SDSノート_21「学環創出フォーラム4」
こんにちは。ソーシャルダイブ・スタディーズ(以下 SDS)、コーディネーターの工藤大貴です。今回は学環創出フォーラム(4)のレポートです。前回までの学環創出フォーラムについては下記をご覧ください▼
第21回レクチャーとなる9月4日(土)は、佐藤慎也さん(八戸市美術館館長/日本大学教授)をゲストに迎え、学環創出フォーラム最終回をおこないました。
▲メイントーカーの佐藤慎也さん
佐藤先生からは「芸術祭の記録をどう残すか」を軸に、様々な国際芸術祭などを参照しながらレクチャーをいただきました。アート作品や作品が設置されている場所が会期後も残っていくという(モノの保存)ことだけでなく、アートプロジェクトなど(コトの保存)についてもいかに残っていくかという議論にも及びました。
今回も、SDS第21回レクチャーを聴講されたメンバーにその様子をレポートしてもらいます。それではぜひご覧ください▼
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SDSメンバーの飯田莉佳子です。普段は成城大学大学院で美術史を専攻しています。主にアメリカのパブリックアートを中心に、公共空間で展開される作品がどのように人々や場と影響しあっているのかを研究しています。
今回は、パブリックアートとも強い繋がりを持つ芸術祭で、人々が何を考え、どのような振る舞いを見せるのかを自分の目で確かめてみたいという思いから、SDSに参加しています。
いよいよ最終回を迎えた学環創出フォーラムでは、佐藤慎也先生にアートプロジェクト(あるいは芸術祭)をいかに「残す」かについてご教示いただきました。モノの作品はカタログ・レゾネをはじめとする媒体で残されていく一方で、コト化したアートはどのようにして残すことができるのでしょうか?
会期を終えたここからどう歩んでいけばよいかを考えるにあたって、示唆に富んだ2時間でした。
レクチャーでは、ヴェネツィア・ビエンナーレやドクメンタをはじめとした世界各国の芸術祭が、これまでどのように「残し」てきているか、その実践が紹介されました。芸術祭と一口に言っても、残し方は会場・作品・記録資料(写真・映像、本)と多岐に渡ります。
それだけ、芸術祭が誰の為に、何の為にあるのかにいくつもの答えがあるのだと感じました。模範解答はないけれど最適解はあるという事実が、アーカイヴの多様性に繋がっている気がします。
いかに残していくか?という問いを前提とするレクチャーではありましたが、特に現代アートでしばしば見られる傾向として、(モノ・コトを問わず)アーティストやプロジェクトの参加者が作品を「残す」ことを望んでいない場合があります。
美術史を研究している人間としては「なんとか残してくださらないでしょうか…」と思ってしまいますが、そういった問題に直面した場合、どのように向き合っていけばよいのかもしっかりと考えていかなくてはならないなとも感じました。
また、芸術祭は会期という「祝祭」と、そうでないささやかな「日々の営み」の連続からできているというお話も印象的でした。この特性は、佐藤先生が仰っていたように「プロジェクトの全てを観測している人間はいない」事に繋がります。
連なりをどこまで「残す」か?芸術祭で形成された、目に見える財産、あるいは、目に見えない財産を観測し、記録するにはどうしたらよいのか?
東京ビエンナーレに関わった一人として、この芸術祭を有意義な形で「残す」ための試行錯誤を繰り返していきたいです。
1度目の会期を終えた今、東京ビエンナーレ2020/2021はどう残せるのか?
トライアンドエラーで試していく事が求められていると思います。
第21回レクチャーの記録はここまでとなります。それでは、またSDSノートにてお会いしましょう。