COLUMN:都市と芸術祭/長谷川逸子(建築家)

 第二次世界大戦の終戦から76年が経とうとしています。そして今20世紀を通じて激しい新陳代謝を繰り返し、東京にある種の閉鎖感が漂っています。カンフル剤のような大規模開発があちこちに打ち込まれる一方で、老朽化するインフラ、増え続ける空き家、そしてコロナ禍による空洞化など、東京のあちこちに生まれる。さまざまな隙間から新しく次に向かう姿が吹き出しているのかもしれませんがなかなか見えません。
 私の仕事である建築は都市(あるいはまち)に建てられることから人々の様々な批評を生み出す社会的仕事であり、それはまた個人的な活動の場でもあると言えるものです。建築を考える時、多数の様々な暮らし方、そこで起こる多様なことを受け止め、建築のあり方としての「カタ」を、そして「マチ」或いは環境との関係性を思考してゆく中で進めます。
都市は常に変化のなかにあるダイバーシティです。その変化は経済活動による市場変化ばかりでなく、女性の社会進出や高齢化少子化から観光による多数性問題などあらゆることをインクルーシブして動いています。戦後、西洋的なるものを近代とし、人工物化や消費社会の波が生活を変えてきましたが、東京の中の住宅地、台東区文京区など下町には日本的なるものが続いて残っています。
 世界中の大都市はガラスと鉄骨の高層ビルが建ち並ぶ風景を展開しています。東京もその大都市の一つといえますが、この東京で芸術祭を展開し、閉ざされた美術館とは異なる空き地やストリート、ショーケースの中などの都市空間とアートがからみ合う展開がみられるなら、現在の東京の様相におおきなファンタジーが働くのではないか。人々の生活空間まで音楽と同じような身体的コミュニケーションを起こすのではないかと考えます。台東区、千代田区、文京区、中央区が展示場と聞いていますが、中心地千代田、中央区に加えてコモンズが残る商業・住宅地まで含まれ、それぞれ特徴ある場所が選ばれている。それぞれの場でアートの関わりの中で東京という都市が改めて見えてくる芸術祭であるなら、いままで見えなかったものが見えてくるではないかと思う。
 こうしてまちとアートを関わらせることで人々の視線から新しい批評が生じて住民が環境について生活について考えるまでになるといいと思う。またビエンナーレ芸術祭が持続するためにはそれぞれの場所で生活し活躍する人たちを巻き込んでいかなければならない。都市の芸術祭にするために必要なことだと思う。ニューヨークのグラフティー(落書き)のような野生性や無垢さをもって都市に芸術が加わるということは異なるものだろうが、新しい何かが生まれるだろうことを想像し期待してやみません。

長谷川逸子(建築家)
プロジェクト「音のきづき」はこちら
https://tb2020.jp/project/awareness-of-the-sound/

東京ビエンナーレ2020/2021
見なれぬ景色へ ―純粋×切実×逸脱―
https://tb2020.jp/

会期:2021年7月10日(土)~9月5日(日)
※会期は変更になる場合があります。


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