ユダヤ人に聞いた「なぜ貴方達は外国で成功するんです?」
ユダヤ人はすごい。語彙力低めに言えばすごい。まず、頭がいい人が多い。アインシュタインもユダヤ人だしスピルバーグもユダヤ人だ。
それに金持ちが多い。世界三大投資家の一人、ジョージ・ソロスもユダヤ系だろう。
なんてユダヤ系への典型的なステレオタイプは言われるわけだが、実際にユダヤ系の友人と話してみると本質的なユダヤ系の強さは「頭の良さ」でもなく、ましてや「金持ち」であることでもない。
それはマイノリティが生きるべき道を2000年間伝え続けていることだ。
そう、ユダヤ人の考え方は日本から飛び出し外国でマイノリティになるであろう海外移住予定の日本人にも当てはまる。ぜひ彼らから生きる術を盗もうではないか。
今日はそんな話である。
ユダヤ人はこうやって生き残る
先日私はユダヤ人の友人の家を訪ね、あーでもない、こーでもないと議論に興じていた。別に意図しているわけではないのだが、こちらは外国人と結婚した日本人であり、あちらは日本人と結婚した外国人だ。どちらも社会的には外国属性の家族がいるので自然と外国での生き残り方の話をすることになりやすい。
そこで話になったのが、彼自身の家族の歴史だった。そしてその壮絶な歴史を彼が自分ごととして理解していることが彼が日本にやってきた移民としても大成功している理由なのだと気がついたのだ。
マイノリティは常にスケープゴートなりうる
彼の先祖は常に流浪の民であった。彼の曽祖父は第二次世界大戦中ハンガリーでユダヤ人迫害に会い、フランスに逃げた難民であった。ちなみにハンガリーは戦中、親ドイツ国の中では最後までユダヤ人迫害に抵抗した国だが、それでも住んでいた街の住民から侮蔑の言葉などは投げかけられており、1944年に本格的にユダヤ人狩りが始まると遂に国を捨てる事を決意したそうだ。
戦争というのは本当に人間の心を荒ませる。そして人間、余裕がなくなると他人に優しく出来ないものだ。パンがない、仕事がない、燃料がない。そういう日々の普通の暮らしさえままならなくなると人は原因を探し始める。こういう時社会的マイノリティはリンチの対象になりやすいのだ。あの時はユダヤ人がサンドバッグにされた。
本当にこの戦争を起こしたのがユダヤ人かどうかは半分どうでもいい。
自分の生活が酷いから腹が立つ、とにかくこうなった原因を見つけてぶっ殺してやるといったメンタルなのだ。そこに理性や、優しさはない。
ことユダヤ人においては2000年の歴史に渡って、そのリンチの対象になってきたわけだから、彼の先祖も空気の変わり目を感じ取って祖国を捨てたのであった。
これが友人にとっての第一の教訓であった。マイノリティは常にスケープゴートになりうるということだ。気を抜いたら殺される存在だと一生覚悟しないといけない存在がユダヤ人だと彼は語った。
社会を這い上がれ。人がやれない/やりたくないことをやれ
ハンガリーから着の身着のまま逃げ出した友人の曽祖父が戦後居着いた国はフランスだった。現在もフランスは欧州の中で多くのユダヤ人が住んでいる土地だ。そこで彼も難民地区の様な場所で住み着くようになった。
当然、ハンガリーから逃げてきた彼には仕事がなかった。そのため彼は死ぬ気で街中の店に求人を探し回り、最後に見つけたのがパン屋の早朝の仕事だったらしい。毎朝、というかまだ外も真っ暗なので真夜中の頃から店に出勤し、夕方までパンを売る生活は現地人のフランス人達がやりたがらない仕事だった。しかし、それが彼ができる唯一の稼ぐ手段だったのだ。国を捨てた流民に世間は優しくない。
それでも彼は住み込みの仕事で得た、なけなしの金を貯金し、フランス語も仕事終わりに学び、たった数時間だけ眠ってまた職場に行く生活を繰り返した。10年もすると生活に余裕は出てきて、結婚もでき、家族ができた。そうして地元のパン屋のオーナーとして死んだのが、ハンガリーから渡ってきた移民一世の友人の曽祖父の人生だ。
友人にとっての第二の教訓というのは、すべてを失ったら新しい社会で這い上がるしかないということだ。這い上がるということは誰もやりたがらない仕事に就かないといけないかもしれない。それでもそれをしないと次の世代が生き残れない。だから自分を犠牲にして働くというのが彼の曽祖父が一生をかけて証明した、マイノリティ第一世代の人生だった。
地元の権力者を見つけ出せ、接近しろ
物語は彼の祖父に受け継がれる。彼の祖父は曽祖父のフランス移住後生まれたのでフランスネイティブであった。曽祖父は祖父に対してそれはそれは期待した。そして子どもの頃からユダヤ人が受け継ぐ教育を行っていた。
自分たちはマイノリティであること。だからいざとなれば簡単に殺されること。
マイノリティなので、権力や財力を持たなければいけないこと。そのための努力をおこたれば、いつか殺されるということ。
財力を持つだけではなく、このフランス社会に食い込むこと。それは地元の権力者達ともつながること。
曽祖父は祖父が存分に成長できるような地盤をフランスに築くことだけを考えて生き、そして祖父はその思いを組んで、パリにあるエリート大学に進学した。そこでフランス人であり資産家の娘と結婚して弁護士として成功したらしい。弁護士としての腕は義父の紹介によって徐々に広まっていき、最後には資産を蓄えて亡くなった。
第三の教訓は学び、そして現地のエリートと接触することこそ重要だという教えであった。実際私の友人も日本でその全てを行っている。
その結果としての教育戦略
友人は在日外国人の中では破格に稼いでいる。普通稼いでいる外国人といえば日本に来ている駐在員だが、そうでもないにも関わらず同じ位稼いでいる。それが出来ているのは子どもの頃からマイノリティとして生き残る方法を先祖代々学んで来たからだ。
例えば彼自身はフランスの優秀な大学を卒業している。専攻は経済学だ。彼は進学した理由を明確に「コネクションづくりのため」と言い放っていた。世間のほとんどの人がお題目としては大学に進学する理由を「学問のため」という中、「コネクションのためだ」と理解できているのは家族の教育のおかげだろう。彼はその後日本に来てからも国立大学のMBAを卒業して、そのコネクションを利用して某大手企業に入社した。
そう、これこそユダヤ人の強さの本質だ。
彼らは子どもの頃からマイノリティとして生き残るための心構えを子どもに教え込んでいる。その心構えの結果、勤勉に学び、コネクションを作ろうと名門教育機関に入り、社会ステータスの高い仕事を得ていく。そうでなければ皆殺しにされた先祖の様な末路が待っているかも知れないからだ。
本来、迫害される弱い立場だからこそ誰よりも努力し、強くなる個体が現れていると考えられる。これを勘違いして教育熱心だからユダヤ人は金持ちなのだと思うのは理解が表面的すぎる。常に安息の地がないという緊張感に置かれているからユダヤ人は世界で輝いているのだ。
当然の知識があるから勝つユダヤ系
このように記事で説明してしまえばユダヤ系が社会で勝ち抜く方法はそれほど難しい話ではない。
まずは社会で人がやれない(又はやりたくない)ことで金を稼いで基盤を作る。次の世代は両親世代が作った金を持ってエリート教育機関に通い、新しい国での教養を身につける。そうして現地のエリート層と交流し権力層に組み込まれていく。
実にシンプルな話だし、ユダヤ系以外にも社会の新参者が成功するために選ぶ王道ルートだ。だが、ユダヤ系がすごいのはその当たり前の勝ちパターンを知っていることではない。その勝ちパターンを子どもに小さい頃から教え込むことだ。
自分たちはヌルい努力で生き残れる運命に生まれていない事をはっきり認識させ、小さい頃から犠牲になってきた同胞の歴史を伝える。そして「お前もこうなりたくなかったら、生き残る道はある。勉強しろ」と教育の大事さを伝えるのだ。
非ユダヤ人からすると、この生き残り戦術の結果としての高教育っぷりだけが表面的に見えているが重要なのはそこではない。なぜユダヤ人は教育を重視しなければいけないのかという根拠を小学校に入るか入らないかくらいから教え込み準備させることが他の移民よりも成功する鍵なのではないか。つまりユダヤ人はマイノリティとして生きるノウハウを蓄積した民族だから強いと言える
私は常々移民二世と交流する中で不思議な光景を見てきた。それは移民一世が自分の生活基盤を整える為に苦労してきたから、二世に対して自分たちは基盤を持っている現地人とは違うと伝えないことである。
例えば地元のある中華料屋の息子は絵がとても好きで大学は是非とも美術大学に進学したいと言っていた。到底学費が払えるはずがないし、卒業後の仕事のあてもなかった。
ユダヤ系ならそこで親はテコ入れするだろう。学問を学ぶのはいい。ただし、自分たちの立場で言えば社会が望む学問を学ぶことが重要であって、自分が学びたいことを学ぶ余裕はうちにはない。絵が書きたいなら別途絵画教室でも行きなさい。なんて言うのではないだろうか。
さて、彼らから日本人に話の視点を変えてみると海外に渡る日本人のほとんどにはユダヤ人の様な視点はない。とにかく、まず海外というものが何かを日本にいながら調査しようという視点もないので、行くことが目標になってしまっているところすらある。これでは日本人が海外で成功しユダヤ系の様に名を轟かせることがないのも当然だ。移民レースのスタートラインにも日系は立てていない。
しかし、それは反面幸せと考える事もできる。ユダヤ人だって何も好き好んでこの立場になったわけではない。今彼らがマジョリティになれるのは戦が耐えないイスラエルくらいだ。なので、帰れる土地を持つ我々がユダヤ人を羨ましがるのは当のユダヤ人からしてみればすこし歯がゆいことかもしれない。
どうだっただろうか?海外での人生生き残りゲームは本当に生まれた時から始まる。はっきり言って過酷だが、海外で挑戦するならライバルもやっていることなので受け入れるしかない。しかし、それでも帰る土地がある日本人は幸せな人々だ。