圧倒的社会的弱者になってまで海外生活するメリットはあるのか?
会社で上司と面談をしていた時にふと上司から言われた一言が妙に記憶に残った。
いや、むしろ逆だ。
異文化交流が日常になった私にとって国際的なキャリアなんて
もう憧れの対象にならない。
というか、憧れの裏側に存在している
「外国人になるデメリット」
を外国人妻の夫として見すぎたので、絶対に外国暮らしなんかしたくないと思い始めている。思えばこんな赤裸々な話はネットにそう多くは語られていない。
きっとそれはインターネットで国際交流の素晴らしさを語っているのが主に20代前半までのライフステージにいる人だからだと思うのだ。
私は30代になってライフステージが代わり、あの20代の頃キラキラ見えていた国際交流&海外生活が自分にはもう合わないということに気がついたので今日はそのことを書きたいと思う。
「メリット: 浅い異文化交流」に飽きた
20代前半の頃はとにかく異文化というものが面白かった。
例えば赤ちゃんがティッシュをすぱすぱ引っこ抜いてキャッキャしてるのを見ると、
「赤ン坊ってなんであれで面白いんだろうね」って思うかもしれない。
あの感覚を20代前半の頃の自分に今では感じる。
確かにあの頃は薄くて表面的な分化の違いが何もかも面白かった。
料理に何でもかんでもチーズが使われてるだけで面白い。
カラオケ感覚でディスコ行くのが面白い。
政治のことを語り合う20代の若者と16世紀からある広場でワイン片手に交流するのが面白かった。
もし、あの頃想像しようもなかった事があるとすれば、そんな驚きと面白さはものの数年で飽きたと言うことだ。5年も持たなかった。
チーズは当たり前の消費物になった。
ディスコはあんまり好きではなく、みんなに合わせて行ってただけと気がついた。
というか、ディスコが嫌いな現地人もいっぱい居るとしって興ざめした。
政治のことを語る若者は確かに多かったけど、でも好き勝手意見しているだけの若者も多いという事実に気がついた。
異文化が嫌いになったわけではない。ただし、最初は人生を幸せにしてくれていた刺激に不感症になってしまった感じだ。
まるで幸せポイントが増えない感覚。昔はスーパーのチーズを一欠片口に突っ込めば、「ピコンっ」と幸せポイントが5くらい上がったが、今では0である。
そして、不感症になった頃に全く考えてもいなかった現実に気がついた。
外国人の自分は圧倒的な弱者だったのだ。
なんで幸せにもならないのに、弱者やってるの?
ただ、口寂しくならないためにでっかいチーズをすりおろしながら口に突っ込んで考える。
なんで、日本に居るよりも幸せにならないのに、こんなところで弱者やってんだろうか?
ここには自分が就けるまともな仕事はそう簡単に手に入らない。
そりゃ、キオスクで日がな一日新聞と雑貨を観光客に売る人生で満足できるならそれでいい。
日本を出て良かった。
キオスクで働いて、社会の端っこで生きてる自分だけど、地元のあいつよりはマシじゃないか。
そんな薄暗い希望を持てるならいいのだが、そんな発展途上国出身だけが持てる特権、優越は日本人の自分には味わえない。
自分は先進国に生まれた大卒の中流階級の出身なのだ。
どうしても比べるのは清潔な日本で暮らす丸の内のオフィス勤めの同級生達である。
惨めだ。
そんな他人と比較しないと生きていけない自分がいるという事実を受け入れるだけでも惨めだが、受け入れたところで現実がさらに自分を惨めにさせるのだった。
そういう時私はシリア出身の難民たちを羨むのだった。
あぁ、サリンで殺されるくらいならキオスクの方がましだと彼らみたいに思えたら、こんな人には話せない惨めさを抱えなくて済むのに...と。
つまるところ、自分は漂流しているのだ。
日本に戻ってやり直せばいいと頭ではわかっていながら、どこかここまで来てしまったから一発逆転できるんじゃないかと思っている。
心と頭が乖離しているからいつまで経っても時の流れに漂流しながら身動きできずに居るのだ。
そんな感覚に囚われた私はさっさと20代前半でお遊びの国際交流をやめて日本に帰ってきた。
どうにか正気を取り戻して、必死に冷水の中を泳いで日本の社会人の世界という陸地に上がったのだった。
振り返ると未だに漂流している知り合いが何人もいた。幾人かは滝が目前に迫っているというのに、身動きせずに流れに身を任せていた。
そして次の瞬間、冷酷な現実社会に潰されて見えなくなった。
弱者はつまらないのだ
日本で社会人を始めて自分は現実社会を受け入れた。
そして自分の汚い部分も受け入れた。
自分には他人と比べないで生きていく人生なんて無理だ。
結局自分は社会的弱者でいられるほど強くないのだ。
清潔なベッドで、いい職に就いて、BBQをしながら、
「金がすべてじゃないよね」
と金銭的余裕のある友人たちとクラフトビールをすする人生を欲していたと認めたのだった。
これが自分が30代になった瞬間だった。
今では青臭い理想も持つことはないし、自分が薄暗い人間だと認められるようにもなったので人生がたのしい。
だからもう、消費財としての国際交流はいらないのだ。
今日も若者は海外に出ていく。
そしていつか帰ってくるだろう。
日本が本当に生きていけない地獄になるまで、このサイクルは続く。