『黒衣人』Q&Aレポート | 11/25(土) | 第24回東京フィルメックス
ワン・ビン監督の60分の新作『黒衣人』の上映が11月25日(土)に有楽町朝日ホールであり、今回の審査委員も務めるワン監督が上映後のQ&Aに登壇した。
今年のカンヌ国際映画祭の特別招待作品にも選ばれた本作は、中国を代表する現代音楽作曲家・王西麟(ワン・シーリン)を被写体にした実験的ドキュメンタリー。無人の劇場のステージに全裸で降り立った86歳の姿を通して、中国の激動の時代を浮かび上がらせる。
「王さんと私の個人的な関係や彼に対する尊敬の念がこの映画の出発点です」とワン監督。「ショスタコーヴィチの後継者」とも称される王氏の音楽と初めて出会ったのは2005年。迫害や死をモチーフにした交響曲に魅了され、文化大革命期に辛酸を舐めた経歴に、監督自身の映画のテーマと響き合うものを感じたという。交流を重ねて親しい友人となり、コンサート風景や
中国からドイツへ移住した王氏の日常にカメラを向けてきた。
従来の観察型のドキュメンタリー手法を捨て、劇場という空間を駆使して新たな表現に挑んだのは、王氏の音楽を生かすため。「彼の音楽は非常に重要な要素。音楽をいかにうまく使うかに重きを置いて構想しました」
撮影場所にはピーター・ブルックの本拠地だったことで知られるパリのブッフ・デュ・ノール劇場を選んだ。「舞台回りに遮蔽物がない劇場で、カメラを自由に動かせた。それで選んだのですが、スケジュールがとても立て込んでいて。2年前から申し込んだのに、撮影に使えたのは3日だけ。短期間で撮りきらなければならないので大変でした」と王監督。流麗な移動撮影を手掛けたのは名手カロリーヌ・シャンプティエ。「彼女とは20年来の知り合い。お互いをよく理解しているので、準備から撮影までとてもうまくコミュニケーションが取れました」
一糸まとわぬ王氏が薄暗い螺旋階段をゆっくり降り、地の底のような舞台に立つところから映画は始まる。前屈みで両腕をピンと後ろに伸ばしたり、何かを担ぐ仕草をしたり。古木の樹皮のようにいくつもの傷や皺が刻まれた肉体が無言でうごめく。
「あの場面は王さんの即興。いくつかのパートに分けて綿密に準備をしていましたが、王さんの即興的な動作や発言も大事にしました」とワン監督。一連の動きは1950年代から約30年間にわたって中国各地で起きた批判闘争大会などで攻撃対象の人が強要された姿勢。肉体的にもたいへんな苦痛を伴うものだったという。
「全裸を撮られるのは本人にとって非常に恥ずかしいというのはわかっていました。なので事前に王さんに意向を聞き、私自身もすごく迷った。それでも裸で出てもらうことにしたのは、彼の身体を撮りたかったから。何十年にもわたる痛みや苦しみ、心の痛みさえも、あの体が受け止めて来た。彼の身体と向き合い、スクリーンに映すことは、彼自身への敬意に他ならないと思っています」
続くパートでは、王氏の波乱の半生や代表作に込めた思いも本人の独白で明かされる。貧しさから15歳で解放軍に入り、上海音楽院で才能を発揮するが、技術の研鑽より政治を優先する風潮を批判したことで文革期に激しい迫害に晒される。苦難の日々を振り返る王氏の言葉に、時おり声をかき消すほどの大音量の音楽が重なる。「当初はサイレント映画のように彼の言葉を字幕で表現し、そこに彼の音楽をかぶせる形式も構想しましたが、最終的にこの形に。この映画を私からの王さんへの贈り物だととらえ、あのような言葉と音楽の組み合わせにしました」
『黒衣人』という原題の意味にも質問が相次いだ、映画の中で王氏が吟じた魯迅の『鋳剣』の一節にちなむという。「実は私自身は魯迅の作品は好きではありません。なので、魯迅ファンだからこの題名にしたと思わないで」とワン監督。「ただし、王さんの世代の方たちには魯迅信仰のようなものがあり、彼の作品を重視していました。私もその世代の考え方を排除するつもりはありません。魯迅の時代から百年が過ぎたいま、私たちはいま一度過去を振り返り、その歴史に向き合って、いまの自分たち自身の姿を見直さなければならないのではないかと考えています」
東京フィルメックスではこれまでも『三姉妹〜雲南の子』『苦い銭』などの監督作品が上映されているが、来日はかなわなかったワン監督。ようやく実現した監督との対話の機会だけに、客席からは多くの手が挙がり、密度の濃いひとときとなった。
文・深津純子
写真・明田川志保