日本でもアメリカでも、そしてドイツでもClubhouseが大流行である。ここドイツではどんな使われ方をしているのかなと興味があったので、幾つかのRoom に入って視聴してみた。かなりの活況である。 テレビ業界の有名人や、政治家、経済界の人間などもかなりClubhouseを使っていて、夜な夜な(あ、勿論昼間も部屋は開かれるのだが、何となく皆が仕事をしている時間帯は部屋が少ないのではないかという勝手な感覚である。)議論をかわしていたり、歓談したりしている。 政治家がコロナ情勢
コロナパンデミックの外出制限下で、旅行に行けない。旅行どころか自分の国にすら帰れない。なので旅行の代わりに、以前から興味があった世界各地のノーベル文学賞受賞作家の作品を読み始めることにした。 最初の作家は、ドイツにも縁の深い、ボスニア出身のイヴォ・アンドリッチの作品。サライェボのギムナジウム(日本で言うところの中学校)を卒業後、ザグレブ大学、ウィーン大学を経て外交官となる。1892年生まれ、1975年死去。1939年には、ヒットラーの時代にドイツ大使としてベルリンにも駐在し
自分の母国を離れて海外に住む移民という立場になったためか、越境文学に興味がある。国境を越えて活躍する人が、どのようなメンタリティで生き抜いているのか知りたいのだ。 海外暮らしの苦労というのは語り尽くされているように思うけれども、ドイツ、それもフランクフルトという街に17年住んで気がついたことは、当たり前の事ではあるのだが、大変なのは自分だけではない。という事。いや寧ろ、自分だけが大変だと思っていたのが大間違いであったという事実である。 そもそも「移民」の定義とは何なのか。
東京に30年・ドイツに17年・生まれてから昭和・平成・令和と三つの時代が過去と今をつなぐ。そして、今・これから・ここから。 2019年11月9日、ベルリンの壁崩壊30周年記念のイベントを見に行くために、一人で長距離電車に乗った。夕暮れ時に、ブランデンブルグ門に続く大通りを群集が黙々と歩き続ける。耳を澄ますと、スペイン語、英語、ドイツ語、東欧の言葉、中国語、トルコ語。数々の言語がいきかう。世界中からドイツに来た人達が、一心にブランデンブルグ門を目指す。 その時、私はボスニア