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なんとなく35年ローンを組んで家を買う人と海外移住をする人の以外な共通点

家を買うことと海外移住の共通点

 マイホームの購入と海外移住には意外な共通点がある。
それはどちらも、未来は予測できないが何十年後まで行動を強いられる点だ。例えば自宅の購入にはローンを組むことが一般的だが、その支払いは35年、時には50年にわたる長いものになる場合もある。
 リスクを考えると30年後に自分がどうなっているのかなんて全くわからない。しかし、そういった不透明な未来を背負いながらも決断をする必要があるのが住宅の購入というものだ。

 海外移住の本質も同じだ。常に移住後は未来の自分を想像しながら行動する必要がある。移住先でどれくらいの期間を過ごすのか、どんな生活をするのか?一体、どれだけの予測を立てることができるというのか。しかし海外移住という道を一度選択してしまったらそういう準備を強いられることになる。

 いずれにせよ、どちらも「未来」を予測して投資せざるおえない。未来に確定的なものなんてないからだ。あるとすればいつかあなたは死ぬということくらいではないか。だからどちらもなるべく緻密に計画し、継続的に努力する必要もある。
しかし、世の中には何故か真反対に、衝動で決定し、ダラダラと怠ける人が絶えない。

 ちょっと待て。あなたはどれだけ危険なギャンブルに手を出している実感はあるのか?今日はそんな話である。

家を買う友人は何も考えていなかった。

 話は変わる。これは私の日本人の友人と雑談していた時のことだ。
その友人が家を買うことを決めたという話を聞いたとき、私は少し驚いた。なぜなら資産価値もない岐阜市の郊外にローンで家を買うと言い出したからである。しかも彼の中には「家賃を払うのは馬鹿。家は資産」という謎理論が確固たる信念としてそびえ立っていた。

 彼は岐阜県の出身で、岐阜市内に暮らしながら東京の会社でリモートワークをしている。最近、めでたく奥さんが妊娠し、家を買うことを決意したらしい。しかし、この友人にはマイホーム購入に対する明確な思想が見当たらなかった。私はその点に疑問を感じた。
 東京の会社で働いているから岐阜の中では稼ぎが良いとしても、対して考えずに35年ローンを何故気軽に背負えるのか?下手したら今日、とんかつ定食にするかヒレカツ定食にするかで悩むときよりも気楽に3500万円の家を買おうとするではないか。なぜ家の時だけ何も考えないのか?

 彼が買おうとする新築の家は、岐阜市の郊外にあるらしい。何故人口が減っている岐阜県で家を買うのか?その考えに対する根拠が不明確だ。彼と奥さんは、「これから生まれてくる子供のためなら、新築3500万円くらいは安いものだ」と話しているが、私にはその「3500万円は安い」という根拠についぞ納得が出来なかった。

なぁ、家族の為に家を買うってのは素晴らしいことだと思うけど、何故3500万円の新築を岐阜市の郊外に建てる事が妥当なんだ?確実に借金はするわけだし、そこで生活し続けるつもりなのか?
もしかすると、資産性は無視して人生を豊かにするための消費財として家を買うつもりなのかい?それならわかるけど、どういう思想で君はこの家を買いたいんだい?

彼の答えは至極シンプルだった。

だって家賃は金をドブに捨てるような行為だろう?家はローンを払えば土地と家が残るし、必要なら子どもに相続させても良いんだから買うほうが基本的に良くない?

 一体その理論はどこで学んで来たのだろうか。確かに賃貸に住むということは大家に金を払い続ける行為だから、それと比べれば土地と家が自分の所有物になるマイホームのために毎月ローン返済をしたほうが得したように感じる。しかし、これは本当に表面的なメリデメの話をしているだけで、上げ始めればその理論への反論はいくらでもある。

  • お隣さんとトラブルになった場合、賃貸は簡単に転居できるが、マイホームだと中々逃げられない。

  • 賃貸の場合は設備が壊れれば修繕の責任は大家にあるが、マイホームの場合修繕は自分で行わないといけない。

  • そもそも家族で暮らす事を想定してマイホームを買っても、子どもが自立してしまうと使わない部屋を持ちながら、その部屋分のローンも払い続けることになる。

 こんな話は賃貸VS持ち家論の動画を見れば有史以前から続いてきた話だと気がつくはずなのだが、彼には全くそういう反対意見を聞こうという雰囲気がない。まるで自分の家族だけは神に愛されていて、前途洋々で、これから幸せな毎日が続いているとでも言わんばかりだ。

 でもそうやって、無謀に家を買った人間が毎年マイホーム破産するではないか。何故自分は特別に大丈夫だと思うのか?

明確なビジョンがないことのリスク

 しかも彼は将来の願望として、3000万円の家が20年後に2000万円で売れることを期待していると私に語った。考えて欲しい、現在の日本の人口減少や経済情勢を考えると、それは非常に危険な賭けだ。
 実際、日本の人口は減少し、地方の不動産価格は下落傾向にある。岐阜の郊外という場所は、東京や大阪などの都市部に比べて需要が低いため、20年後にその家が今の価格で売れる可能性は極めて低い。しかも建物の価値は年々下がるわけだから…もう、簡単に質問してみよう。岐阜郊外にあなたは築20年の家を2000万円で購入したいですか?

もうええでしょう...

 私は話を整理しようと言った。
「もし、君が家を買う理由が家族との幸せのためならもう好きに買えば良い。ただ、今話しをしているように少しでも欲を出して売って儲けたいとか、それなりの金額で売れてほしいとか思うなら岐阜市の郊外の発展を予想して賭ける必要があるじゃないか。人口統計の予測などは見たのかい?」

 もちろん彼が見ているわけがない。彼には全く自宅を購入するためのビジョン、思想がないのだ。それは家族との幸せな時間を得るための消費でもなければ、蓄財のための投資でもない。逆に言えばそのどちらも望んでいたりする。ビジョンがないから彼が家を買う理由は常に変わるのだ。これでどうやって35年間もローンを背負いながら、毎日幸せに生活できるというのか・・・。本当に私にはわからない。

海外移住と家購入の類似性

 私は彼が何を考えているかなんとなくわかる。
なぜなら昔、父が私にこう語ったのを覚えていたからだ。

「30代っていうのは何かが分かった気になっているが、その実何も分かっていないんだ。泡銭が入ると良いところに住んだり、子どもを私立に通わせようとしたりする。なまじ人よりも稼いでいる30代は勘違いするんだ。俺はこのまま黄金の道を歩んでいくんだってな。でも実際はそうやってローンと教育費でがんじがらめになって動けなくなるんだけどな。」

 私は金を掴んだ彼が、明確に昔の父に重なって見えた。何故か人はいつも「自分だけは違う」と思ってしまう。

 さて家の購入と同様に、海外移住にも慎重な計画と明確なビジョンが求められる。しかしながら多くの人は何故か真面目に計画しない。自分だけは特別で神からラッキーな成功を与えられると信じ込んでいる。そしてあまつさえ、何故海外に移住するのかを明確にしたビジョン、つまり計画も持たずに現場に飛び込んでいく。

 例えば海外に移住する理由が単なる冒険心や「面白そうだから」というものであればそれは好きにすればいい。家を買う理由が楽しそうだからなら、それは消費財として自由に購入すればいい話だ。
 しかし、もしその移住が「移住先で定住し、キャリアを築く」などという長期的な目標を持つものであれば、楽しそうだからやってきた人間が成功できるはずがない。現地の大学に入らないといけないし、実学を学ばないといけない。ただし、多くの人間は先程ご説明したようにビジョンがないので、面白そうだから外国にやってきて、途中から定住したいと夢見て、実現できないと泣く。

 違う。はじめからそれを選ぶなら道が違うのだ。

未来の予測をする重要性

 家を買うことも、海外移住をすることも、どちらも未来の予測が重要である。しかし、予測が必ずしも正確であるとは限らない。だからこそ、慎重に計画し、リスクを理解し、柔軟に対応できる準備をしておく必要がある。家を購入するのであれば、将来的な価値や市場の動向を考え、海外移住をするのであれば、目的に対する具体的な計画とそれに必要なスキルを身につけることが求められる。

 未来の予測は不確実であることは理解しているが、それでも自分の人生をどう生きるかを決めるのは自分自身だ。若さや一時的な欲望に流されることなく、しっかりと先を見据えて行動することが、結果的に大きな成功を生むことになるだろう。

 ここまでの文章を読むと、これは初老の老人のお説教の様に聞こえるかも知れない。情熱を忘れたつまらない男のボヤキに聞こえるかも知れない。しかし、それは違う。情熱はもって良い。しかし、その情熱は当然のごとく上記で上げた様な準備をしたうえで持っておくべきことなのだ。
 そんな準備もせずに情熱だけ持っていると言いはなつ人間のその熱情は実際の所情熱でも何でもなかったりする。あるものにとってそれはただの現実逃避だ。本当に情熱があるなら計画ができるし、努力もできるはずなのだ。

 海外移住の情熱を持つのは素晴らしい。だが、情熱だけで成功へのビザがもらえると思うなら、それは子どもの傲慢さというものだ。成功する人間は人並み以上の情熱を持ちながら常人以上の努力と計画を怠らないものだ。これを読んでムッとした若者がいればぜひ計画を少しでもしてみるといい。それで失せるような情熱ならそれはただのニセモノだ。

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