明してくれています。

確かに、ルクセンブルク語はドイツ語と同じゲルマン系の言語にはなるのですが、単語などには違いがあります。ですのでルクセンブルク人とあったら決してドイツ人と言わないようにしましょう。歴史的のドイツ人には辛酸を舐めさせられているので彼らと一緒にされるのは内心許せないでしょう。

もっと気になる人は☝️の記事を読んでもらって、よくあるもう一つの疑問にも答えましょう。

ルクセンブルクはドイツに支配されてたんだよね?

懲りない人ですね。また橋から落ちたいんですか?

ルクセンブルクは正確には、現代のドイツ国家の一地域だったことはありません。ルクセンブルクは歴史的にいろいろな国に支配されてきましたが現代のドイツまたはドイツ帝国の領土だったことはないのです。

小さいですがしっかりドイツの外にルクセンブルクがいます

しかしながら例えば、オランダの一部だった時代は確かにありますし、さらにオランダがスペイン王国のハプスブルク家に支配されていた時代はありますので、「ルクセンブルクはオランダの一部でしたよね?」と言われれば、彼らもまぁそうですね。というはずです。でもドイツ人と言ってはいけません。

ルクセンブルクはドイツに戦争で酷い目に遭わされた

と、いうのもルクセンブルクは直近の大戦争、WW1とWW2で散々ドイツに攻め込まれ酷い目に遭っています。

WW1ではドイツがフランスに攻め込むためベルギーやルクセンブルクを通って攻め込んできたため、当時の首相が自転車に乗って進駐してきたドイツ軍に抗議しに行ったという伝説があります。

イギリス、フランス軍に解放してもらって歓喜の渦のルクセンブルク人

WW2もナチスに攻め込まれ占領されていた歴史があり、友人の祖父母世代はドイツ人を「プロイセン野郎」と呼んで嫌っているんだとか教えてもらいました。

反面、友人のおばあちゃんの妹は解放しにきたアメリカ人兵士とラブレターのやり取りをしてたらしいです。

フューリーかな?

やっぱりルクセンブルクはドイツとは言いづらいですね。

ちなみに、ルクセンブルク解放のために戦い、死んでいった米国兵士は今でも尊敬され、その墓地が手厚く整備されています。

これくらい説明すればもうルクセンブルクがドイツだと思う人はいないでしょう。さぁここでルクセンブルクに観光したら私が見たい、やりたいことも見ていきたいと思います。

ルクセンブルクに行くならこれをやらねば!

郷土料理が食べたい

ルクセンブルグはドイツじゃない!だからこそルクセンブルクの郷土料理を食べてみたいと思っています。

見てみると...

これはポトフっぽいですね。フランスも近いですから納得。

今度はルクセンブルク風のラビオリもありますね。イタリア移民もいるからかな?

素朴なタルトもありますね!

失礼ながらドイツの食はソーセージ以外なかなか厳しいメニューが多い記憶があるのですが、ルクセンブルクは野菜も多そうで楽しみです。

何よりもフランスとドイツの狭間であることが感じられる両者の影響を受けた料理があったらぜひ食べてみたいですね!

ゴホンっ。影響を受けてるだけです。ドイツじゃないです。

アメリカ人墓地に行きたい

映画にもなったよね

実はですね、このルクセンブルクにはWW2で非常に有名な米軍の将軍が眠っているんですよ。彼の名前はパットン将軍

実は彼はアメリカの将軍の中でも屈指の戦闘狂と呼ばれた将軍でした。戦争がない時期は娘の親友と不倫したり、アル中になったりと無茶苦茶な男なのですが、戦争が近くなりだすとシャキッとして嬉々として戦場に行ったという人です。

狂ってますね。

ただそんな彼も最期は戦地で事故に遭い亡くなってしまいました。そしてその死の間際、部下達が眠るルクセンブルクで眠りたいと告げ、今でも彼の地に埋葬されています。

最後に彼の演説の一部を載せておきましょう。その無茶苦茶さがよくわかります。しかし無茶苦茶だけれども魅力がある言葉です。

この戦争が終わって諸君が国に戻ったならば、やがて語れる事が1つある。今から30年後、炉辺で膝に孫を抱いて座っている時、孫が「大戦の時に何をしていたの?」と聞いたなら、こう答えたくはあるまい。「ええと、お前の爺さんはルイジアナで糞掘りをしていたんだよ」と。そうではない、諸君は彼の目をまっすぐ見てこう言えるだろう。「孫よ、お前の祖父は偉大なる第3軍にいたのだ。ジョージ・パットンという最低最悪のクソッタレの元に!」と。

有名な将軍の演説

かの有名な将軍が眠る場所を一度は訪れてみたいですね。

もはや外国人の方が多い街を歩いてみたい

ルクセンブルクといえばもはや移民の方が多い街もあるくらい外国人で溢れています。首都のルクセンブルクシティにおいては外国人比率は50%以上!

そんな移民の街を散策できることは移民ライターとして至福の瞬間です!

これは行くしかない‼︎

ということで、チケット買わねば

ということでやりたいことは整理されました。覚悟は決まったのです!もう行くしかない!

☑️上司に長期休暇の連絡よし!
☑️預金を引き出す準備よし!
☑️妻の説得よし!

さぁ、ここから旅行記のスタートです。
興味があれば引き続きこの珍道中準備編も含めてご覧ください。

では!

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