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普通の人は海外移住して5年も耐えられない、「5年の壁」とはなにか
最近、妻の在日経験が5年を迎えようとしている。日本語が上手くなりすぎた妻は今日も「ゲッターズ飯田」の占いサイトを隅から隅まで読んでいる。これを予習しないとスペイン人の同僚とキャッキャできないらしい。適応しすぎだろ。
こんな妻の姿を見ていると、「日本に定着することはそんなに難しく無いのかなぁ」と思ってしまうが、実態は逆だ。5年間も日本で暮らし続けられる外国人なんてほとんどいない。それどころから5年間生き残れるとすればそれは相当な猛者である。
ちなみに「5年の壁」という単語はご存知だろうか。多くの外国人が在日5年以上の時間をここで過ごすことが出来ず、母国に帰るという現象のことだ。
なぜ人々は5年以上、外国で暮らせないのだろうか?
今日は実際に妻と5年生きてきて見えてきたことがあるから語ろうと思う。
5年の壁は現実との戦いの壁だ。
結論から言おう。5年は現実から逃げるにはあまりにも長過ぎる。だから5年以上外国に住み続けられる人が少ないのだ。5年という月日の間には様々なトラブルも起きるし、自分の無力さも思い知らされる。そういういくつものハードルを乗り越えられる人は、実力の面でも、運の面でも大変少数って話なのだ。
5年前のことを思い出してみよう
5年前といえば、つまり2020年だ。当時世の中はロックダウン中で、日本中から外国人が消え去っていた。中には日本人の配偶者がいるにも関わらず、たまたま実家のある本国に帰っていたらロックダウンされて、何ヶ月も日本の自宅に帰れない人もいた。
このように5年いると高い確率で何か良くないことが起こる。まるで定期的に嵐がやって来るようなものだ。そして根無し草に近い外国人たちは嵐が来ると途端に吹き飛ばされていく。
このように5年という月日は短いようで長く、何かしらの困難に遭遇してもおかしくはないのだ。その短い時間の中で定職に就き、貯金をして社会的ステータスが築けないなら一つのトラブルですぐに日本生活は終了だ。
これが一つ目の現実。5年で必ず一定の社会不安がやってくる。
ここにいる理由を考えるようになった
もう一つの現実は、「否が応でも自分の人生と向き合わないといけなくなる」ということだ。20で日本に来れば25歳になっている、25なら30、30なら35。ライフステージの変化を確実に実感することだろう。こういう状況で現実逃避のヒッピーライフを続けられるほど精神的にタフな人は多くない。
例えば妻は5年という月日が経ち、徐々に「ここにいる理由」を考えるようになってきた。元々仕事もなく、健康保険もない留学生という立場から日本生活を始め、就活をして今の安定を手にした。だからこそ忙しすぎて考えることもなかった根源的な問題について考えるようになった。
「なぜ私は日本にいるのだろうか」
彼女には明確な理由がいくつか既にある。第一、日本人である私と結婚している。第二に母国にはまともな仕事はなく、夜道で撃ち殺される可能性だってある。生存権が確保されていない母国と比べれば全くの異文化である日本で暮らすことにもメリットがあるのだ。
しかし、仮に今でも一人暮らしをしていたらどうか?ブラックで有名な英語教師の仕事しか出来ていなかったらどうするか?現実としては海外に住むとバックボーンが違うから結婚相手として気が合う異性も多くはない。仕事も現地人が第一なので、外国人は残飯のように残った仕事からしか選べない。5年もそんな環境にいて30になったら、20代の頃持っていた淡い冒険への渇望も吹き飛ぶだろう。
帰るのは豊かな者たち
妻の強みはある意味、母国に残してきたものが少ないということだ。家族はあっちにいる。ただし母国はひどいインフレと犯罪率の高さでまともな仕事は少ない。生きやすいのは合理的に考えて先進国である日本だ。
持たざる者の強みと言えようか。失うものがなければ住み続けることも容易い。それどころか物価の関係もあり同級生の5倍の給料を稼いでいる妻は帰国すればプロサッカー選手が宿泊する4つ星ホテルにだって泊まれる。これは強い動機だ。
しかしながら西ヨーロッパやアメリカなど先進国から来た人間にはこの合理性は働かない。それどころか日本の給料は現地より安い。なぜ、現地人カードを捨てた挙句、より安い給料でこき使われているのか?そこに「日本に住みたい」という具体性のないロマン以外に理由の持っていきようがない。
まぁそれが豊かだということだし、帰るに帰れない人間と比べればずっとマシな人生だ。
5年の壁、それは覚悟の壁
だからこそ、5年生き残っているとすればその人の能力はある程度担保されていると言っていい。労働ビザで5年日本にいるのであれば首にならないように仕事していたのだろうし、ある程度のストレス耐性も持っているから5年も日本在住を続けられているのだろうと判断できるからだ。
しかしそこまで日本歴が長くなると、ふと心に穴が空いたようになる。なぜならあまりにも日本に慣れすぎて自分を日本人と比べるようになるからだ。なぜこんなに頑張っているのに、この程度しか稼げないのか。なぜ日本人よりも頑張って日本語を学んでいるのに評価されないのか。
そんな問いに意味がないことは分かっていても頭からその悩みが離れなくなる。これが5年目の悩みであり、つまるところ日本で生きていく覚悟ができないという悩みなのだ。「今はまだ30になったばかりだ。今なら母国でギリギリやり直せる」、そう思った人間が揺らぐのは容易に想像がつくだろう。結果その多くが最後覚悟を持てずに帰国していく。
でもそれはずっと前からわかっていた話ではないか?自分は日本人ではないし、日本人ではない人間が日本語を話すからと言って会社が給料を高く払ってくれるわけではない。こんなことは少し考えればわかることだ。
しかし現地に着いたばかりの外国人はそんな2-3年後に起こりうる問題を考える暇がない。今日、明日の生活のことで頭がいっぱいなのだ。だからこそ生活が安定してくる5年目くらいで未来を見つめ、その不安定さに驚愕するのである。
いや、むしろそんな明日も見えない不安定さで数年後の現実を覆い隠そうと日本に現実逃避しに来ている外国人の方が多かったかも知れない。
現実を忘れるための日本
確かに考えてみれば、彼らにとって異文化すぎる日本での生活は現実に蓋をするにはぴったりの存在だ。
母国と比べることが馬鹿らしいほど社会システムが異なり、自分の社会的立場も無い。例えば、日本語で買い物すら出来ないみたいな段階から再スタートだ。まるで「初めてのおつかい」に出演する子どもくらいビビっている。かく言う私も留学中ビビっていた。
ちなみに「初めてのおつかい」は5-6歳の子供が取材対象らしい。25歳くらいの人間が5歳に戻れる体験というのはそうそうない。
これをポジティブに捉えると、買い物ができるようになれば一定の達成感すら得られるだろう。例えば大学で進学する学科を間違えてお先真っ暗に感じていても、日本で人生をリセットすれば何か変わった気がする。しかも、買い物ができるようになるだけで進んでいる気持ちになれる、達成感がある。
小さい達成感はむしろ麻薬的
しかし、それは精神的アヘン、海外留学麻薬だ。その実、何も進んでいないからだ。母国で5歳の頃に覚えた「おつかい」レベルのスキルを新しい国で覚えて、言語学校で15歳くらいの日本人と同じくらいの言語能力を身につける。それはそれこそ、あなたが母国でやってきた積み木遊びをもう一度やってるだけじゃないか?
この「積み木遊びドラッグ」の一番恐ろしいところは、ふと他人と比較した時強烈な絶望に襲われることだ。例えば最初の頃は比較先は同じように日本にやってきた外国人留学生だろう。しかし、買い物ができるようになり、自分で家を借り、仕事を始めるとその比較対象は自然とネイティブの日本人たちになっていく。そこで絶望する。
いや自分はマリオの1-1をクリアしたら、難しいからって次のステージに行かず、引き続き1-1をずっとプレイしてただけじゃないか、なんて気分だろう。
一体この差は何なんだ?
一流企業で働いている日本人達は定時で仕事を上がるが、きっつい中小企業で働いている自分はいつまでも会社から帰れない。てっきりそれが日本社会だというものだと思っていたら、どうやらそうじゃないらしいと気がついた時、彼らの心にふと重りが乗っかるのだ。
それが夢から覚めた瞬間だ。
もう、そうなったら自分をごまかせない。実際彼らも心の奥底ではわかっているはずだ。その差は、日本人のネイティブとの間にある差は、積み上げてきたものの差だということに。
20歳まで日本で豊かに生きるために勉強して良い大学に入った日本人と、20歳から日本にやってきた外国人の間では積み上げてきた積み木の高さが違う。きっと3年、5年という月日はその逃れようもない事実をどんな人間に理解させるにしても十分すぎる時間だ。
移民だから現地人と比べて待遇の良い仕事は見つかりづらい、病気になっても母国語でサービスを受けるのは無理、土地によっては故郷と違う気候に苦しむ。これが結局のところ現実だ。
「一体なぜ、こんなところに俺はいるんだ?」
そんな理由、実際のところ存在しない。それはあなた自身が定義するものだし、作り出すものだ。泉から湧いてくるものではない。だが、多くは「現実から逃げたかったから」やってくる。だがその到底受け入れられない事実を自分に断じる人は多くないだろう。そしてそう宣言できる人間はこんな結末に至る道を選ばない。
ポジションを明確にしよう
結論「5年目の壁」は確実に存在する。そしてそれは実践的なスキル不足によって超えられない壁ではなく、もっと哲学的で精神的な壁だ。「あなたがここにいる理由」、これが明確にできていないのであれば一生この壁を超えることができない。
だから5年目の壁を超えるのに必要なことは至極簡単だ。「自分のポジションを明確にすること」だ。
日本に残るのでもよし、母国に帰るのもいい、だが「ここにいる理由」を明確にして他人に説明できるくらいまで突き詰めるということが必要だ。そしてもちろんその目標に向かって行動することも必須である。
HUBでいつか出会ったヒッピーな若者が居た。彼はまさにこのポジションを定めることができず悩んでいた。酒を片手に、
俺は、母国の決まりきった人生のレールに乗るのが嫌で飛び出したんだ。それが嫌だったのに、今じゃそのレールが恋しい。ここじゃ何をすれば良いかが見つからないんだ。
そう、ぼやく彼を見た時わかったのは「⚫︎⚫︎をやりたくないから行動する人生」よりも「⚫︎⚫︎がしたいから行動する人生」の方が楽しそうということだ。
そのためにも、まずはなぜ外国にいるのかポジションを定めるべきだ。
ポジションを取った時、あなたの新たな人生が始まる。もしどうしてもポジションが取れないというなら…それがあなたが帰る時だ。。