30代でも職がないスペイン人の元カノへ
スペインで私が20代前半に結婚したという事実を伝えると多くの人々はあんぐりした顔を見せる。
つまり早すぎるというのだ。
そう、彼らの常識だと20代前半は学生の時期を終えて就職し、社会人になる年ではない。スペインにおいてそれはずっと後の話だ。
4年間で大学を卒業し
すぐさま正社員の仕事を得て
親元からすぐ独立できるくらい稼げる
そんな日本でありきたりな人生は、スペインにおいて競争社会を勝ち抜いたエリートのみが掴める特権になっている。
それだけ社会の仕組みが違うと二十歳の頃、友人として、恋人として交差したスペイン人の友人ともはっきり言って疎遠になってきた。
そう、私達はあまりにも違いすぎたのだ。
そしてその違いは日々広がっている。
もはや私と彼らの人生が重なることはないんじゃないかと思うくらいに。
普通の若者ではライフステージを上がれないスペイン
私が留学したスペインという社会は日本のそれと何もかも違う。
例えば、スペインの社会で学生ステージの若者が独立して社会人のステージに上がることは、
「誰でもできる普通のこと」ではない。
むしろスペインは日本以上に弱肉強食な、
「優秀なやつから自立していく」競争社会だ。
これは数字が明確に物語っている。
代表的なのは若者の失業率だ。日本であれば四大を卒業した学生の就職率は98.1%超だ。つまり、若者の失業率はほぼ1.9%。
「衰退オワコン国家」とメディアに批判される続けている日本だが、学生の完全雇用をこの国は達成しているのだ。
もちろん、その中には人道軽視のブラック企業の仕事が含まれているのだが、これはまた別の話。
しかし、スペインの20代の若者の失業率は上下しても平均25%という地獄をここ数十年繰り返しており、大卒がすぐに就職できないことは「普通の事」になっている。
この差を引き起こす原因は非常に簡単だ。
学生のポテンシャル採用がなく、卒業したばかりの学生にも徹底的に経験を求めるからである。
この辺の話は欧米の就職事情を調べたことがある人なら知識として知っているだろう。
しかし、今回はもっと話を踏み込もう。
その結果、スペインの若者達は日本人の若者よりも「社会人」になる時期が遅い。だから「精神的自立ができる年」も遅くなっているのだ。
これが個人のライフステージを次の段階に上がる機会を奪っていると私は思う。
インターンを繰り返している元カノ
私にはかつてスペイン人の元カノがいた。
私よりも1歳年上だったから、今頃30後半に入ろうとしている。
しかし、彼女の職歴は何も始まっていない。
日本なら30代後半とは早い人はマネージャーになってチームをまとめている歳だ。一体どうしてこんな事になるんだろうか。
こんな話をするのも、先日ばったりLinkdInをいじっていたら、元カノが出てきたからだ。
驚いて経歴を確認してみたところ、そこには
「NATO 宇宙防衛技術チーム 夏季インターンプログラム生」
と最新の経歴が記載されていた。(実際はこの名前ではない。個人特定できちゃうから)
「えっ、まだインターンなの?」
正直に思った第一印象はそれだ。
私には最近、人生も体感だときっと半分過ぎてるんだろうなぁと思う瞬間がある。それなのに彼女はまだインターンをしている。私がインターンをしていたのはかれこれ10年以上も前の話だ。
昨日のようにも感じるけど、確かに一昔前なのだ。
今の私には新卒上がりの後輩がいて、同輩にはマネージャーをしている人もいる。プライベートでは父親になっている先輩も普通にいる。
しかし、彼女は未だにインターンなのだ。
20代のまま彼女の時が止まっている感覚になった。
もしかして彼女は怠け者で、ニートだったんじゃないか?なんて思うかも知れない。しかし、それは違う。彼女は真面目ではあった。
ただ、就活のセンスが皆無だった。
労働市場が求めている学問を学ばなければ死
スペインの労働市場は大学で学んでいる内容と非常に強くリンクしている。例えば情報工学を学んでいる人間がなる仕事といえば大半がプログラマーだ。
そのため、大学入学時にどの学部、学科に入るかを検討することは将来の労働市場の需要と供給のバランスを考えながら行われるべき重要な投資だ。
ところが、スペインの若者のほとんどは将来に対する真剣な分析などしない。
こうしてある者は心理学(女子が選びがちの薄給仕事学部あるある)や法学(無難な選択に見えて、供給が多すぎるから仕事が見つかり辛い)を選んで卒業後爆死する。
ちなみに、この議論をする時、日本語学科などというのは議論にすら入らない「キャリア自殺学科」だ。スペインは日本と程貿易関係のない国だ。つまりそれくらい仕事の需要が少ない。
毎年日本に留学しに来るスペイン人留学生が帰国後仕事がなくブラブラしているのは公然の秘密なのだ。
事実、ちょっとでもまともなキャリア感のある学生と話せば皆、
「いや、あんな学科進学したら将来仕事ないっすよ。何考えてんでしょうね。彼ら」
と呆れ気味に話してくる。
日本でいえば…そう、芸術大学に行ったら仕事ないぞ。とみんな思っているみたいなものだ。
さて、彼女といえばそんな重要な大学選びにおいては「法学」を選択した。
無難だ。例えば商法とかを専門にすれば会社の法務部に潜りこめたかもしれない。しかし、彼女は宇宙法というNASAとかJAXAみたいなハチャメチャエリートでないと仕事がない分野を専門にした。
ちなみにスペインの大学で欧州の宇宙法をリードする大学はない。あるとすればベルギーやフランス、そしてドイツだ。
つまり、彼女はそこらの公立高校に入学して甲子園を目指すと宣言したようなものだった。正直再現性は低い。
夢のある20代の若者にこんなことを言うのは忍びないが、再現性を低いことをして成功するのは漫画の中だけだ。
だから彼女も世界中の法学部卒業のエリート達と数席のジョブポストを巡って争うことになり、彼女の20代の経歴はインターンシップで塗りつぶされる事になった。
人の人生なので、究極的にはどうなったって良いのだが、
自分だったら絶対に選ばない道だ。
なんて言っても稼ぎがない。
30代まで稼ぎがなかったら結婚もデートも自立すら出来ない。
そんなに自分の人生を犠牲にしてまで仕事に命を捧げたくないと私なら思ってしまう。
まぁしかし、仮にも元カレだった立場だから彼女の内心はなんとなくわかる。
彼女もそこまで強い夢に突き動かされていたわけでは無い。
ただ、選んでしまった学科の勉強を何年もしてしまった以上、今更別の学部に入りなおす勇気がなかっただけだ。
だってそうだろう?歳だけ取って22歳になってしまった後、18歳に混じって1から勉強し直すことは誰にだって苦痛だ。
結局、損切りができなかったのだろう。
だが、これは「キャリアが終わりがち」な人間がやる道だ。スペインにだって、賢く立ち回って楽しく暮らしている若者はいる。
プログラマーやらない奴なんて馬鹿でしょ
それは交換留学で日本の大学に来ているスペイン人の男の子の言葉だった。
年齢は21歳で既にプログラマーとしてもパートタイムジョブを始めている。リモートワークでプログラミングをすることで日本に居ながらそれなりの収入を稼いでいた。
池袋のカフェ、「伯爵」で彼はコーヒーをすすりながらつぶやいた。
鋭い指摘だ。21歳、大学在学中にしてこれだけ労働市場についての知識があれば仮に今後情報工学の価値が下落していっても、賢く次儲かる業界を察知し、そこにスイッチしていくだろう。
だが、それだけではなく彼が情報工学がやはり勝ち組の道だと気がついたのは紛れもなく彼の母親の影響だと分かる。
つまり、一般的な能力しかないスペイン人は30になっても社会人になれる保証はないが、ママに社会のルールを教えてもらえて、なおかつ賢かった彼のような人間は日本人よりも早くライフステージを駆け上がっていく。
おそらく彼はこれからも普通のスペイン人よりも自由に生きられるだろう。どこにでも住める、どんな時間に働いたって良い。
これが21世紀の資本主義貴族だ。
情報とコネを握る親の元に生まれればスペインの労働市場で勝ち組貴族になれる。その確率は私の元カノの様な労働者階級の人間に比べれば圧倒的に高い。
そういえば元カノの両親は国鉄で働く父と、失職した母親の元育っていた。そして父親と彼女は仲がすこぶる悪い。恐らく仕事の就き方など教えてもらえる関係にはなかっただろう。
そう、勝負は生まれた時から始まっている。
なぜ留学生のあなたは気が付かないか
この話をスペインに留学する日本人の若者に伝えると愕然とする人が多い。
その通りなんだよ。だから無駄な消耗戦せずに帰れと言いたいからこの話をしているんだ。
毎回内心そう思っている。
こんな激しい競争社会の中で生き残れる日本人は殆どいない。
現地人でも学部選びを間違えればキャリア的な死が待っているのに、日本の4年生大学を卒業しただけの移民のアジア人など
労働市場において「ほぼ無価値」だ。
もっと率直にスペイン人が思っている酷い本音を伝えるとこうである。
「お前たちチノは(中国人の意。アジア人のことをすべからくチノと呼ぶ)スペイン人よりも安月給で寿司でも握っておけ」
ちなみにスペイン人は決してこんな事は日本人の前で面と向かってつぶやかない。多様性の現代においてそんなレイシズム丸出しの本音をつぶやいたら、SNSで実名をさらされてそいつが社会的に抹殺される。
また、スペイン人は基本的にこんな生々しい話は留学生にはしない。
なぜなら彼らにとって日本人の留学生は所詮「お客様」だからだ。
例えば、あなたが久々に自宅にやって来た親戚に
なんてどす黒い話をしないように、スペイン人だってわざわざ遊びに来ているお客さんにそんな心の内情は明かさない。
明かすとすれば「そういう事情をわかってますよ」とサインを出してくる様な外国人にだけだ。
結果、ワーキングホリデーや留学などでスペインの光の面(温暖な気候や美味しい食事)だけ見て、彼の地に住みたいと思った20代の若者は数年して暗黒面に堕ちる。
仕事が見つからない。
ジメジメした暗い部屋でモロッコ人の移民とシェアハウスする。
付き合っている彼氏/彼女と結婚して合法的なビザがほしいのが最近の夢…
暗黒面の暗さはそれを覗いてしまった人にしか分からない。
逆にそんな彼らも現実に2-3年で気がついて日本に帰国すれば25くらいで正規雇用には滑り込めるだろう。
逆に、30まで夢を追い続けるとその道すらない。
まさに海外生活とは保証がない。一寸先は闇の地獄だ。
ライフステージが合わないので関係がこじれる
日本では、「社会人になる」という段階まで基本的に護送船団方式でみんなを引き上げてくれる。
この様な社会主義的な政策を取る「大日本社会民主主義共和国」に住んでいるとそれが当たり前だと思うが、真の資本主義社会である欧州にそんなものはない。
21世紀の貴族階級である知的エリート層はうまい仕事をかっさらい、その仕事の見つけ方を子々孫々に伝えていく。
それ以下の階級は道端に放置されて結婚すら出来ない。
これが現実である以上、ライフステージが合わなくなると地元の友達だろうが、かつての恋人だろうがやはり関係はこじれてくる。
そのこじれる頃合いというのは恐らく30歳手前だろうか。
私の場合は22歳で早くも多くのスペイン人の友人たちとの関係がこじれたり、薄くなったりした。
その一人が元カノである。
私はそれなりの日本の大学を卒業していたので22歳で企業に就職した。
勉強していた学部は文学部。スペインで言えば「キャリア自殺学部」本家大本のようなところである。
しかし、私がするっと普通に正社員の座に収まった事実はこれから金をかき集めて院に入学しないと人生お先真っ暗な彼女にとっては信じたくない事実であった。
そして彼女は実にスペイン的な思考回路でなぜ私が就活を成功させたか結論を導いた。
私が父親のコネで仕事を得たと思ったのだ。
そして、就職後社会人の洗礼を受けて深夜残業で疲れ切っていたある日、私達は喧嘩をした。
サマーインターンに何通もエントリーシートを出し、OB訪問のために身銭を切ってその仕事を得た私には到底我慢ならない言葉だった。
そこからは
なんて喧嘩が始まり、別れてしまったのだ。
別れた理由は喧嘩したからではなかったと今では思う。
喧嘩したこと以前に、彼女と人生がこれ以上交わらないなと理解したからだ。
と理解してしまった。
ライフステージがずれて一番こじれたのはこの話だが、
それ以外にも疎遠になった友人は多い。
農家をやりながら、介護士をしてるホルヘ
いつまでも日本学の教授になりたいと悲惨なポスドク競争の中疲弊しているフアン
こんな友達とも話さなくなっていった。
どうせ私の苦労を相手は分からないし、私も相手の苦労がイメージ出来ないのだ。
人生は20代から急速に複雑になっていって、共通点を探すことが困難になる。だから、これはもう仕方がない話だ。
実際日本人同士だってどんどん疎遠になっていくじゃないか。
ただ、それが外国人同士であれば更に加速度的に疎遠になっていくだけなのだ。
心底海外に住まなくて良かったと思っている
海外生活をすることは基本的に殆どの人から肯定的に受け入れられる。
「価値観が広がる」とか「世界観が変わる」とかいわれるからだ。だから今流行りのワーホリ乞食になっている日本人の若者達に対しても「経験になったから無駄じゃないじゃないか」と声をかける大人は多い。
しかし、個人的には心底海外に住まなくて良かったと思っている。ワーホリや現地留学をして貴重な20代を潰さなくて良かったと思っている。
もしあの時、元カノと一緒に居たいと思って適当なスペインのマスターを取っていたら?
文学部出身の自分に仕事はなかった。日本に帰っても新卒カードを捨てた自分に今のような安定していて、チャレンジングな仕事は回ってこなかった。したい時に旅行もできなかっただろう。
仮にスペインにかじりついたとして、彼女と友人たちとの関係は維持できたか?
私は無力な移民、彼らは学位のある現地人。やっぱりどこかで私達の人生が交わらなくなる瞬間が待っていただろう。
それを理解したから学生のうちにさっさと欧州から撤退したのだ。
いくらディズニーランドが楽しいとはいえ、閉園後までいるわけにはいかない。閉園後は業者がきて掃除を始めたらどんな夢だって冷めてしまう。
だから今見ている景色は確かに「あの時、無謀なチャレンジをしなかったから見れる景色」なのだ。
30代になって仕事があり、妻もいる人生に本当に感謝している。
そしてその人生に満足しているからこそ、今はハッキリとかつてのスペイン人の友人たちに言える。