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どれを見る? コンペ作品の海外映画評ダイジェスト | 第25回フィルメックス

東京フィルメックスのコンペティション部門には今年もアジア各地から俊英監督の新作が集まりました。なにしろフレッシュな才能ぞろいなので、手掛かりになる情報が少なめなのがこの部門。そこでコンペの全10作品の海外映画評をピックアップしてみました。作品選びのヒントや鑑賞のお供にご利用下さい。

『四月』April
監督:デア・クルムベガスヴィリ Dea KULUMBEGASHVILI
 https://filmex.jp/program/fc/fc1.html

家父長制だけでなく、時には自然が持つ無形の残酷さにも責め苛まれる女性のアイデンティティ、主体性、欲望――その全容を妥協することなく鮮烈に描く『四月』は、抑制された形式的厳密性と溢れ出るような感情の奔流の双方を併せ持つ。ジョージアの片田舎で迫害や暴力に晒される女性性を考察した2020年の監督デビュー作『Beginning』を見てに抱いた期待感に応えていただけでなく、彼女の映画作りにおけるシュールレアリズムや現実世界に対する微細な観察眼がそれぞれ極限まで押し上げられている。今年のベネチアのコンペティション部門でおそらく最も挑戦的な意図が込められた作品。配給会社は扱いに悩むかもしれないが、この38歳の監督は映画祭のA級映画作家リストに残ることになるだろう。(Guy Lodge  | Variety)

現役のホラー監督で、デア・クルンベガシヴィリほど緊張感と不気味さ、そして本能的な魅力を感じさせる映像を生み出せる者はほとんどいないだろう。彼女はその才能を、カフカス山脈のふもとで男性中心社会の重圧に耐える田舎の女性たちを描くことに注ぎ込む。(David Ehrich|Indie Wire)


『サントーシュ』Santosh
監督:サンディヤ・スリ Sandhya SURI
https://filmex.jp/program/fc/fc2.html

北インドを舞台にしたこの緊迫感あふれる警察ドラマは、政府の支援制度によって亡夫の職を継いで警察官になった若き未亡人サントーシュを追う。新たな職務についたことで、彼女は自尊心と独立心、責任感、そして何よりも新たな力を手にする。しかし同時に、彼女はインドの法執行機関の醜悪な現実にも直面することになる。蔓延する汚職、制度化された性差別、カーストの偏見、そして日常的な暴力がそこには渦巻いている。ドキュメンタリー出身のイギリス系インド人監督サンディヤ・スリのこの見事な長編デビュー作は、現代インドを反映するネオ・ノワール映画だ。(Wendy Ide | Screen Daily)

『セルピコ』から『L.A.コンフィデンシャル』『トレーニング・デイ』まで、警察内部の腐敗と戦う実直な警官の物語はハリウッド映画の定番だ。高潔な警官は裏金や闇取引に加担してしまうのか、それとも道徳心を貫いて大物を捕まえられるのか。最後は善人が勝利するのだが、それはいつも男性だ。
そんな警官物語の非ハリウッド版が、サンディヤ・スリ監督のこの秀作だ。インドの地方警察に勤める女性の生き様が、ひときわ曖昧で予測不能なものとして描かれる。英国系インド人のスリ監督は、善良だが経験のない新米警官が独力では太刀打ちしがたい深刻な問題を浮き彫りにし、妥協まみれの倫理感や警察の蛮行、カーストによる暴力、そして女性蔑視が入り組んだ迷路へと観客を誘うが、出口を示そうとはしない。(Phil de Semlyen | Time Out)


『ハッピー・ホリデーズ』Happy Holidays
監督:スカンダル・コプティ Scandar COPTI
https://filmex.jp/program/fc/fc3.html

イスラエル人ヤロン・シャニとの共同監督した初長編『Ajami』でアカデミー賞外国語映画賞候補になったパレスチナ人監督コプティは、重武装下の分断国家に生きる人々の微妙な力関係に焦点を当てる。人間関係は国家の意思をいかに反映し、あるいは疑問を投げかけるのか。国家の力は人間関係をどう変化させ、時には崩壊させるのか。そして、家父長制の制約が女性たちに与える苦悩とは。コプティはこうした知的な問いを、緊迫感のあるドラマの中に包み込む。相互に絡み合った物語がミステリーの土台を築き、観客をその謎解きに引き込んでいく。(Lovia Gyarkye | The Hollywood Reporter)

『ハッピー・ホリデーズ』が描く人間関係の根底には、根深い不信の念が横たわる。ノンプロの俳優たちの秀逸な演技が、現状に対する不満という形でこの不穏な空気を表現する。映画の各エピソード(ユダヤ教の祝祭日がブックマークとして添えられる)は登場人物の人生の様々な局面を描いているが、2時間の上映の間に関係性が少々混沌とする部分もある。とはいえ、コプティ監督の真骨頂は、日常の中の不安を抽出し、アスガー・ファルハディの脚本を彷彿とさせる濃密なフォーマットに落とし込むことだ。各章の時間があっという間に過ぎていくが、ティム・クーンのドライで控えめな撮影により、どの場面も一瞬の中に人生の重みを宿しているように感じられる。(Olivia Popp | Cineeuropa)


『女の子は女の子』Girls Will Be Girls
監督:シュチ・タラティ Shuchi TALATI
https://filmex.jp/program/fc/fc6.html

『女の子は女の子』は、女性の成長過程への深い共感を、驚くほど繊細に力強く表現している。(「男の子は男の子」という定型句の逆を行く)挑発的なタイトルは「女の子が女の子であるとはどういうことなのか」と問いかける。それは、成長のための自然な行動が抑圧され、罰を受けることさえあるとしても、生きる力や自立心は身に着いていくということを意味する。主人公は母親と衝突しながらも、母親が単なる大人の女性ではなく、自分と同様に成長を体験した女の子なのだと気づいていく。とはいえ、この映画はこうしたテーマを感傷的に描いたり美化したりしない。監督の視点はあくまでも現実に根差している。
(Peyton Robinson | Roger Ebert.com)

この監督の演出で最も魅惑的なのは、様々な場面や状況で、登場人物の手に繰り返し焦点を合わせる手法だ。ためらいや触れ合いの親密さをとらえた手元のクローズアップは、それ自体が会話となり、主人公と男友達が会話を止めたり視線をそらした瞬間に、彼らの行動や意図、隠れた欲望を表す独特の主観的表現として機能する。他の映画作家なら気づかないようなところにカメラを向けて物語を見出そうとする。そのことが、この作品を有望なデビュー作にしている。(Siddhant Adlakha | Variety)


『ベトとナム』Viet and Nam
監督:チューン・ミン・クイ TRUONG Minh Quý
https://filmex.jp/program/fc/fc5.html

(鉱山の地下で愛を育む2人の男性の)胸を締め付ける物語と並行して、戦争の遺産に包囲され続ける国家の実存論的物語が展開する。不発弾が点在するその土地では、風景さえも脅威であり続ける。本作がベトナムで上映禁止になったこと(監督が祖国を「暗く否定的に」描写したためだと推察される)は、未だ癒えない傷の敏感さを示している。クイ監督は、青年ナムと母親、亡き父、父の友人との関係を通じて、歴史的トラウマに関する知的な問いかけをする。過去の断絶が現在の人間関係にどのように影響するのかを探りながら、監督はおなじみのテーマにするりと近づく。すなわち、戦争の恐怖がいかに世代を超えて残り続け、目撃者やその子孫に重くのしかかるのかということに。(Lovia Gyarkye | The Hollywood Reporter)

『ベトとナム』の最後の瞬間は、忘れがたい衝撃を残す。しかし、最も強く心に残るのは、恋人たちの一方がもうひとりの耳から煤まみれの耳垢を丹念に取り除くシーンだ。工業用のノコギリが近くで火花を散らすなかでのその光景は、彼らの優しく粘り強い思いを視覚化する。映画の謎を見事に凝縮したこの場面は、集団の荒廃と個人の忍耐の両方から美を引き出す監督の才能を示している。(Eric Henderson | Slant Magazine)


『黙視録』Stranger Eyes
監督:ヨー・シュウホァ YEO Siew Hua
https://filmex.jp/program/fc/fc4.html

監視カメラが最も密集している都市として、世界で上位にランクされるシンガポール。2018年のロカルノ映画祭金豹賞受賞作『幻土』に続いて、シンガポールの脚本家兼監督ヨー・シュー・ホアは、警察の監視カメラ、ウェブカメラ、商店の防犯カメラ、そして昔ながらのアナログな盗撮が絶え間なく存在する金魚鉢のような都会舞台に、いささか血なまぐさい人間ドラマを紡ぎ出す。2歳の女児の失踪から始まる物語は、監視の目が厳しすぎるとアイデンティティを溶解させかねないのだと示唆する。(Lee Marshall | Screen Daily)

一見すると、ミヒャエル・ハネケ監督の『隠された記憶』から臆面もなく拝借したような設定に思える。ある夫婦が郵便受けに無記名のDVDが届いたのに狼狽し、ディスクを再生すると、知らないうちに撮影された自分たちの姿が映し出される。しかし、ハネケ作品が、当初は家庭内ホラーの効果的な導入部のように思われたものを厄介な社会政治的領域へと押し進めると同様に、このつかみどころがなく変幻自在なサイコドラマ『黙視録』も、誰が誰を監視しているのかという疑問以上のものを念頭に置いている。シンガポールの脚本家兼監督ヨー・シュー・ホアの第3作は、人間の行動や人間関係の不確実性により深く踏み込む前に、ひとつの謎を予想外の手早さで解決し、滑らかで冷ややかな表皮の下の壊れた核心をじわじわと暴いていく。(Guy Lodge  | Variety)



『白衣蒼狗』Mongrel
監督:チャン・ウェイリャン CHIANG Wei Liang 
共同監督:イン・ヨウチャオ YIN You Qiao
https://filmex.jp/program/fc/fc7.html

この作品は、ほとんど禅の境地のような苦しみと悲しみを呼び起こす。田園地帯に何カ月も降り続く雨のように、映画全体にそんな感覚が浸み込んでいる。これは手強そうだと感じたのなら、それはその通り。この映画は、忍耐力と注意力、話の停滞状態に鑑賞者の期待値を調整することが求められる。しかし、そのアンダンテのテンポが、感動や衝撃の瞬間をひときわ印象的なものにする。本作のエグゼクティブ プロデューサーは台湾のホウ・シャオシェン監督で、彼の影響がうかがえるが、ツァイ・ミンリャン監督の作品に通じる部分もある。(Peter Bradshaw | The Guardian)

監督のチャン・ウェイリャンはドキュメンタリーやVR作品で受賞歴があるが、長編劇映画は本作が初めて。信じがたいほど陰鬱なこの映画は、検証可能な事実に基づいた設定なのに、あまりの恐ろしさにディストピアSFを見ているように思えてくる。と同時に、技術面で実に優れた作品でもある。現代の根深い犯罪のひとつを粘り強く見つめるだけでなく、フレーム内のコントロール、テンポ、絵画的な構成も素晴らしい。この監督はリスクを厭わない。長い沈黙を恐れず、説明にも興味を示さず(台湾の山奥に人々が隔離されるに至った経緯は、観客自身が考えるしかない)、暗闇に慣れている。主演俳優は顔に光が当たった瞬間に片方の眉を動かすだけでシーン全体を表現する。ナイトクラブの場面でさえ色調は淡く、まるで白黒映画を見ているようなのだ。(Stephanie Bunbury | Deadline)



『空室の女』Some Rain Must Fall
監督:チウ・ヤン QIU Yang
https://filmex.jp/program/fc/fc8.html

『空室の女』は、多くの観客にとって、映画が終わってからが本当の始まりとなるだろう。主人公の過去や隠された人格のレイヤーをゆっくりと剥ぎ取り始めるために、異常な出来事が必要だった。控えめな雰囲気で、微妙に曖昧で、時にミステリアスなこの映画は、挑戦的で謎めいた作品を愛好する映画通向きの、永く心に残る作品だ。(Vladan Petkovic | Cineeuropa)

チウ・ヤンの初監督作品は、いわばラース・フォン・トリアー版『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のような展開だ。不幸な妻が、自分が手に入れられたかもしれない人生を嘆き、何とかしようと試みたばかりに宇宙の法則によって罰せられる。撮影監督コンスタンツェ・シュミットとチウのタッグは、暗く陰鬱な世界の中で主人公をとらえ、我々観客は常に片隅からこっそり彼女をのぞき見ることになる。まるで、彼女の深淵をのぞくと、彼女も私たちの深淵をのぞき返すかのように。映画初出演で主役を務めたユー・アイアール(余艾洱)の存在感も出色。現代中国の家族間の争いを描いた本作は、その不幸の表現に並外れたリアリティがある。これは中産階級の過去を巡る悩みを描いたリン・ジェンジエ監督の『家族の略歴』にも通じる点だ。チウの映画は意外にも歯科医院での抜歯のシーンで幕を下ろすが、これも効果を上げている。「ダメージがひどい。しばらく痛みますよ」(Nicholas Bell | Ioncinema)



『家族の略歴』Brief History of a Family
リン・ジェンジエ LIN Jianjie
https://filmex.jp/program/fc/fc9.html

『家族の略歴』に登場する夫婦は、中国の一人っ子政策に従って、快適な中流階級の生活を築いてきた。規制が緩やかになったいま、10代の息子の謎めいた新しい友達を交えて、核家族を拡大するチャンスが訪れる。脚本家兼監督のリン・ジェンジエは、さまざまな視点から、夫婦と息子、その友人の4人が内包する不安定さを検証する。彼のスタイルの選択は、技巧面で的を射ていることもあれば、独りよがりになることもあるが、このデビュー作で注目すべき才能を示している。魅力的な演技、抑制された語り口、答えのない問いかけにより、この映画は強い憧れと同時に、疑惑と恐怖が渦巻く流れへと引き込んでいく。(Sheri Linden | The Hollywood Reporter)

監督は科学者のように登場人物を研究し(映画製作を決意する前に生物学を学んでいたと知っても驚くに当たらない)、しばしばカメラのレンズを顕微鏡のように使って、実験台となる登場人物に近づいて理解を深めようとする。この映画が持つ臨床的な雰囲気は、時にはあからさますぎるようにも感じられるが、監督の科学的ユーモアが思いがけない温かさを吹き込む。……この映画がどこへ向かおうとしているのか、私にはわからなかったが、まさにそこがポイントだ。これは創造の混沌について、新しい世界を創造する際に生じる暴力についての映画であり、ジャンルを巧みに操りながら、実に魅力的な手法で表現している。小学校の授業で顕微鏡を通して見た花びらやキャンディーのかけらに驚嘆したときを思い出さずにはいられなかった。この映画を見終わり、あの時と同じ驚きと、私たちがいかに小さな存在かをつきつけられたような憂鬱な気持ちを覚えたのだった。(Jose Solís | The Film Stage)



『ソクチョの冬』Winter in Sokcho
監督:コウヤ・カムラ Koya KAMURA
https://filmex.jp/program/fc/fc10.html

エリザ・シュア・デュサパンの同名小説を原作に、コウヤ・カムラとステファン・リー・クオンが巧みに構成した脚本は、2人の男女の出会いの各段階に焦点を合わせ、2つの異なる文化のコミュニケーションの境界線上で、それぞれに迷いながらも心を開こうと奮闘する様を丁寧に描く。この映画は、(変化に富み、感情を揺さぶる)大自然の雰囲気をスポンジのように吸収し、主題の核心へとゆっくり近づいていく。控えめだが洗練された映像手法に、アニエス・パトロンの短いアニメーション・シークエンスが調和する。この監督デビュー作について語るとき、私たちは古き良き映画(良い意味で)について語っているのかもしれない。「形式、セリフ、構造」がいずれも優れたこの作品は、力ずくで押し付けなくてもいつしか伝わるスタイルを備え、今後も注目すべき監督だと思わせる。(Fabien Lemercier | Cineeuropa)

主人公はさまざまな点でこの町から疎外されていると感じている。だが、特に食べ物を通して、この町とある種の親密な関係にもある。カムラ監督の食べ物の描写 (主人公の母親が売る魚、彼女たちが作る韓国料理、気まずい質問に答えるのを避けようと食べ物を口にする場面) は、彼女の安心感と居心地の悪さを描写する上で重要な役割を果たしている。彼女の心の奥底にある考え、感情、不安をアニメーションで表現するという監督の選択は高く評価したい。アニエス・パトロンの見事な抽象アニメのおかげで、我々はスハの生々しい感情を垣間見ることができる。女性の裸体が爆発し溶けていく姿や、トビウオが自由に泳ぎ出す様子が繰り返し登場し、彼女が抱える身体醜形障害や愛着への恐怖、そして行き詰った人間関係の束縛から自由になりたいという切実な思いを象徴する。(Paul Enicola | The Asian Cut)


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