COLUMN:地元への愛着を生むまちづくり/橋本樹宜
東京ビエンナーレはまちづくり。
地元に対する愛着が芽生え、
次回は皆さんが参加したくなる芸術祭に。
私は千代田区で協永ソフトエンジニアリングという不動産業を営む橋本樹宜と申します。東京ビエンナーレでは、リエゾンディレクターという立場で事務局やアーティストの皆さんとまちの人たちを繋ぐ役割をしています。
何故、私が東京ビエンナーレにかかわるようになったのかという話をする前に、少し自己紹介をさせてください。私が生まれたのは、千代田区の平河町です。父は田舎から東京に出てきて、様々な仕事を経て平河町に不動産業を開業しました。最初に住んだ家は平河天満宮という境内地に建てられたマンションでした。神社の境内が公園になっていて、場所は都会でしたが、自然豊かでとてもいい環境で育ちました。千代田区の平河町というのは、駅で言うと地下鉄の永田町と麹町の間のエリアで、ビジネスまちというイメージを持たれる方が多いと思いますが、私が小さな頃はマンションも少なく空き地も平屋も自然もたくさんありました。私は、永田町幼稚園という自民党本部の目の前にある幼稚園に通っていましたが、駄菓子屋さんや氷屋さんに立ち寄ったり、道路に蝋石で落書きをしたり、缶けりをしたり、朝から晩まで外で駆け回っていました。映画『三丁目の夕日』のようなワンダーランドです。
田安門から見た九段(著者撮影)
小学校に上がる頃、九段に転居しました。小学校までは1キロほど歩いて通っていましたので、その道中すべてが遊び場です。春になると桑の実がなっている場所に行って摘んで食べたり、役所の分室みたいな場所に卓球台があって遊んだり、途中で友だちの家に寄り道したり、虫を捕まえる時は靖国神社にいったり……。中学生くらいまでは、とにかく地域でよく遊び触れ合っていました。また、父親が不動産業をしており、当時は家にお客さんを呼んできて接待していた時代ですから、地元の大人たちの話もよく傍らで聞いており、皆さんには可愛がってもらっていました。そういった感じで、地元にはとても愛着を感じていたのです。しかし、高校から大学、大学院と地元を離れることになり、だんだんと地元との関係性が切れていってしまいました。
再び地元への思いが喚起されたのは二十歳の時です。成人式のお祝いを町内会の人たちがしてくれると席を設けてくれていたんですが、しばらく地元を離れていたこともあり、なんだか気恥ずかしくて出席できなかったんです。すると後日贈り物が届きました。自分のために用意してくれたお祝いの会の写真とともに。それを見て猛省しました(笑)。建築学科に通っていたのですが、都市計画を選択してまちづくりをきちんと勉強しようと思い始めて、卒業をしたら家業を継いで地元のためにできることをしようと考えたんです。もともと自分が育ってきた地元への愛着が強かったのですが、一度離れてみて、やはり継承していかねばと心を決めました。
そうして地元でまちづくりの活動を続けていく中で、東京ビエンナーレの総合ディレクターである中村政人さんと出会いました。最初の出会いは、千代田区役所の方から「まちづくりをやってるんだったら会わなきゃいけない人がいる」と3331アーツ千代田の創業メンバーである清水義次さんを紹介いただき、中村政人さんにもお会いしました。それは私の財産のひとつです。私にとって人との出会いや尊敬すべき人とのお付き合いは、何にも換え難い財産だと思っていますから。中村さんと話をするなかで一番驚いたのが、「アートでまちづくりができてしまう」ということでした。
まちづくりというのは何でもありだと思いますし、どんな人でもできることだと思います。アートというのは、年齢や職業や性別といった属性に関係なくいろんな人がかかわれるし、楽しめる。また、特にアートは様々な個人の中の思いを大切にしていく世界だと思っていて、そう考えると、いろんな可能性があるような気がしています。「東京ビエンナーレ」というのは、3331アーツ千代田立ち上げの時から構想されていたというお話も聞いていました。中村さんなどが、芸術祭を立ち上げて地域と一緒に盛り上げていきたいという話をされていた時に、これはお手伝いしないわけにはいかないなと思ったのです。
「東京ビエンナーレ」に何を期待しているかといいますと、これは地域の未来をつくっていく活動なんじゃないかと思いました。私は仕事柄、学校への出入りも激しいのですが、子どもの教育環境というのは、当たり前ですが子どもだけではつくれません。今、私たちが見ているまちというのは、大人目線だけでつくってしまったような気がしてなりません。私が小さな頃、地域に抱いていたワンダーランドのような意識と、今の子どもたちが地域に対して抱いている意識はちょっと違うような気がしています。子どもの目線を採り入れてまちの環境作りをして、子どもたちが地域に積極的にかかわりたくなるような機会をもっとたくさんつくらないと、この場所に留まってくれなくなってしまうと危惧しています。私が自分の成人式の時にまちの人たちに感じた罪悪感というのは、それまで町内会にどれだけよくしてもらっていたか、地域でどれだけ楽しい体験をしてきたかという自分の体験の記憶から生まれたものです。私が抱いた地元の地域に対する喜びを、今の子どもたちにも抱いてもらいたい。アートを通して、子どもの胸に深く残る体験、この場所に留まろう、この地域で何か自分でやってみようと思える体験を作っていきたいと思っています。
靖国神社(撮影:著者)
千代田区のような都会のコミュニティ、いわゆる町会活動が現在どうなっているかと言いますと、町会の人数自体は変わっていません。むしろ人口は増え続けていますので。しかし、増えているわけでもなく高齢化は確実に進んでいます。コミュニティの代表的な活動は「祭り」ですが、祭りに参加する人の人数は増えていて、催す側の人数が減ってきているのが実情です。家にも幼稚園にも小学校にもオートロックがあり、道で蝋石で落書きなんかしていたら車に轢かれてしまうし、人から声を掛けられても気軽には答えられない。そんな環境の中で、コミュニティに参加してまちづくりをする側の人を増やしていきたい。東京ビエンナーレは、そのきっかけのひとつになるのではないかと期待しています。
“芸術祭”というと、偉いアーティストが来て作品を置いていくようなイメージを抱く方もいるかもしれませんが、それと東京ビエンナーレは全然違います。東京ビエンナーレは、芸術祭を通してまちづくりができる。だから市民の皆さんが参加する意義がある。東京ビエンナーレを開催することで、地域に対する愛着感や誇りが芽生え、その積み重ねが未来のまちづくりにつながっていくのだと私は考えています。リエゾンディレクターとしての私の役割は、市民の皆さんに東京ビエンナーレを理解していただくところから始めていかなきゃいけないなと痛感しています。皆さんが住んでいるまちを思う気持ちがあるのであれば、「東京ビエンナーレ」という場所を借りて伝えて欲しい。各地域にいるエリアディレクターたちが皆さんの思いを繋げて、地元の人たちの思いが集まってくれば、きっと東京ビエンナーレは成功すると思います。
東京ビエンナーレの重要なキーワードのひとつに「“私”から“私たち”へ」という言葉があります。東京ビエンナーレに参加することで、皆さんが「私たちのまち」という意識を持ってもらえるよう、尽力していけたらと思います。
橋本樹宜(協永ソフトエンジニアリング代表/東京ビエンナーレ リエゾンディレクター)
東京ビエンナーレ2020/2021
見なれぬ景色へ ―純粋×切実×逸脱―
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カバー写真 九段坂公園からの千鳥ヶ淵(撮影:著者)