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【混沌】多様性に憧れる学生に現実を教える記事【対立】
「グローバル化」
10年位前に流行ったこの単語を使う人が最近減った気がする。
グローバル化という響きが飽きられたのだろうか?
それとも「多様性」という単語が流行り始めたから、オワコンになってしまったのだろうか。
明確な答えは見つからないが、少なくとも10年前に「多様性」なんて単語を使いこなしている人は居なかった。
ところが最近は就活でも「御社の多様性戦略はどのようなものですか?」なんて尋ねる学生さんもいるらしい。
お客さん、そんなの言葉遊びに決まってるじゃないですか。
本気にしたら騙されますよ。
「多様性」、言葉遊びの道具
とはいえ、もしその学生に優しい大人としてホンネで答えられるとすれば、私はこう答えるだろう。
(とはいえ、そんな事現実社会でやったらあとで上司に詰められる)
あぁ、何もしてないですよ。
第一、何の得があるかわからない曖昧な「多様性対策」なんて
営利団体である企業が喜んでやるはずないじゃないですか。
大人はこういう「詐欺ワード」を使って言葉遊び(金儲け)をするが、学生は割とまっすぐその詐欺に引っかかるから心配だ。
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この手の単語には明確な定義こそないが、共通のイメージがある。
想像してみて?
様々な肌の人が手を繋いで、円状になっているんだ。そこには対立もなければ、憎しみもない。Chill…だよね?
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しかし、グローバル化も多様性も実態は「みんな仲良し」ではない。
例えばアメリカでは反不法移民のトランプが大統領に当選し、
ドイツでもAfDという反移民政党が躍進している。
本当にグローバルで多様な社会になればハッピーハッピーハッピー♪なら
こんなことにはならないのだ。
明らかに、何か理想とズレがある。
だから世間の人々の中には反移民がいるし、反グローバルがいるし、
そして反多様性がいるのだ。
この人たちが抱える問題も理解しなければ結局、多様性もなにもかも
ただの理想論で終わる。
今日はそんな本音ベースで、なぜみんなこのテーマで怒っている人がいるか考えてみようと思う。
「グローバル化」は理想論ではなく、金儲けの手段
そもそも現代のグローバル化のイメージは
「世界中の人と仲良しになるウェイ」
くらいのぼんやりした理想論が主流だが、そもそもの発端はビジネス用語だ。
つまり、金儲けの手段として生まれた概念だ。
これを知らないのでみんな何かこれを崇高な思想だと勘違いする。
絶対に守り抜かなければいけない価値観だと思ってしまう。
しかし、それは違う。
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グローバル化の神話の始まり
かつて、アメリカという神がいた。
その神は冷戦というラグナロクに勝利し、こう囁いた。
「世界自由貿易よあれ」
そうしてこの世に自由貿易サイコー!の価値観が生まれた。
グローバル化の誕生である。
グローバル化誕生のあとの時代は変わった。
例えば車を作っている会社があるとする。
その会社はもっとお金を効率的に儲けたい。
ところが、国内の賃金が上昇してきているので利益を出すのが大変だ。
他国のブランドと張り合うためにも車の金額を上げるわけにはいかない。
そこでその会社はタイに工場を作ることにした。
なぜならタイの賃金は日本よりもずっと安くて、
そうすれば原価を抑えて車を生産できるからだ。
これが原初のグローバル化の世界。この90年代の世界においては
グローバル化とは発展国の大企業の社員だけが使う業界用語だった。
金儲けのための専門用語、つまり「経済のグローバル化」とも言える。
こうして、人々は国境を超えて金儲けをすると、効率が良いらしいぞということに気がついた。そして口々に「グローバル化」は金儲けのためには良いことだよ。と、言い出した。
ここまでは誰も文句はないだろう。
金儲け、イイね。万歳。
だが、ここからどんどんグローバル化の意味が膨張していく。
グローバル化はエリートのための共通語になる
どうやらグローバル化は儲かるらしいぞ、と話が広まると
世の大人は金儲けの種としてグローバル化に興味を持ち出す。
そうすると今度はグローバル化という概念自体を金儲けの手段にする人間が現れる。
例えばこうだ。
お客さん、グローバル化で企業は儲かるってご存知ですか?
でも課題がないわけじゃないんですよ。
例えば外国で商売をするならその土地の言語を勉強しなければいけないじゃないですか。
でも英語は想像するだけで難しいでしょう?
うちの教材なら大丈夫!すぐに覚えられるんです。買ってみませんか?
こんな風に、
「グローバル化は企業の金儲けにとって有用な手段だ」
と世の中で思われ始めたので、
「だから個人のあなたもグローバル化のために◯◯するサービスを買うべきだ=あなたも社会のエリートになれるよ=安定した豊かな生活ができるよ」
みたいなセールストークを使う営業マンが現れた。
これがエリート内での「グローバル化」の浸透だ。
具体的に言えば、英会話教室なんてものがそうだし、
高額なサービスでいえばインターナショナルスクールもそうだ。
グローバル化に対応した教育を受ければ稼げるよね、というわけ。
これも悪くはない。
この時代のグローバル化は大衆化し始めたとはいえ、
まだ他者と差別化するための武器だった。
実際、英語ができれば2000年代では専門の仕事もあった。
グローバル化のための英語というツールが個人にも武器として使える最後の瞬間だった。
しかし、こういうサービスも市場に浸透しきると、正攻法では売れなくなる。
だれもかれもがお茶の間留学するようになった。
エリート層は当たり前の様にグローバル教養を身につけるようになった。それならどうする?
ここで世の人々は単語の神聖化を始める。
そして、神聖化が完了すると怪しいビジネスが加速度的に増える。
『「グローバル化」なんだから詐欺』の出現
ところで、人間は容易に目的と手段をすり替える。
なぜならそうした方が難しく考えなくて済むからだ。
なぜ自分にはグローバル化するための知識が必要なのか。
そんな深い事を考えるのは馬鹿らしい。
グローバル化という単語を神聖化するとは、
つまりこの言葉自体を目的にするということだ。
金儲けがしやすいからグローバル化に対応した能力を身につけよう
から
グローバル化したい。なぜならグローバルは素晴らしいから
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に変貌する。
例えばあるタイミングから明らかに偏差値の低い大学で「グローバル⚫︎⚫︎学部」が増えた。
なぜならグローバル化という単語自体が神聖化されて目的になると、それだけで顧客である学生を釣れるからだ。
ほとんどの人は大人になった時、経済的に裕福になれるように良い大学に行く。そのため大学側からすれば、真っ当に「うちの大学はいい大学ですよ」と宣伝できるのは上位層だけだ。
下位層の大学は真面目にやっても、客である学生は寄ってこない。そりゃそうだ。いい会社に入れるという最大のメリットが下位の大学にはない。
そこで彼らは「なんか凄そうなこと」を学ばせる学部を作り、そこまで考えていない学生達を釣っていく。
もうこうなると、言葉遊びの世界だ。
実態として彼らがグローバルである意味なんてない。
使いこなせないし、中にはアルファベットを各練習をしている学生もいる。ここにただ、耳触りのいい言葉に従いたい人間を騙すためのツールだ。
これは企業側も同じだ。
「うちはグローバルですよ」なんて言えば騙されて中途や新卒が集まってくると思っている会社は確かにいる。
というか、私の前職がそうだった。
興味がある人は是非以下の記事を読んでほしいが、外国人社員がグローバルパンダとしてペットのように飼われていた。
こうやって詐欺師が使うツールになり始めると言葉の価値は急速に下がっていく。そして最後は言葉自体が捨てられるのだが、心配いらない。
世の中は次の単語を見つけるものだ。
それが今なら多様性である。
多様性も詐欺ワードか?
ここまでは一昔前に流行った「グローバル化」という単語が本来の経済用語からどんどん意味の範囲を膨らましていって、最終的には詐欺師に利用される「なんかいいこと」に変わったことを説明した。
今大学生の人なんかにすれば、2010年代の日本人って馬鹿じゃね?と思うかも知れない。
だが、考えてみよう。それ「多様性」も同じじゃないか?
「多様性」もこれまたビジネスの世界で生まれた単語なのに、今や道徳的な人が皆持っている規範のように扱われる。
多様性があると儲かるって話だったじゃん
思えば、多様性というテーマが流行り始めた時もやはりスタートはビジネス関連の話題からだった。
例えばアメリカの企業家たちの多くは移民出身で多様な価値観を持っているから新しいアイデアを生み出すことが出来て、魅力的な企業が生まれている。だから経済発展のために日本の多様になるべきだという話だ。
しかし、そこから多様性は急速に陳腐化していった。
多様性を学ぶ講座に参加しよう!
我が大学では多様性をもって教育します。
うちの会社は多様性フレンドリー企業です!
人々はすぐに多様性という「なんかいいイメージ」を使って広告宣伝を始めた。そして、多様性があるからといってロクに教育もせずに若者をこき使うブラック企業も多様性を語っている。
なんだ。結局グローバル化と同じじゃないか。
こんなふうに声高に多様性の不合理を大学で言い放つ必要はない。
大人は無駄な被害は避けるものだ。
だが、騙されてはダメだ。そこに貴方が輝く道はない。
まずは自動車学校に通え
とは言っても、理想論を冷笑するのはカッコ悪いものだ。
斜に構えて私のように腐った大人みたいな言葉を最初から信じる必要はない。
もし、多様性の価値を信じたいならとりあえず自動車学校に通ってみれば良い。
合宿に行ってみよう。なるべく田舎の自動車学校に行ってみるといい。
そこにはすごい名門大学からやってきた学生もいれば、地元の建設会社で働いているネパール人もいるだろうし、免停になって免許取り直しのおっさんもいるだろう。
彼らみんなと仲良くなってみて、この多様性をどのような価値に変換できるか考えてみるといい。
おそらく信じられないほどカオスで、まとまりがなく、分断されている寮の中で2-3週間生活すると、多様性の恐ろしさがよくわかってくると思う。
多様性なんて全然良くないじゃん!と思ったら始めて真に多様性について考える土台に立ったと言えるだろう。
多様性を実感したいなら本当に海外留学する必要なんかない。こうやって身近に自分と違う人とどれだけ自分が我慢して生活できるか、そこから価値を生み出せるかを考えれば安く多様性の本質を知ることができる。
これが詐欺師ワーホリ業者に大金を奪われずに安く体験できるいい機会だと思っている。
なんだか取り留めもない文章になってきたので今日はココまで。