今・これからの私・美術とドイツ
東京に30年・ドイツに17年・生まれてから昭和・平成・令和と三つの時代が過去と今をつなぐ。そして、今・これから・ここから。
2019年11月9日、ベルリンの壁崩壊30周年記念のイベントを見に行くために、一人で長距離電車に乗った。夕暮れ時に、ブランデンブルグ門に続く大通りを群集が黙々と歩き続ける。耳を澄ますと、スペイン語、英語、ドイツ語、東欧の言葉、中国語、トルコ語。数々の言語がいきかう。世界中からドイツに来た人達が、一心にブランデンブルグ門を目指す。
その時、私はボスニア人の友達にメッセージを送りながら、自分が何故ここにいるのか考えていた。ドイツに住む日本人、異邦人という感覚はいつまでたっても抜けないのに、日本人という感覚も薄らいで行く。茫漠とした中で、自分が歴史の中で、どこにいるのか知りたかったのだ。
母親が孫に、第2次世界大戦の時の事を手紙を書く。そのまた更に昔にベルリンに住んでいた祖母の兄の写真を送ってくる。ベルリンが華やかな時代。東西に分断される前の時代。その世界がどんな姿だったのか。世界がどうして分断されたのか。そしてまた自由が何をもたらしたのか。この目で確かめたかったのだ。30年前に何が起こったのかを。
そして2019年は暮れた。戦後の反省から欧州連合が組織されて理想を掲げて前に進んでいたのに、2020年1月31日にイギリスは欧州連合から離脱した。そして春先から世界にコロナウィルスが蔓延した。
グローバリゼーション・経済交流・移民・インターネット。活発に煌めくように交流を深めていた世界が、一気に停滞した。もともと資本主義も民主義も最後の仇花の様に狂いつつあったのが、価値観の転倒。生死を見つめる時間、家族や人生を、今までの価値観を問い直す時間に変わった。
私は、今ここからどこに向かおう。
一つだけ考えていたのは、戦争も、コロナウィルスも、豊かな人間性を崩壊するものだということだ。根無し草として海外に長年生活すると、寧ろ生まれ育った場所の文化がどんなに身に染みていて大切なものかがわかる。人生を貫く物語が一度なくなると、人間は弱くなり、不安になる。希望をもって国を越えて生活を始めた移民の人たちも、どれほど苦労して、どれ程強くなって、そして、どれほど弱くなったのだろう。
私は作品を作り始めた。今ここにいる自分を確かめるために。陶酔できる何かを見つけるために。美が人々に癒しを与えられるかを確かめるに。沢山の涙や怒りや叫び、苦しみが少しでも美しいものに昇華されるように。気持ちが通じるのかを知るために。失われた時代を想像するために。少しでも世界をの中に進んでいければ、そして沢山の人の心に届けばと願っている。