在日外国人の多様性が薄い問題
ある時YouTubeを漁っていたらこんな動画があった。
舞台は山林の中の放置された貯水槽だ。数百リットルくらいしか入っていないその中にはどうやらブルーギルだけがかろうじて生きているという噂だ。
と、説明すると投稿主は実際にその場を訪れて片っ端から中にいる生き物を網ですくい始めた。
どれくらいの種類の動物が小さい環境、つまり過酷な環境で存在するのか観察してみようという企画だ。
結果は恐ろしいほどの数のブルーギル以外存在しなかった。
これを見てはっと気がついたのは日本に住む外国人である。彼らの職業も驚くほど多様性が低い。
犬も歩けばプログラマーの当たる
統計を取ろうと思って調査してるわけではないので、断言はできない。しかし日本に住む外国人の職業というのは本当に限定されていると思う。思いつく限り、今まで会ってきた人の職業はこうだ。
プログラマー
技能実習生(工場・農場)
英語教師
ホテルスタッフ
観光会社
これだけで、今まで日本で出会った外国人の職業の80%を占める。
いくらなんでも職業の多様性が低すぎないだろうか?
ちょっと金持ちな外国人がいるなと思ってバーで話しかけてみれば大体プログラマー。
あっちもプログラマー、こっちもプログラマー。
仮に環境が過酷だから、あの貯水槽には多様な生き物がいなかったとすれば、限られた仕事をしている外国人しかいない日本も、彼らにとって過酷な国なのではないか?
例外は中国人
とはいえ、外国人の中でも職業的多様性を保っている国籍の人々がいる。中国人だ。
正直なところ、移民ウォッチャーとしては華僑の人々の商才は尊敬に値するものがあると言わざるおえない。
例えば、あるところに華僑が集まってくるとする。
すると、次第にある者が中国スーパーを作り、そこに食品を提供する貿易会社を立ち上げる者が現れる。
そこで金を貯めたら今度は中国人向け美容室や仕送り金融が誕生して、2代目が大人になるころは現地のエリート大学に通わせるための塾や就活指導スクールが誕生している。そして最後は医者の中国人も現れる。
見事な現地適応だ。日本という異国に種を植え付けて根を広げていく姿はぜひ他の移民も見習ってもらいたい。
ただし、これは人口の力が大きい。約200万人いる在日外国人の人口のうち70-80万人を中国人が占めている。つまり島根県とか鳥取県くらいの人口がいるのでビジネス生態系が成立するのだ。
これが在日数2000人程度のスペイン人だけでやろうと思ったら小さい村くらいの種類の店しか運営できないだろう。
仕事の多様性がないには悪いことか?
とはいえ、外国人に仕事の種類が少ないということは別に悪いことだとは言えないだろう?
と思う人もいるだろう。だが、恐らくこれは彼らにとっては悪いことだ。なぜなら日本社会に食い込めていないことを示しているからだ。
普通、その社会に適応していれば限られた職種以外にもビジネスの領域を広げるはずだが、そうではないということは「限られた仕事以外やることがない」を意味していると思う。
例えば工場労働者。これは日本社会で集まらない単純労働者の代替として、東南アジア各地輸入されていると言える。
この仕事はいつでも切って捨てられる仕事だ。つまり事実上、この仕事に従事する人々は消耗品だと思われていて、日本で長く暮らすサポートを日本社会から受けづらい。
当たり前だ。消耗品をケアしても日本社会には何の得もないからだ。しかし、この仕事からいつまでも抜けられない人が多いのは、それしかやることがないからではないか?
羽振りの良さそうな中国人医師
とは逆に、羽振りの良さそうな中国人医師に関西在住の時はよく出会った。
かかりつけの老人たちはその先生をいたく信頼していて、丁寧な挨拶を欠かさなかった。自ずと先生自身の表情も自信に満ちたものになっていた。
これは社会がその人を必要としているから、いなくならないようにサポートしている実例ではないだろうか。
見向きもされない外国人と歓待される外国人の違いは結局「利用価値」の有無しかない。
外国で自由に生きられるか?
ということで、私たち日本人の話に戻ろう。
果たして私たちは思っているほど外国で自由に生きられるのだろうか?
例えばヨーロッパでは男女平等の意識はたしかに日本よりは上だ。しかし、そもそも外国人というハンデを背負って、新しい社会に都合よく利用されるリスクを背負うほど酷い男女差別が日本にあるだろうか?
生活レベルの安定を考えると男女差別はあれど日本の方がマシだという考えになるかもしれない。
仕事の観点で考えても同じだ。
仮に、非常に経済が好調な国に移住したとして、その国で寿司職人かアジアンスーパーの店員しかやれなかったら、好調な経済の恩恵は受けられるのだろうか?
これも疑問だ。
結局、良いように利用されてポイっではないか?
そうすると外国で生きられる自由とは何なのだろう。
自由...
20代の外国住みYouTuberがよく口にするが結局この自由の姿が何年たっても明らかにならないなぁと思ってしまう。
自由どころか新しい社会に拘束される未来しかないんじゃないか。。。?